地理音痴。
方向音痴。
全てに音痴。
生まれつきのわたしの特性である。
脳のどこかのパーツが、塞がれているのだろう。
地図が読めない女性の典型的パターン。
わたしは、どこ?
ここは、どこ?
ぐるっと一回転すると、何がなんだかわからなくなる。
いつも、これ。
ただし、究極の必要性を感じる時は脳みそが自動的にぎゅっと締まるようで、作動する。
例えば、知らない場所、初めて行ったところでトイレに行った時。
元の場所に戻れるように必死で覚える。
何気なく無意識で行くと、絶対にダメ。
何がなんでも道順を意識すること。
そもそも、わたしは小学校2年の時に、東西南北の概念を学校の授業で習った時に、意味がわからなくて瞬時、落ちこぼれた。
どうしてもわからなかった。
学年が上がっても、紙に書いて、平面図に、右が東、上が北、左が西、下が南、と、意味もわからず丸暗記。
この方向音痴は、育った地の地理背景にも影響が大きい。
だだっ広い平野なら、東西南北を覚えないと、わけがわからなくなるだろうけれど、、、
(太陽の位置と影、時間から東西南北を知る方法もあるようだが。
雨や夜、地下はどうする?)
後ろが山、前が海。それがずっと続き、電車の線路は海岸を前に東西に走る。
山を見て海を背景に、海は南、山は北、右は東、左は西。
それを丸暗記すると、平野に来ると、山も海もなく、東も西もさっぱりわからない。
電車の改札口も東出口やら西出口やら、はあ??となる。
山と海がセットで位置してないと、わからない。
小学校では電車通学の同級生もいたので、彼らは電車に乗るため、地理感覚が優れていた。
社会科の授業で駅名を順番に並べる場面があった。
電車通学の子たちは、学校がある駅を基準にすらすらと駅名を並べていた。
わたしは、、、学校のある◯駅の次は、いきなり大阪駅で、その次は東京駅、さらにその次は、なんとアメリカ駅だと思っていた。
が、さすがに子供ながらそれは無知なのではないかと薄々気づいて、口に出さなかったし、駅名も書かなかった。
いくらなんでも東京駅の次がアメリカ駅だと思っていたのは、もっと幼い頃だったかも知れないが。
当時、わたしにとっては大阪は外国だった。
東京は宇宙。
ではアメリカは?
おそらく架空の世界。
しかし、時代の影響が色濃い。
なんでアメリカ?
国際的にアメリカしか国は知らなかった。
はるか昔、半世紀以上前の昭和時代。
20歳で初めてイギリスに行った時に、驚いた。
そもそも超田舎もんのわたしがイギリスを選んだ理由は、保守的であること、島国であること。
日本との共通点があると考えたからだ。
ヒースロー空港に降り立ち、初めて見る国、人々に、先入観が吹き飛んだ。
なんとイギリスは古き老大国だった。
アメリカが飛ぶ鳥を落とす勢いで繁栄している一方で、ヨーロッパはアメリカを成金的な目で見ていた。
重ねてきた歴史が違う。
が、ヨーロッパのホテルは趣きがあり重厚。
ではあるものの、ピカピカのデラックス新築に比べると、水の出が悪いところもあったりする。
どのランクのホテルに泊まるかで違ってくるが。
西洋への憧れは、キラキラ光り輝く面しか目に入らなかった無知による。
偏見と思い込み。
ではあるものの、普通の人々の暮らしは暖かいものだった。
今でも、どの部分を見て、どの部分を見ないかによって、感想は変わる。
全てをわざと見ないのか、見ようとしないのか、
好きなことばかりや刺激的なことを見ようとするのか。
目に入っても脳が素通りして、見えていないのか。
端から端まで、浅く広くなら見れても、深くは見れない。
総合的に俯瞰的に見るか、ピンポイントで見るか。
ピンポイントは、どれを選ぶか選択によって、ずいぶん変わってくる。
どんぴしゃり、真ん中、平均のピンポイントなど、あるのだろうか。
中央値は、必ずしも1番多いゾーン、層だとは限らない。
と、話がどんどん脱線している。
いつも、こう。
大人になるにつれ、見える景色が広がる。
見識が深まると、さらっと表面に現れているものしか見えない状態から一歩進む。
が、それが良いとは限らない。
曇ったメガネや、低視力の裸眼でさらっと見るだけのほうが良い場合もある。
わざと見ないのか、心がなく注視してないから見えないのか。
シーンシーン毎に、鮮明モードを切り替えられたらいいなあ、、、だが、意識して選択すると脳が疲れて休む間がなくなる。
なので、わたしに関しては、気の向くまま、気分次第でよい。
第一、コントロールできないし。
制御不能は、神様からのプレゼントだろう。
ちなみに。
裕さん、9月帰国!
さぞや、お忙しいでしょうね。