蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

神様がいっぱい

2023-08-28 | 
母が言った、わたしのこころに残る言葉。
「世間はいろいろ言うけれど、何もしてくれない」

これには、聞いた当時も今も強烈に響いた。
全くその通り。
世間は言うばかりの一方通行。
どこそこの誰が言っている、と、特定できないのに、世間の声が聞こえてくる。
母は戦中派なので、わたしなんかの平和世代に比べると話にならないぐらい強い。
父も然り。
昔は多産多死だったため、生き残った者は生き残れなかった人の分まで生きる強さがあった。

(蝶ブログにはかつて書いたが)
晩年の母に相談したことがある。
姑Aが信仰心が強く、昔からの仏さんのお守りはもちろんのこと、それだけでは飽き足らず、姑Aの姑B(Bは、Aの一代前の嫁。AとBは、嫁姑の関係。書くとややこしく聞こえる)と相談して神様を家のあちこちに祀っている。
姑Aの姑Bが神様にまつわる体験をして、それを嫁A(わたしの姑)と相談して、2人で新しい神様を祀った。
さらに、姑Aは、姑の姑Bが亡くなった後に、またまた新たに別の神様を祀った。
家の中には既に2つの神様が祀ってあったので、合計4つ。
神様ばっかり、神様連合組合、設立だ。
なんであんなに神様を祀るのか意味不明。
日本中に、水の神様や火の神様、森の神様、木の神様、、、、数えきれないほどの神様がいる。
トイレにも神様がいる(らしい)。
にしても、、、個人の家に祀るのは、外の自然の神様とはまた違う。
そしてさらに、またもう一箇所、姑Aが家の中で拝んでいる場所がある。
わたしにしてみると、「蜂の巣」の感覚。
こんなところに蜂の巣、あんなところにも。
どんどん増えていく、危険な蜂の巣。
本人たちは合意の上で祀り拝んでいるから良いようなものの、なんの宗教心もない、なんのいわれもないわたしにとっては、潰し壊すわけにもいかず、腫れ物に触る思い。
撤去したら祟られそう。
神主さんにお願いしてお祓いしてもらい撤去する選択肢もある。
が、、、神様の使いの地元の神主さんのお祓いは、なんだか効き目が弱そうだ。(神様>神主さん)
拝む人にとっては、後世も祀り続けなければならない人のことは、全く念頭にない。

そこで実母に相談した。
すると実母の答えはシンプルだった。
「俯瞰的に高いところから見て、一つにまとめて『宇宙の神様』というのにしたらどう?」
ナイスアイデアだと思った。

後世の人のことを考えず、どんどん神様を増やす先代、代々の姑たち。
それは、代々、家が続くものと何の疑いも持たず確信していたからだろう。
家制度が崩壊する未来を予測できなかったのは、その時代を、脇目も振らず一生懸命まっしぐらに生きる人にとっては仕方のないことだ。
今のように価値観の多様化の世の中、個人主義など、想像も出来なかっただろう。
時代の流れをお互い責めることは出来ない。

時は移ろい価値観は変わる。
変わらないものもある。

蜂の巣は、行政の担当係に依頼して駆除してもらわず、そっと近寄らず置いておこう。
だが、次の代の人は確実に問題に直面する。
どうするだろう。
蜂の巣付きの家だけでなく、墓もある。
墓じまい、仏壇じまい、実家じまいをする人も出始めている。
ご先祖さんたちは、さぞやビックリすることだろう。
自分たちの居場所がなくなるわけで。
しかし、現世に生きている人がそう実行するのであれば、この世にいないご先祖さんたちは、声を上げようにも上げようがない。
ディズニーのホーンテッドマンションに住むかのように、あの世から声をあげる?

まずは先決として、目の前の予想図。
夫かわたしか、どちらが先にあの世に行くか。
心臓は動いていても、ちゃんとした意思を示せない状態なら、意思決定、実践者としては、いても、いなくても同じだ。
アタマと体が動くうちに、ちょっと席を外してホーンテッドマンションの先祖たちと相談するか?
相談する相手は生きている人?


うちは、娘婿や外孫しかいない現実。
そもそも、この直系男子だけがイエを継ぐという既成現存ルール、今の世に合っているのか。
(養子や養女、夫婦養子など、あの手この手で技を駆使して非存続の危機を乗り切るイエもあるようだが)
わたしが来月、お彼岸にホーンテッドマンションに立ち寄って、聞いてくるか、相談してくるか。
頭が痛い問題ではあるが、生きて行く上での優先順位はかなり低い。
毎日が綱渡りで、それどころではない人もたくさんいる。

が、話を広げすぎると焦点がぼやける。
それはそれとして。
とりあえずは、夫のアタマと体が丈夫なうちは、現状を維持しなければならない。
わたしが諸事情で出来なくても、夫は誰かに依頼して代行してもらうことだろう。
ということは、何もなければあと20年はこのまま。
その後は、、、今のうちから後世の人々と話し合い、方向性を示すべきだろう。
ぴんぴんしている健康な現時点で、自分の葬式の具体的なプランを立てるかのようなことは、まだちょっと切羽詰まってなさ過ぎるが、ある日、突然、そんな日はやって来るかも。
危機管理は必要だ。
が、知らん顔してほったらかしてあの世に滑り込む(問題未処理のまま先送り)という手もある。

しかしまあ、時代は変わる。
特に夫のような、古い価値観を引きずり、微塵も変えようとしない人と一緒にいると、毎日、生きた蜂の巣を抱えて暮らしているような気になる。
夫は絶対に自分を変えることは出来ない。
危険物、取り扱い注意で接するしかない。
残されたお互いの貴重な人生、夫が自分を変えられないと同様に、わたしはわたしの幸せを大事にしたい。


神様はさておき、 
現実問題として、あと何回、お坊さんにお参りに来てもらえばいいのかな。(仏さん)
1年3回✖️20年🟰60回
加えて、数年、数十年に一度の何人かの法要。
毎年、つつがなくお坊さんが来てくれたらそれでよし。
(ちなみに、お坊さんは、わたしと同じ歳。
彼が高齢で来れなくなっても後継息子さんがいる)

こんな問題、全く関係もなければ関わりも興味もない人にとっては、はあ?なんのこと?
である。
お時間取りました。