下山迷路
2023-08-25 | 老い
下山。
膝に悪いらしい。
登山、行きは苦しいけれど、頂上に登る使命感、期待、楽しみがある。
なんと言っても、これまで耳にしている、まだ見ぬ景色が見られる。
途中までしか登らず下山するのも勇気が要るそうだ。
有名な登山家がそう言っていた。
一番大事なのは、自分の命を守ること。
そのためには、勇気を振り絞って下山する。
危険な山を登るのは勇敢で脚光を浴びる。
逆に途中で降りるのは、不名誉で臆病者のレッテルを貼られる。
それでも理性を振り絞って下山する。
一旦、スタートすると勢いが付いて、なかなか進路変更しにくいものだ。
まして下山など、プライドが許さない。
自分の命を犠牲にしても挑戦したい魅力があるだろう。
自分との闘いになる。
それは冒険家の挑戦。
一般人でも、危険な魅力は身近にたくさんある。
日大生の麻薬然り。
手を出すと危険だが自己責任でスリルを味わう。
手軽で日常生活的で、そんな大それたことだという、あまり自覚がない場合も多い。
法律に触れなくても色んな誘惑はある。
下山の話が、またまた脱線している。
自分の意思で、自分の状況を見て下山する。
が、姥捨山に連れて行かれようとすると、全力で抵抗する。
そんなに悟りを開いている人はいない。
まして、自分の命と引き換えに。
命の灯火を自分で消したくなる、こころの病気もある。
ふと死神に呼ばれる。
いつも家族は目が離せない。
そういう家族を抱えると、家で1人にさせられず外出もろくに出来ないという嘆きを何人か直に聞いたことがある。
大変だ。
と、またまた下山から話が逸れた。
人生の下り坂を降りる下山。
生物は生まれて死ぬのは、当たり前。
生命は生まれ、いずれ消滅する。
にもかかわらず、生きていて元気なのに、下山。
だが、摂理である。
いつまでも嘆き苦しみ執着するより、あっさり捨てると楽。
だが、そんなに教科書のように簡単にいかない。
過去を捨てろとは言わない。
捨てる必要はない。
過去は過去で、それを積み重ねた結果、今を形作っている。
良いことも悪いことも、過去を受けいれ、これからの時間に目を向ける。
悪い過去なら捨てて無かったことにするのは合理的だ。
が、良い過去にいつまでもしがみついているのが厄介だ。
損切りか、勝ち逃げか。英断しなければ終わらない。
宴は延々と永遠には続かない。
時代が移り、過去の栄光は消えて、虚無感に襲われる。
良い目をした人ほど、過去に縛られる。
ま、仕方ない。
そういうものだ。
悪い過去でなかっただけマシだ。
住まいや生活も縮小しダウンサイジングする人がいる。
省エネ。
大きくするのは大変だが、小さくするほうが楽かも。
無理やりではなく、自然に徐々に成り行きにまかせてが良いのでは。
歳をとると食が細くなるように。
いつまでも大きいままが良いなら、そうすれば良い。
規定やルールは個人個人によって違う。
(周りに多大な迷惑をかけなければ)
自分が良ければそれでいい。