男性と女性のおおまかな違いに、今朝、ふと気づいた。
例外や個人差はあると思うが。
女性は(わたしぐらいのリタイア年齢になると)、暮らしを楽しむことで日々、充実感を得る。
ものすごくお金がかかるわけではない。
何を食べようかな。
あ、そうだ。昨夜の残りもののカボチャ、ハムとチーズを乗せて焼こうか。
それとも、ミートソースを乗せようか。
一人で自分が食べる、本日のメニューを考える。
生協宅配の申し込み書も、ひとりでほっこり食べられる苺のかき氷、これを頼もう。
今日、帰宅してから食べられるように、宇治抹茶あんみつを解凍しておこう。
(食べることばかり)
何時間か後の楽しみがじわじわ押し寄せる。
好きな器や調度品、花や草木、香りの小物、、、脇役も勢揃い。
小さくなって着れなくなった衣類を手直ししたりして、気分を一新するとまた着れる日が来る。
誰に見せるわけでもなく、自分を楽しませてくれるモノ。
自分のこころの中を表現する絵も描いてみたい。
そう、知人Aに言うと、絵画教室に通わないとね、と反応。
べつに習いたいわけではない。人に見せたいわけではない。
発表会や展覧会に出したいわけではない。
自分独自の表現をしたい。
溢れるままにアウトプットをしたい。
だが、その知人Aは基本から習う路線を譲らない。
二人の話は平行線。
次第に語気を強めて行くわたしに、知人Aはヘキヘキ。
「アタマが痛くなってきた」と一言。
で、その話はお開き。
人それぞれ好みの問題で、建設的ではない話に必要以上に熱くなり、わたしも反省した。
実はこの知人A、、、アタマが柔らかそうでいいなあ、と、第一印象を受けた、、、が、カチンコチンだった。
見誤った。
まあそういうこともある。
そもそもわたしは体育会系の人間は苦手だ。
でもわたしが文系、インドア派なので、ほっておくと全く運動をしない。
老体に鞭打ち、健康寿命を維持するため、自分にハッパをかける意味でも、この、アタマカチンコチン体育会系人間と、運動している。
体育会系は、ほんとに困る。
わたしが「足が痛い、膝が痛い」と無理したくないそぶりを見せると、「絆創膏を貼ったらいいですよ」と、取り計らってくれない。
わざと悪いジョーク。聞き飽きた。
こんな人のペースに巻き込まれたら、健康寿命がかえって目減りする。
自分の身は自分で守らなければいけない。
なので、もうダメ、MAX限界、という一歩手前で音をあげることにしている。
ギリギリまで頑張ると、身体を壊しては意味がない。
根性なし、と罵られようが、わたしは健康寿命を第一優先的に考える。
旅行はもちろんのこと、日常生活にまで支障をきたすようなことにでもなったら大変。
生活の質が著しく低下する。
自己責任。
なので、自己鍛錬や自己向上などには目を瞑り、ひたすら防衛に回る。
自分はもう闘わない局面に来ている。
向上を忘れたら老いるだけだ、と、アンチエイジングで頑張っている人がいるが、それでストレスを溜めていたら、せっかくの黄金の健康寿命が泣く。
無茶はよくないが、何ごとも程々に。
それでは生きている意味がない、生きた屍だと嘆くボルテージの高い、何ごともやる気満々、全力投球の人は、頑張ってください。
人には人の道。
現役こそが生きる証、とパワフルに頑張る人もいる。
だがしかし、もう頑張らなくてもいいなんて、なんと幸せなことかと、わたしは思う。
生涯現役を望む太く短い短距離走タイプの男性脳と、細く長くの女性脳は違うかも知れない。
リタイアして、何をそんなにシャカリキに頑張るのか、わたしにはわからない。
逆に、一気に何もすることがなくなる人がいる。
退屈で死にそうになるらしい。
両極端。
間がない。
前述の体育会系知人A。
常に毎日、何かをしていないと落ち着かない様子。
筋力トレーニング、ボディ・エキソサイズ、ウォーキング、卓球、登山。
体力はあるようで、悪くはないが。
わたしとは足並みが揃わない。
フレイルは現実問題としてはまだ先だと感じているが、いずれ行く道。
今から対策(運動の習慣化、日常化)が大事でもある。
苦手でも少しぐらいは運動したほうがよさそう。
ただし、知人Aのペースには巻き込まれないつもりだ。