蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

味オンチへの道のり

2009-03-12 | グルメ
ずっと「グルメ カテゴリー」として、飲んだワインをアップしていたが、
あまりにも日常化してきて、いちいち面倒になった。
ボトルもたまる一方だし、飲んでも、
「2002年 伊藤ハム ハウスワイン」「2003年 ブルゴーニュ産」などの銘柄説明と
「あ、美味しいね」「飲みやすいわ~」「うむ、濃厚だ」「ちょっと渋いなぁ」
ぐらいの感想しか出てこない。
とりあえず、ここ3か月分の、ワインとシャンペン8本の写真を撮った。
(よく考えると、ビールや日本酒、焼酎は、飲んでいても取り上げていない)

5000円と1500円のシャンペンの違いも、何本飲んでも、いまいちよく分からないし。
前々から恐れていたが、ひょっとして私は、味オンチ??


ここからは、自分の回顧・自己満足のために綴っています。


小さい頃は、畑で自給自足の祖母が作る、オール野菜煮メニュー、
育ち盛りは、賄(まかない)のおばあさんによる、これまた野菜煮と魚メニュー、
ちょっと若い賄のおばさんに交代してからは、ハンバーグ、ポークカツ、
ビーフピカタなどのメニューもやっとお目見え。のっぺい汁や、肉じゃがなども。
背の青い魚にサヨナラできて、大感激だった。(今は、好きだが)
そういう食べもので、大きくなった。

ごく稀に、父に連れて行ってもらった神戸の「パーレスタ」というレストランで、エビフライ、
思春期食べ盛りは、2歳上の姉の作る「夜食メニュー」
ルーから手作り、本格ビーフシチューと、手作りミートソーススパゲッティ、
私が作る、ばかちょんインスタントラーメン、勝手に食べる、カップめん、
ご近所の洋食屋さんの出前「ビーフカツレツ」「カツカレー」、
学生時代は、学校帰りの寄り道「お好み焼き」、神戸「赤のれん」のチキンサラダ、
オプションとして、そういうものも加わった。
クッキー、ケーキ、和菓子などのスイーツ、ジュース類は、常にたっぷりあった。
親の目もちゃんと行き届いていないのに、よくまあ病的な肥満体にならなかったものだ。

「三つ子の魂百までも」、小さい頃の体験が、何事にも基礎をなす。
ここで、母の手料理は、ほとんど思い出にない。
カレーぐらいか?
(母が聞いたら、絶対、怒るだろう。もっとちゃんと食べさせてる、と。
そういえば、母は上品な和食がお得意のようだが、
小さい頃はそういうメニューは、賄のおばあさんメニューと、全て同じに思えた。)

幼稚園の時に、クラスメートに、料理家の母親を持つ男の子がいて、
お弁当の時間には、他の学年やクラスから先生たちが、お弁当を見に集まっていた。
私は、お弁当はいつも、通園途中で自分で買う、フルーツ牛乳と菓子パン。
実は、それが大好きだった。

小学校に上がると、学校の給食は大好きで、他の子が給食を残すのが不思議だった。
小学校後半からは、夕食は賄のおばさんに用意してもらったものを、
スタッフの人達といっしょに食べることもあったが、
彼女たちは、あまり美味しそうに食べていなかった。
美味しそうに食べない彼女たちを見て、輝きのない、元気がない大人だと感じた。

時々、漁師さんから獲れたばかりの鯛を頂き、
魚屋さんで刺身にしてもらい食卓に上がっていたが、私は刺身は苦手で、
父に「せっかくの貴重な新鮮美味を。味のわからないヤツだ」と怒られていた。
私は、鯛の味噌焼きが、大好きだったけれど。

中学になってからはお弁当になった。
時々、母がすごいお弁当(悪い意味で)を持たせてくれることもあり、
お弁当箱のふたを開けた途端、フリーズ。地雷爆発。
一瞬にしてふたを閉め、何事もなかったかのように静かに教室を出て行ったこともある。
兄姉も同じお弁当を持たされていたわけだし、
私だけが過敏に反応していただけかも知れないが。
兄姉、根性が、ある。学内でもちょっとユニークな兄妹だったようだが。
クレームを言うと、「忙しいのに何を言う???」と母のご機嫌を害するので
そういうこともあり、高校以後は、自分で作るようになった。

大したものも作れないし、美味しいわけでもなかった。
やはり、料理にセンスがないのだろう。食いしん坊ではないのだろう。
こだわりがないのだろう。

(つづく)






ポックリ希望

2009-03-11 | 読む人々には興味ない話
義理の親御さんと同居している人のブログを読んだ。
ものすごく苦労されている。
大変だと思う。

私は、子供が就学前に1年間だけ、同居の経験がある。
同居のエッセンス、ミニ体験コースのようなものだった。

ご苦労されている方々のブログに対して、
苦労していない私は、なんのコメントも発することができない。
「苦労は買ってでもしろ」と言うが、どうなのだろう。
その苦労やエネルギーを別の分野に、いい方向に活かすことができたら、
ものすごいパワーになるだろうに。

大事な夫の親なのだから、大切にしないといけない。
何かと大切に育ててくれた親だから、ご恩返しをしなくてはいけない。
これは理屈でクリアー。
しかし私は、同居は望まない。
少なくとも、自立した生活ができなくなる、その日までは。
その日が永遠に来ないことも、望んでいたりする。
世の中には、同居したくなくても、
各々の理由で同居せざるを得ないケースも多いだろうけれど。

親世帯も子世帯も経済的自立、生活の自立が理想だが、
なかなか絵に描いたようにはいかない。
私たちは、どうにかこうにか、円満に別居している。
病気になれば、当然、医療機関にお世話になる。
介護が必要になった時は、いよいよ同居になるのだろうか?

伯母が今年、90歳過ぎてぽっくり、家族と同居する自宅で亡くなった。
伯母は翌日にお出かけ予定があり、着ていく服も用意していそうだが、
本人も死ぬなんて思いもよらなかったようだ。

死ぬ直前まで、自立した生き方ができれば、本人も周りも最高だ。
老化に伴う現象をを全く理解しないで、まるで汚いものにでも接するかのように、
厄介者のお世話をするのがいかにも嫌!というようなお嫁さんや娘、息子に、
自分が高齢になった時、世話をしてもらいたくない。
まだお嫁さんはいないから、お嫁さんの具体的イメージはわかないが、
子供たちにお世話してもらっている自分を想像すると、涙が出てくる。
涙が出るほど、ありがたいけれど、涙が出るほど、情けない。
させたくない、してもらいたくない。
彼らの生活のペースを乱してほしくない。
お荷物には、なりたくない。

私は、近い将来、親をお世話する立場でもあるし、
遠い将来、自分が高齢になれば、お世話される立場でもある。

自分ならこうしてほしい、という理想のパターンに、
親の世話に対しても、できるだけ近づければいいが、そう、うまくいくだろうか。

自分のしたことが、自分にも跳ね返ってくると思う。
嫁いびりをした姑は、嫁に逆襲されるだろうし、
姑を虐待した嫁は、自分も嫁に痛い目に遭わされる。
しかし、姑に尽くしたのに、嫁には邪険に扱われる不幸な人もいるだろう。
姑をいじめ、さらに嫁をいじめる強い人もいるだろう。
子供を一生懸命、愛情かけて育てたのに、子供に冷たくされる親、
手抜きで育てた期待しない子供なのに、その子に思いがけない手助けを受ける親、
その他いろいろ、方程式通りにはいかないこともあるだろう。
相性もある。

ひとつ言えることは、相手に見返りを期待したり、
周りの圧力に負けて不本意な思いで行動するのではなく、
自分自身の自主的な意志で、能動的に行動すること。
かつて自分が受けてきた親からの愛情を、
子供やその周囲の人たちにお返しすること。
恩や愛情の、順送りバトンタッチ。それは自然な流れだ。
(親に虐待されて育った子供は、負のバトンタッチ、児童虐待をする。)

頭ではそう考えていても、老化して、すっかり変わってしまった
別人のようになってしまった親に、愛情を持って接することができるだろうか。

自分は、介護ゼロで、ぽっくりいきたい。
誰もがそう望んでいるだろうが、でも、そんなに甘くない。
人の世話にならずに死ぬなんてことは、できないだろう。
せめて周りの負担を少しでも少なく、人生を終えたい。
しかし親には、そんなことを望んでは、罰が当たりそうだ。

悲惨な現実が襲ってきたら、全く違うことを言っているかも知れない。
頑張っている人には、頭が下がる。

江戸の美

2009-03-04 | 展覧
細見美術館開館10周年記念展 日本の美と出会う-琳派・若冲・数寄の心-
京都の細見美術館コレクションの中から90点をセレクトした展覧会に足を運んだ。

1代目の細見良氏は、丁稚さんから毛織物業界で身を起こした、昭和の実業家。
あの頃は、毛織物業界の人は、政府の後押しもあったのだろうが、
飛ぶ鳥の勢いで、ものすごく儲かったようだ。
初代さんは、飲む打つ買う、といった遊びを全くしない、仕事以外は、美術一筋の人。
仕事人間で、遊びを全くしない美術大好きという点は、私の父と、とても似ている。

2代目は、毛織物業界衰退もあったのだろうか、初代のコレクションを引継ぎ、美術商に。
今、3代目にバトンタッチし、60年余りかけて集めた美術品の数々の中から
今回は、珠玉の琳派・若冲と江戸絵画の代表作、そして茶の湯関連を厳選。

その中でも、酒井抱一が気に入った。
優美な花、植物、生き物をとても優しいタッチで描く。
酒井抱一は、姫路藩主家十五代・酒井忠恭の子、忠仰の次男として江戸で生また。
芸術を愛する家風の影響も色濃く受けて育ったが、33才で早々に隠居し、
兄亡き後、37歳で出家した。
大名の子でありながら、吉原の遊女を身請けしたり、風流人として独自の世界を築いた。
この金魚は、なんとなく、おもかわやさしい(面白・可愛・優しい)ので印象に残っている。

会場では、若い方の姿は見かけられなかった。
ジャンルとしては、弾ける若さは、ない。
静かな世代の、悟りの絵??

ちなみに、作品を熱心に見ていると、年配女性が
「あ、これ、家にあるわ。あら、これも、あれも。こんなのも、あったわよね~」と。
ご自慢ですか・・・?
いや、同じものは、二つとないはず・・・。
贋作か、似たような時代の流行品か。
おそらく同時代の骨董品が、おありなのだろう。

また別の高齢女性、学芸員のごとく、説明して歩くのが、気になった。
つい聞いてしまう。
さらに、これまたお年を召された方々が、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。
50年ぶりの同窓会ではないのだから、
なにもあんなに、会場の真ん中で、立ったまま、まとめておしゃべりしなくても・・・
喫茶店にでも入って、甘いものでも食べながら、お話されたほうが、楽しいのでは?

とは言え、皆さん、お年だし、お年寄りは大切にしないと・・・。
江戸時代の日本画は、今まであまりじっくり観たことがなかったので、
とりあえずは、まず、観ることから始めるということでは、よい勉強になった。

これで私も一歩、じわり、お年寄りの仲間入り・・・・?