蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

失敗作

2020-02-20 | 無題
最近、熱烈ファンになったエッセイ・ドイツブログ。
なぜ、あんなにも写真が美しいのか、わかった。
色に対するこだわり、だ。
色彩感覚が、鋭い。
感性もいろいろあり、音!という人もる。ミュージック。
嗅覚や舌の感覚がスゴイ人もいるが、あの方は、色!
同じ視覚から受ける印象でも、カタチからインスピレーションを受けることもあるだろう。
が、色!

人の第一印象が色で伝わる、入る、という彼女の記事を読み、道理で、、、納得した。

写真。
単に、良いと感じシャッターを押したというものだけでない、被写体を捉える目には、想いがあり、いくつもの要素が重なっている。


例えば、英語が堪能だとする。
究極は同時通訳だとか、翻訳家だとかなのか。
自分が英語を使って何を話すか?ではない。
英語そのものに徹する場合と、
英語は手段、ツールである場合がある。
材料を揃える人と、料理する人に分かれる。

英語の中でも得意分野があるとする。
政治経済、科学、医学、薬学、映画(→これだけいきなり感)、、、その分野の第一人者は引っ張りだこ。
だが、第一人者ではなく、さらっと英語ができる、他もできる、何でも屋さんは、人数も多いが、質は落ちる。
なんでもできて、質も一流の人もいる。

英語が母国語なら英語が出来て当たり前。
ただし、思考力は英語力とは、別ものだが。
ちなみに、、、
母国語が英語の、生まれも育ちも英語圏、親も西洋人という人が、高度な専門的日本語をやり取りペラペラ話しているのをライブで見ると、英語が出来る日本人てなに?となる。
もし英語が出来ると自負している人がいるとすると、相当なレベルでないと恥ずかしい。
香港やシンガポールなら皆さん英語はペラペラ。
日本は島国なので、最近でこそ外国人の訪日人数が増えたものの、英語に接する機会は日常にはあまりない。

就職する場合は少しはメリットになる。
が、ドングリの背比べではあまり意味がない。
コミュニケーション能力や、折衝能力として語学能力が一部入っている分には、生かされてるだろう。

(しかし、わたしは、一人で外国で生活出来るだけでも十二分に素晴らしい語学能力だと思う。)


長々書いて、、、何が言いたいか?
得意分野や優れている分野があるとすると、その中でどう特化するか。
たとえば、語学を例に出すと、ひたすら一つのことに特化すると、翻訳家や語学の先生になる。
これに付加価値をつけるとする。
お笑いも出来る語学堪能ビジネスマン、ついでにアスリート、とか。
あまり広げ過ぎると、主力の「売り」が霞む恐れがある。

医学部と法学部を卒業する、ある一人のイケメン学生がメディアで紹介されていたが、医師、弁護士、両方の国家資格を取得してスゴイと思ったが、2つの学部を足すと、法医学になる?
それって、案外、ワクワク感が減少したりする。
スゴイもの同士を普通に混ぜると、ものスゴイかというと、期待するほどでもないような気がする。

一つの特技に、さらに特化した特徴を加える、そしてまた別の味を足していく、、、どんどん個性が強く深くなっていく。
専門性か、総合バランス味わい性か。
一つのことだけを追求していくのも素晴らしいが、自分の色を付けていくのが、わたしの理想だ。
あれもこれもバラバラに浅く広くではなく、コンセプトを決めて追求すると、統一感、調和が生まれ、感性や個性が花開く。
コンセプトは、自分が好きなもの、自分が良いと思うもの、興味があるもの、そういう自分の感性で自然に集まったものなら、無理矢理、頑張り感はない。
だが、理数系分野では、感性は、1番最後の段階。
基本を一つでも外すと次に進めないか、どこかで行き詰まると思う。

今日の記事、書きながら、自分のボキャブラリーの貧困さが、ひしひし感じられ、あまり楽しくなかった。
やはり、こういうことは得意な人にお任しよう。
時間の無駄使いとなったが、それで得たものは?
人にはわかってもらえなくても、自分は何かしら言いたいモヤモヤを仕分け、整理できたように思う。
だが、仕分けプロセスも、導き結論も、全然すっきりしないものとなり、どよ〜んとしている。
語彙不足と、突き詰める思考力不足、出して並べた仮説みたいなもの(材料、素材)をまとめて組み立てる能力不足。
お料理失敗、建築失敗。

また次の機会に出直そう。