ブログ村エッセイ、、、いろんな人が出たり入ったり。
つい最近、わたしのこころを吸いとられそうな、思考と行動の仕分け係みたいな、精神的・交通整理ナビゲーターみたいな女性が現れ、衝撃を受けている。
しかも、写真は、痺れる、、、
澄んだ街の光景に差し色が効いている。
異国の静かな佇まいに、こころが浮き彫りにされるようだ。
だが、共感のあまり、わたしの思考はピタリと止まってしまうのが、良いような、良くないような。
ところで、、、
わたしは新作映画を月に二回は映画館で観る。
わざわざ人混みに出向かなくてもよさそうなものだが、出かけたついでに、省エネ行動の一環か。
自宅で籠って観ないのは、自宅鑑賞は、本格的に籠るようになってからや、退院目処の立たない長期入院時にしようと、密室鑑賞はお取り置きしている。
期待も下調べもせず、予備知識ゼロで観る。
CGで作り込まれたものや、精巧な実写にも劣らないアニメなど、こころ動かされるものに出会う。
が、映像や音響を通して魂の叫びがこころ奥底に沈殿する前に、次々と次作を観るものだから、わたしの頭の中で記憶とテイストが、ごっちゃになっている。
キャッツと、フーテンの寅さんが同居。
飴を舐めながら焼肉を食べているようなもの?
独自の、わたしの、はちゃめちゃな感性を生み出している。
現実と空想、想像、創造が加わって、なにやらわからない不思議な世界を作り出す。
今も、自宅、ダイニングの目の前に見える二階まで高くそびえる木々の葉っぱが、風に弄ばれているのを見て、葉っぱで形成されたぬいぐるみが、快活にリズミカルに動いているように見えて、微笑みながら目で追っている。
そんな映画シーン、いくつもあったなあ、、、
長年、自宅に軟禁されていた、ミャンマーの指導者アウンサンスーチーさんみたいな状況に置かれても、けっこう、遊びは色いろありそうだなあと、にやにや。
(国際的活動家が活動期に自宅軟禁が15年にも及ぶと、そんなお気楽なことは言えないが)
というか、頭が変になっても、今とあまり変わらないような気がする。
ボーダレスかなあと。狂気?
優しい、ぼけ?
自然の光を浴び、風に吹かれた木々の葉がさやさやと揺れ、楽しいおしゃべりが脳内で繰り広げられる。
これ、ちょっと、いや、大いにヤバい。
なんの予定もない休日は、思いっきり解放感を満喫して、目や耳を通して、遊んでいる。
なぜかすごく楽しい、飽きない。
柔らかい陽射しは、最大のお友達である。(なんて書くと、ほんと、世俗と遮断されたアブナイ世界)
わたしは、いくつかの義務ワークと、イベントが少しあればよい。
それと、出番待機スタンバイ時間。
あとは、すべて自由の時空に身を置くと、こころは軽く暖く、ふわりふわり、、、
と、いつまでも抽象的な、わけのわからないことをだらだら書いていては、いけない。(と、誰が言った?)
ちなみに、
全然関係ないが、2019年末のM-1グランラプリ3位の漫才の「ぺこぱ」、すごく面白い。
身を乗り出しそうな大好きなノリ。
相手を否定しそうで否定しない、延々と続くあのツッコミが。
卓球やテニス、バトミントンで、敵のすごい強烈な球をしつこく、うんざりするほど、ほんとにしつこく返して、相手のミスを誘う戦法に少し共通点を感じる。
じつは、わたしも、そのタイプ。
決して攻めない、相手を否定しない、言い負かさない、勝たない。
ただたた相手に好きなようにさせる、存分に力を出させる。(あ、失礼。出していただく)
で、それで?
それで、全部?
相手がほとんど全力を出し切ったころに、相手の疲れや不注意からのミスを誘発させる。
一人で勝負していただく。
一人で攻めて、一人で疲れて、一人で手の内、使い果たし空っぽになっていただく。
でも、必ず、再生産はあるし、再生産は、最初とはまた違った味になるので、いい味、バージョンアップになる。
また、頼もしい別の新しい力が出ている。作り出される。
わたしも楽しませてもらえて、なにより。
良かったねー。
最後に、、、
今日、初めて知った、思いっきり声を出して笑った、ブログ。
面白い〜〜〜。
ブロガーさん、まだ学生さんなのに、感性って年齢じゃないんだ、と感激した。
斬新な出会いだった。