蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

mustではなくbest でもなく、better

2020-02-14 | わたし
こうでなければならない、と決め込むと、しんどい。
そうならなかった時、苦しい。

こうだったらいいかも、ぐらいで良い。
第2希望か、第3希望あたりで手を打つ。
余裕というか、選択肢を広げる。
脇目も振らず必死の人には、見えるのは目の前のものだけ。
だが、ここという時に集中するのは大事だ。

集中しても、目標に達しないことはよくある。
挫折する。
ボキッと折れる。
折れても再生出来るならよいが、それでおしまい、二度と復活ならず、傷は一生癒えない。

しかし、第一希望を目指して頑張ったことはどこかで活きるはず。
むしろ第一希望ばかりが実現すると、かえって恐いかも知れない。

いいんじゃない?
第2希望でも、第3希望でも。

ちなみに、子供たち。
全員、第1希望の学校には受からず、第2希望の志望校へ。
就職も第2希望。
結婚相手も第2希望。 

ついでに、わたし。
学校は第1希望。最後は志望校をうんと下げる。
結婚は、第3希望。
(望んだ相手は別の人だったけど、結果的には、条件的にわたしには1番バランスが取れていた相手になった)

やはり目標を定めるべき。
だらだら、成り行き任せでは、なりたい自分から遠ざかる。

わたしは自然体で無理はしないけれど、自分に対する理想はある。
理想に程遠いということは決してない。
第1希望ではないだけだ。
それなりに努力しないと、棚ボタでは知恵がなさすぎる。
非力は非力なりに、自分を活かせる方法を考える。
その思考法は、今ある自分のメリットを活かすこと。
イバラの道をわざわざ選ばない。
1番近道はどれかを考える。
結果的に回り道になってもいい。
とりあえず、なりたい自分になる方法を探る。
怠けに怠けた、ゆるゆるのわたしではあるが、その状態になれるように自分なりに努力した。
笑われるだろうけれど。
いいの。いいの。

実際、わたしを知る人は、わたしが努力していると言うと、どこが?と、あきれて笑うんだけど、失礼しちゃう。
あなた頑張っているね、と認めてくれる人などとんでもなく、手を抜いているのはお見通しなのか?

まあ、よろしい。
あえて、口に泡を飛ばして反論、力説する気はさらさらない。
そんなことをしたら、「あなたならもっと出来る。もっと頑張るべき!bestを尽くしてない」なんて、お説教されかねない。
これを「やぶ蛇」という。
頑張っている人をへんに刺激してはいけない。
はい、皆さま、ご苦労様です。

なんと言われようが、全然、気にしていない。
なんの努力もしていないように見えるなんて、ある意味、素敵じゃないかと思ったり。
暑苦しいのは、好まないので。

今日の、ブログ、つまらない。
自己認識アリです。
明日こそ、ベストなものを!
今日は第2.第3でもなく、「最も悪い」よりは、少しマシ、後ろから2番目ぐらいかと。
まあそんな日もあります。
ほとんどが、そんな日ですが。