こうでなければならない、と決め込むと、しんどい。
そうならなかった時、苦しい。
こうだったらいいかも、ぐらいで良い。
第2希望か、第3希望あたりで手を打つ。
余裕というか、選択肢を広げる。
脇目も振らず必死の人には、見えるのは目の前のものだけ。
だが、ここという時に集中するのは大事だ。
集中しても、目標に達しないことはよくある。
挫折する。
ボキッと折れる。
折れても再生出来るならよいが、それでおしまい、二度と復活ならず、傷は一生癒えない。
しかし、第一希望を目指して頑張ったことはどこかで活きるはず。
むしろ第一希望ばかりが実現すると、かえって恐いかも知れない。
いいんじゃない?
第2希望でも、第3希望でも。
ちなみに、子供たち。
全員、第1希望の学校には受からず、第2希望の志望校へ。
就職も第2希望。
結婚相手も第2希望。
ついでに、わたし。
学校は第1希望。最後は志望校をうんと下げる。
結婚は、第3希望。
(望んだ相手は別の人だったけど、結果的には、条件的にわたしには1番バランスが取れていた相手になった)
やはり目標を定めるべき。
だらだら、成り行き任せでは、なりたい自分から遠ざかる。
わたしは自然体で無理はしないけれど、自分に対する理想はある。
理想に程遠いということは決してない。
第1希望ではないだけだ。
それなりに努力しないと、棚ボタでは知恵がなさすぎる。
非力は非力なりに、自分を活かせる方法を考える。
その思考法は、今ある自分のメリットを活かすこと。
イバラの道をわざわざ選ばない。
1番近道はどれかを考える。
結果的に回り道になってもいい。
とりあえず、なりたい自分になる方法を探る。
怠けに怠けた、ゆるゆるのわたしではあるが、その状態になれるように自分なりに努力した。
笑われるだろうけれど。
いいの。いいの。
実際、わたしを知る人は、わたしが努力していると言うと、どこが?と、あきれて笑うんだけど、失礼しちゃう。
あなた頑張っているね、と認めてくれる人などとんでもなく、手を抜いているのはお見通しなのか?
まあ、よろしい。
あえて、口に泡を飛ばして反論、力説する気はさらさらない。
そんなことをしたら、「あなたならもっと出来る。もっと頑張るべき!bestを尽くしてない」なんて、お説教されかねない。
これを「やぶ蛇」という。
頑張っている人をへんに刺激してはいけない。
はい、皆さま、ご苦労様です。
なんと言われようが、全然、気にしていない。
なんの努力もしていないように見えるなんて、ある意味、素敵じゃないかと思ったり。
暑苦しいのは、好まないので。
今日の、ブログ、つまらない。
自己認識アリです。
明日こそ、ベストなものを!
今日は第2.第3でもなく、「最も悪い」よりは、少しマシ、後ろから2番目ぐらいかと。
まあそんな日もあります。
ほとんどが、そんな日ですが。