蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

恋愛について

2020-02-06 | オトコとオンナ
本日は、わかりやすい、なんの変哲もないタイトルにしてみた。
同じようなテーマの2つのブログを読んだ。
やはり、テイストには好き好きはある。

うーーん、と考えさせられた。
というか、文章の合間に合間に挟み込まれた写真、ショットが美しすぎて、はたと脳波が止まってしまう。
このブロガーさん、フォトグラファーかしら?
魅了されるのは、わたしだけではないはず。
目と脳とこころに、染みる。しばし静止。

まあ、それは良いとして。
継続は力なり、だが、諦めることはさらに難しい。
そういう内容。

ちなみに、わたし、モノフェチなので、モノに対する思い入れがハンパない。
例えばバスタオル。
長女がカナダ留学の際に持たせた、白地に花柄、両端には15センチぐらいずつ紺色一色。(わかりにくい説明)
これを帰りに荷物が多いからと、現地に放置して帰ってきた。
あのバスタオル、わたし、大事にしていたのに、、、。
もう一枚、またまたバスタオル。黄色でワッフル織。
アメリカからの交換留学生(高校生)のホストファミリーになった時、この男子が別の受け入れ家庭の娘さんに熱を入れあげ、その家に通った。
プールか、なにか忘れたが、バスタオルが必要だったのでバスタオルを持たせたら、その彼女の家においたまま、持ち帰らない。
あのバスタオル、お気に入りだったのに、、、。
歳下の高校生を弄ぶ、某一流企業総合職、社会人一年生の女子、罪作りだ。
というか、わたしのバスタオル、返してちょーだい!

と、セコイ話になってしまった。
あ、あと一枚。ピンクのイチゴ柄ミニタオル。
パリ、エッフェル塔、至近距離のアパルトマンに滞在した時、バスルームで忘れてきた。
あれ、新品だったのに、、、
あ、あと、あれ、、、、キリがない。

まあそれは良いとして、、、。
(思い出と共に、モノも忘れてきている)

なんの話だった?
そう、恋は、量ではなく質だと思う。
母や姑は、一生で一度きり、同一人物との関わり(結婚)。
父は、しょっちゅう、気の強い母を離婚したいとボヤいていた。
18歳の時に9歳年上の、近隣地出身の父と結婚した母。
結婚前も結婚後も、何にも知らない子供のままである。
子供のまま過ぎて、感情をコントロールすることも、言葉を選ぶことも出来ないので、わたしは実家から出られたことは、激戦地からの脱出であり、最大の喜びだった。
まあ、父も似たような、短気癇癪持ちなので、どっちもどっちだが、その間に生まれ、育つと、大変である。

まあ、それはそれとして。
一生にたった一人の男性!
今、母は、父の写真を見せても、この人誰?という。
わたしの嫁ぎ先住所や子供たち(孫)の勤務先は覚えていても。

まあそれは、それとして。
血が繋がらない夫なんて、そんなものだ。
血を分けないと、脳には沈殿しないようだ。
一生でたった一人、しかもその男性との間に沢山の子供を産んでいるにもかかわらず。
女性の、ある一面、実態である。
1番先に忘れるのか、、、
なんと幸せな母。

それはそれとして。
何人も恋をしたとしても、最後あたり、人生の終盤戦は、どれぐらい脳に刻まれているか。
直近だけの人か、1番長い期間の人か、1番想い、愛が強かった人か、1番印象に残った人か、、、

なんでもいいのだが。

ブログ記事内で、痺れる発想に触れた。
相手からどれだけの光を浴びるかではなく、いっそ自分で自分を発光させるのはどうか、と。
これは、素晴らしい。
こうなりたい。一人で生きる!

だが、わたしには最も出来ないことだ。
わたしは月。太陽の光がないと光らない。
いや、地球かも?
自転する間、太陽に照らされない闇の時間もある。
朝が来て夜が来て、、、
恋もそうだが、太陽は芸術のテーマだ。
と、こう書くと、まともに恋愛したことがないのが、バレバレである。

とは言うものの、一人ではやっていけないことは、痛いほど知っている。
生きていけない、と書こうとしたが、やめた。
生きては、いける。
イキイキと、やっていけないだけ。

美味しいものを知らないのは、もったいなさすぎる。
そのままでもいけるが、平坦、平常すぎる。
メリハリがあってこその平時。
こころは、弾んだり萎んだり、喜んだり悲しんだり。
プラスもマイナスもあり、いっそ、かき乱される根元を切ればどんなに安泰か。
が、切りたくても切れない、複雑な要素をいっぱい同梱している。
例えば、不倫は幸せにはなれない、という価値観、道徳観。
国によっては、死刑もありえる。
いったん、離婚してからなら良いのか。
結婚、離婚、結婚、離婚、、、エリザベス・テーラーのように繰り返し、青い鳥を探す。

私生児など、ひと昔前なら世間体はどんなだったか?
父なし子と、言われた時代。
差別と偏見の雨嵐。
今は、シングルマザーという位置付けが確立されている。
といっても、ワンオペでは子育ては大変だ。

昭和中期、戦後生まれのある女性Aは、不倫相手との子供を二人産んだ。
周りは、やんややんやの大非難。
その女性の姉B。見合い結婚をして正式な子供を二人産んだ。
今、Aさんは、息子さんは逆玉の輿婚で左団扇(表現が昭和、、、)。
勉強よりも、女性に対して能力を発揮したらしい。
そしてAさんは娘一家と住み、孫にも恵まれ安定の老後。
(その後、自分の住まいを娘一家に明け渡し、自分は一間の賃貸暮らしと聞く。
他から見えるものと、内側、色々あるんだろう)
一方、Bさんは、娘二人、一人は既婚、一人は婚外恋愛、二人ともノーキッズ。
つまり、非難轟々のAさんと、祝福されたBさん。この姉妹、半世紀後は?
子供を産んだモノ勝ちとは言わないが、子供ははっきりカタチとしてわかる。残る。未来に繋がる。
だが、あまり、子供、子供、と無神経に騒ぎたてると、悲しい思いをする人は必ずいる、デリケートな問題だ。

姑は、自分に子供がいるので、それが当たり前と思い(プライドにもなっていると見受けられる)、子供のいない人の気持ちや、状況、事情が全くわからない。
理解しようともしない。
自分の身に降りかからないことは、すべて、全く関係がない。別の世界。想像力が欠如している。
が、自分の身を守るための知恵である。
デリカシーのない発言をズケズケしていたが、戦中派だからまああんなものかと、時代背景から想像する。
と、非難するでも擁護するでもない、わたしのズルい立ち位置。
(ぺこぱ、好きだ〜)

と、文字数ばかりが増えている。
早く、〆ないと。
さあ。さあ、さあ、さあ。(掛け声ばかり、、、)

恋愛は、一人ではできない。
が、マイナスになるようなものなら切るとよい。
ひょっとして、相手が泣いてすがって、別れないでくれ、と言ってくるかも。
そこで、ズルズルいくのか、スカッとスッキリさせるのか、本人が決める、、、とは言うものの、情に流されることもあるだろうし、いや、それではまた悶々とした日々、、、
なんて、ぐるぐる、元の木阿弥。
理性と感情の出口のない、終わりない闘い。

流れに任せたら良いと思う。
自分のこころの声を聞いて、そのままに動く。
あとは神様に任せちゃえ!
丸投げは、楽で良い。
悪い結果になったとしたら、神様を逆恨みしたらよいのでは。
(無神論者のわたしは、お気楽)

なるようにしか、ならない。
なるように、なる。

わたしの恋愛論、お粗末過ぎて笑える。