雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

小さな小さな物語  目次

2025-01-04 07:59:43 | 小さな小さな物語 第三十一部

       『 小さな小さな物語  目次  』


     NO.1821  正解はどれ?
        1822  トランプ氏の米国
        1823  やはり野に置け
        1824  好事魔多し
        1825  相性や如何に

        1826  人生の疑似体験
        1827  二匹の猫
        1828  お米が高すぎる
        1829  経営の神様
        1830  さまざまな顔

        1831  エンゲル係数の理論内に収まる生活
        1832  未熟な未熟な四字熟語
        1833  国家の崩壊
        1834  二人の歌聖
        1835  三人寄れば文殊の知恵

        1836  来るものは希望
        1837  一つの出発点
        1838  人は優しくもなれる
        1839  日暮れて道遠し
        1840  新年のご挨拶

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穏やかに三が日を終える

2025-01-03 17:58:04 | 日々これ好日

   『 穏やかに三が日を終える 』

   当地に この三日間は ほぼ快晴
   今日も 箱根駅伝に どっぷり浸かり
   悲喜こもごもを 楽しませていただいた
   世間は 九連休にまだ二日残しているが
   あすから ぼつぼつ日常に戻ろう
   と 思ってはいるが・・

              ☆☆☆

 

 

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若宮たちの成長 ・ 望月の宴 ( 131 )

2025-01-03 07:59:16 | 望月の宴 ④

     『 若宮たちの成長 ・ 望月の宴 ( 131 ) 』


さて、小一条大将(藤原済時)の中の君と申し上げるお方は、宣耀殿女御(センヨウデンノニョゥゴ・娍子)の御妹君で、父の殿も母の北の方も、この女君の御身の振り方を、どうともなさらないうちにお亡くなりになったので、なんとか姉の女御殿に劣らぬような御身の上になりたいとお考えになって、ご自身の意志で、東宮の御弟の帥宮(ソチノミヤ・冷泉天皇の第四皇子敦道親王)に意中をお伝え申し上げ、やがて、帥宮はこの女君を南院にお迎えになられたが、年月を経るにつれてお気持ちが冷めていき、和泉守道貞の妻(和泉式部のことで、その熱愛ぶりは『和泉式部日記』に記録されている。)に夢中になり、この女君を振り向きもしないというお扱いになり、居づらくなったため小一条の祖母北の方(祖父の妻、藤原定方の娘。)の御許にお帰りになってしまった。

ところが、東宮も宣耀殿女御も、「この二人のことを、こちらが口をきいて仲立ちしていれば、どれほど聞きづらい事だったか。知らぬ事なので、気持ちが楽だ」とお思いになり口にもなさった。
御幸いのほどは、同じご姉妹とは見えないほどである。
和泉式部のことは、故弾正宮(敦道親王の兄の為尊親王)もたいそう熱愛なさっていらっしゃったので、帥宮も故兄宮の後を受け継いでいらっしゃるのだろう。
故関白殿(道隆)の三の君である帥宮の北の方も、一条辺りで納得出来ない有様でお過ごしである。また、小一条の中の君も、どうなることかと世間で噂されているようである。

こうしているうちに、六条の宮(具平親王。村上天皇の第七皇子。長女が頼通の室。)がお亡くなりになったので、左衛門督殿(頼通)がすべてお世話申し上げるのもお心通りであり、感に堪えない御事であった。

ところで、花山院が崩御なさったので、一条殿の四の君(為光の四女。花山院の妾だった。)は、鷹司殿に移り住んでいらっしゃったが、殿の上(道長の室・倫子)が何度もお便りなさって、御邸にお迎えして、姫君のお相手役にお付け申されたが、殿(道長)が万事につけお世話申し上げていらっしゃったが、そのうちに情愛をお寄せになるようになっていった。
そして、家司などもみなお定めになって(正式な妻の一人として、世話をする担当者を定めた。)、正当な立場としてお扱いなされたので、然るべき有様で、何不自由なくお過ごしになったので、花山院の御時には、出家の御身で女性の許に通うのを不愉快に思われて、四の君のご兄弟たちも関知しない態度をなさっていたが、この度のことは良い事と大切に接せられている。

中宮(彰子)の若宮(敦成親王)は、たいそう可愛らしくなられて、あちこちと走り回られている。今年三歳におなりである。
四月には、殿(道長)が一条に設けられた御桟敷で、若宮に賀茂祭の行列をお見せになられた。
たいそうふっくらとして色白で愛らしく美しいので、斎院(選子内親王。村上天皇皇女。)が前をお通りになるとき、大殿(道長)は、ご覧になられますか、と若宮をお抱きになって、桟敷の御簾をかかげていらっしゃると、斎院の御輿の帷(カタビラ)の間から、御扇を差し出されなさったのは、若宮をご覧になられたのであろう。

やがて日が暮れたので、翌日に斎院から、
『 光いづる あふひのかげを 見てしかば 年経にけるも うれしかりける 』
とあり、御返しとして殿の御前は、
『 もろかづら 双葉ながらも 君にかく あふひや神の しるしなるらん 』
とお申し上げになった。

若宮と今宮(敦良親王)が、続いて走り回っていらっしゃるのを、並々ならぬ功徳を積まれた御身とお見えになる。その母である中宮を、殿はたいそう貴いお方とお思いであるが、当然のことと思われる。

     ☆   ☆   ☆  

 

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正月二日目 早くも・・

2025-01-02 18:32:31 | 日々これ好日

     『 正月二日目 早くも・・ 』

    正月二日 近くの神社に初詣
    古いお札をお返しし 新しいのを頂戴する
    あとは ひたすら箱根駅伝を楽しむ
    自分まで走っている気持ちに なっているわけではないが
    食欲旺盛 正月二日にして 体重はピンチライン・・

                   ☆☆☆ 

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萌え出づる春 ・ 万葉集の風景

2025-01-02 12:57:53 | 万葉集の風景

     『 萌え出づる春 ・ 万葉集の風景 』


 石走る 垂水の上の さわらびの
       萌え出づる春に なりにけるかも

                          作者  志貴皇子

( 巻8 - 1418 )
      いはばしる たるみのうえの さわらびの
              もえいづるはるに なりにけるかも

歌意は、「 岩の上を力強く流れる 滝の辺りにある わらびの新芽が 萌え出る春になったなあ 」


* 作者の志貴皇子(シキノミコ・668? - 716 )は、天智天皇の第七皇子です。
天智天皇の後継者である大友皇子と大海人皇子(天武天皇)が戦った壬申の乱は 672 年のことなので、志貴皇子はまだ幼く、戦況に影響を与えることはなかったでしょうが、皇位は天武系へと移行しました。

* 679 年、天武天皇が吉野に行幸したとき、妻である後の持統天皇も列席させて、天智・天武の六人の皇子を集めて、皇位をめぐる争いを戒め協力し合うことを誓わせました(吉野の誓い)。志貴皇子も加わっていましたが、これは二人の子である草壁皇子を次期天皇にさせるための宣言のようなものでした。
685 年には、冠位四十八階が定められ、吉野の誓いに参加した皇子たちはそれぞれ叙位を受けましたが、志貴皇子は受けることが出来なかったようです。年齢のためか、それとも何らかの思惑があったのかもしれません。

* 天武・持統朝においては、さしたる官位官職を得ることはなかったようです。これは、天智天皇の皇子であることが警戒されたものか、志貴皇子自身が目立つことを避けた面もあったのかもしれません。
異母姉にあたる元明天皇の御代になって、三品、そして二品と皇族として相応の位を受けていますが、政務に影響を与えるような地位には就いていません。
皇位をめぐる激しい争いは、多くの悲劇を生んでいますが、志貴皇子はそうした修羅場を避け続けた生涯だったのかもしれません。そして、それゆえに和歌などの世界に身を置くことが多かったのでしょうが、掲題の歌に見るように、力強くみずみずしい歌をどのような思いで詠んだのでしょうか。

* しかし、天命はこの皇子に大きな役務を託していたかのように見えます。
志貴皇子が亡くなってから54年後に、子息の白壁王が第四十九代光仁天皇として即位するのです。
実に六十二歳での即位で、これにより、天武天皇から称徳天皇まで九代続いた天武系王朝は終焉を迎え、皇位は再び天智系に戻り現代に伝えられているのです。
泉下の志貴皇子がどうお思いか分りませんが、歴史上大きな意味を担った皇子であったことは確かなことでしょう。

     ☆   ☆   ☆

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おだやかに新年始まる

2025-01-01 18:28:13 | 日々これ好日

     『 穏やかに新年始まる 』

    美しい初日の出を 拝ませてもらった
    日の出時間は 当地は ほぼ快晴
    ところが お日さまが顔を出すあたりだけは
    少し雲がかかっていて その間を縫って
    雄々しい姿を 見せてくれた
    まったく雲のない姿も良いが 
    少し雲がある方が 完璧過ぎず 
    むしろ 穏やかな一年を 導いてくれそうだ
    おせちを頂いたあとは ひたすらニューイヤー駅伝
    ただ 午後の 能登の犠牲者追悼式は 辛かった

                 ☆☆☆

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新年のご挨拶 ・ 小さな小さな物語 ( 1840 )

2025-01-01 08:00:00 | 小さな小さな物語 第三十一部

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
新しい年が、皆様方にとりまして穏やかな一年でありますよう祈念申し上げます。

いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。
拙い記事ではありますが、勝手気ままに書き続けたいと考えております。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

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