江戸時代の庶民生活をテーマにした小説が好きで、よく読ませていただいております。
九尺二間の裏長屋暮らしの人々の生活が舞台になる事が多く、八丁堀の与力や同心、十手持ちの親分やその手先など、長屋の住人には、様々な職人や棒手振、傘張りなどの内職に励む浪人、そして舞台回しに大きな役割を果す元気いっぱいの女将さんたち、そうした人たちの世話役の大家さんは、大体がケチで小うるさく、そのくせほろっとさせるような人情家・・、と言った人たちで、様々な事件が展開していきます。
そうした長屋の住人の職業の中で、飲食店に通う女性は登場しますが、大店に通う男性というのは、まずおりません。
江戸時代には、よろずやはあったようですが、スーパーマーケットはありませんから、小売店の種類は多く、それらに商品を卸す問屋の数も多かったようです。当然そこには、大勢の店員が勤めていましたが、その多くは住み込みで、通勤が許されるのは番頭などかなり上級職の人に限られていて、そうした人は裏長屋に住んだりしなかったようです。
小売商にしろ問屋業にしろ、その店員は、丁稚奉公から勤め上げるのが普通で、中年になって勤めるなどというのは、責任ある仕事を任せてもらえなかったようです。
また、名のある大店となりますと、丁稚として採用されるのは大変難しかったようですし、江戸店以外に本店があるような大店では、丁稚を採用するのも本店のある国から連れてくるようで、よほど身元がしっかりしていなくては採用されなかったようです。
採用される年齢は店ごとに様々のようですが、12歳(数え年)ぐらいが多かったようですが、それからの5,6年くらいは給金はなく、年2回の藪入りの数日以外は休日もなく、時々もらえる小遣いやチップのような物だけの生活のようでした。
その代わり、質素な物ですが衣食住の心配はなく、読み書き算盤なども教えてもらえ、家族同様の身元の保証もなされたようです。
「『石の上にも三年』という言葉もあるように辛くても辛抱するのだよ」と、丁稚奉公に出るまだ幼い少年たちは、親や世話人たちに言われながら故郷を離れて、まだ見ぬ江戸に向かう、と言うシーンもよく登場してきます。
そこで、今回のテーマである「石の上にも三年」という言葉ですが、関西などの「いろはかるた」に使われることもありよく知られていますし、現在でも使われることがあります。
この言葉の意味は、辞書によりますと、「(石の上でも3年続けてすわれば暖まるという意から)辛抱すれば必ず成功するという意」とあります。
この言葉には語源のような逸話もあるらしく、古代インドの修行者が石の上で長い間座禅をして悟りを開いた、と言う物からきているらしいのです。
つまり、本来この言葉は、「辛抱すれば必ず良い事があるよ」と前向きな意味を持っているのですが、小説の中や、日頃の中で使われる場合でも、「三年ぐらいは辛抱しなくてどうするのだ」といった根性論で使われる例によく出会います。
まあ、言葉の意味などは、時代によって変遷して行く面がありますから、余り向きになる必要などありませんが、丁稚奉公に向かう幼い子どもにとっては、「辛抱すれば必ず良い事があるよ」と、「いくら辛くてもじっと辛抱するんだよ」とでは、かなり違うような気がします。
それにしても、石の上に三年すわるというのは、これはなかなか大変なことですよ。
もちろん、この「三年」というのは、正確な期間のことではなく、「長い時間」を指しているのでしょうが、年寄りにとっての三年はあっという間ですが、少年にとっての三年は気が遠くなるような時間かもしれません。
AIが話題になることが多いですが、その性能の根源は半導体の能力でありCPUの演算能力を如何に向上させるかなど世界中が血眼になっています。
こちらは如何に短い時間で一動作が行えるかの競争ですが、古代インド哲学の時間には「劫(コウ)」という単位がありますが、この長さは諸説ありますが、例えば、「一辺4000里(2000kmh位らしい)の大岩に、100年ごとに天女がやってきてその衣で撫で、大岩がすり減って完全になくなっても劫には及ばない」とあります。
私たちは、このような表現しようもないような長い時間と短い時間に包まれて生きています。しかし、現実に意識するのは、あと何分であったり、もう一時間過ぎてしまったなどといった程度で、「来年の話でさえ鬼が笑う」と聞き流されてしまいます。
これをどうとれば良いのか分らないのですが、とりあえずは、一日、一日、ですか・・・。