『 地獄を見てきた男 ・ 今昔物語 ( 20 - 16 ) 』
今は昔、
文武天皇の御代に、膳広国(カシワデノヒロクニ・伝不詳)という者がいた。豊前国宮子郡の小領(ショウリョウ・郡の司の一つ。次官クラス。)である。
その人の妻は先に死んでいたが、慶雲二年( 705 )という年の九月十五日に、広国がにわかに死んだ。
ところが、三日を経て活(ヨミガエ)り、側の人に語った。
「私が死んだ時、使者が二人やって来た。一人は髪を結い上げてて、一人は髪を束ねた小童だった。私はこの二人について行ったが、二つの宿駅を通り越して行くと、道の途中に大きな河があった。橋が架かっている。金できれいに塗られている。
その橋を渡って行くと、行く手に極めて楽しげな所があった。私はこの使者に『ここは、どういう所ですか』と訊ねると、使者は『渡れる南の国だ』と答えました。その所には、八人の官人がいて、皆、剣を帯(オ)びた武人であった。
なお進んで行くと、金色の宮殿があった。門から入って見れば、王が在(マ)します。黄金の椅子に座っていらっしゃる。
王は私を見て仰せになった。「今、汝を召したのは、汝の妻の訴えによるものだ』と言って、すぐに妻を召し出した。
召し出された者は、私の昔死んだ妻でした。頭の上に鉄釘が打たれていて、釘の先は額まで通り、額に打たれた釘は頭の頂まで通っていました。また、鉄(クロガネ)の縄で両手両足を縛り、八人の者が担ぎ上げて持ってきたのです。
王は私に訊ねました。『汝はこの女を知っているか否や』と。
私は、『この者は、私の昔の妻です』と答えました。
王はまた仰せになりました。『このような罪を受けている訳を知っているか否や』と。
私は、『私には分りません』と答えました。
すると、今度は女に問うと、女は、『わたしが昔死んだ時、お前さんはわたしを惜しがってくれず、さっさと家から出してしまわれたので、それが恨めしくて訴えたのです』と言いました。
王はこれを聞くと私に向かって、『汝には罪がなかった。速やかに家に還るがよい。汝の妻が、死んだ時のことを以てつまらぬ訴えをした。これは不当である』と申されて、さらに、『もし、汝が父に会いたいと思うなら、ここから南の方に行って会うがよい』と仰せられました。
そこで、言われたように行って見ると、まことに我が父がおりました。
とても熱い銅(アカガネ)の柱を抱かされて、立っていました。鉄の釘三七本がその体に打ち立てられていました。また、鉄の杖で以て、朝に三百回、昼に三百回、夕べに三百回、合わせて九百回打たれ責められていました。
私はこれを見ると、悲しくて、父に訊ねました。『あなたは、如何なる罪によって、このような苦しみを受けているのですか』と。
父は、『わしがこの苦しみを受けているわけを知っているか。わしは生前、妻子を養うために、ある時には生き物を殺し、あるいは八両(量は重さの単位。)の綿を人に貸して、強引に十両に増やして責め取り、あるいは小さな斤の量(コンノハカリ・当時、品物により大小違う秤があった。)でもって稲を人に貸して、大きな秤でむりやり返させ、あるいは人の物を奪い取り、あるいは他人の女を犯し、あるいは父母に孝養を尽くさず、上役を敬わなかった。あるいは奴婢でない者を奴婢と称して罵り打ったりしたが、このような罪のために、我が身は小さいが、三十七本の釘を打ち立てられ、毎日九百回、鉄の杖で以て打ち責められている。何と痛いことか、何と悲しいことか。いつになったら、わしはこの罪を免れて、安らかな身になれるのだろう。
お前は家に返り、速やかにわしの為に仏を造り、写経し、わしの罪をのぞくようにしてくれ。
ところで、わしが大蛇になって、七月七日の日にお前の家に入った時、お前は杖に引っかけて外に棄てた。また、わしが赤い犬になって、五月の五日という日にお前の家に入った時、お前は他の犬を連れてきて噛み付かせて追い払ったので、わしは腹を空かせて返った。また、わしが猫になって、正月の一日という日にお前の家に入った時、お前は飯や様々なご馳走を存分に食わせてくれた。それによって、三年間食いつなぐことが出来た。
また、わしは兄弟の長幼のしだいを無視したために、犬に生まれ変わり、不浄の物を食い、返って自らその汁を出した。(この部分の意味、よく分らない。)わしはきっと赤い犬になるだろう。
およそ人は、米一升を人に施せば、その報いに三十日分の食糧を得るものだ。衣服一揃えを人に施せば、その報いに一つ(「霊異記」では一年分)の衣服を得るものだ。僧に経を読ませると、東方の黄金の宮殿に住み、願いのままに天上界に生まれることが出来る。仏・菩薩の像を造る者は、西方の極楽に生まれることが出来る。放生を行えば、北方の浄土に生まれるだろう。一日持斎(ジサイ・正午を過ぎて食事を摂らないという戒律を守ること。)すれば、十年の食糧を得るのだ』と言いました。
このように、善悪の業を造ることによって得る報いの様子を見て、恐れおののきながら返ってきて、もとの大橋のもとに来たが、門番の者が道をさえぎって、『この中に入った者は、決して出ることは出来ない』と言う。
そこで私は、しばらくうろついていると、一人の小童が現れた。門番はその小童を見ると、ひざまずいて礼拝した。その小童は私を呼んで、片方の脇門の所に連れて行き、その門を押し開いて、私を連れ出し、『汝は、速やかにここから還りなさい』と言う。私は、『いったい、あなたはどなたですか』と訊ねると、『汝が我を知りたいと思うのであれば、それは、汝が幼い時に書写し奉った観世音経だと思いなさい』と答えて、門の中に還った、と見たと同時に、蘇生したのだ」と広国は語ったのである。
その後、広国は、冥途で見た善悪の報いを詳しく記録して、世間に広めたのである。
人はこれを知って、悪を止め善を行うべきである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆