『 この日暮れなば 』
いづくにか 我が宿りせむ 高島の
勝野の原に この日暮れなば
作者 高市黒人
( 巻3-275 )
いづくにか わがやどりせむ たかしまの
かつののはらに このひくれなば
意訳 「 どの辺りで 宿を取ろうか 高島の 勝野の原で この日が暮れてしまったら 」
* 作者の高市黒人(タケチノクロヒト)は、持統・文武天皇の頃の人物です。生没年は未詳ですが、あの柿本人麻呂より少し遅れた時代の人のようです。
高市氏は、現在の奈良県橿原市辺りの一族であったようですが、黒人は下級の官人として過ごしたと考えられます。行幸に供奉したり、公務としての旅らしい経験を舞台にした歌が多く、地方官の経験もあったのでないかと思われます。
* 黒人の歌は、万葉集に18首採録されていますが、すべてが短歌です。
掲題の歌は、「羈旅の歌八首」として並べられているうちの一首です。この八首以外の物も旅での経験が詠まれており、「旅愁の歌人」、「漂泊の歌人」などといった評価がなされることが多く、その淡々とした、静かでそれでいて現代人にさえ訴えてくるような何かがあり、歌人として高い評価をする研究者も少なくないようです。
* 掲題歌の舞台は、「高島の勝野の原」ですが、この所在地について一部異説もあるようですが、「滋賀県高島市勝野」に歌碑が作られていますので、そちらを有力と考えました。
それにしても、この歌には、何のてらいもなく、大した技巧も感じられず、それでいて何か惹かれるものがあるような気がするのです。
公務としての旅だとすれば一人旅ではないでしょうが、当時、例え公務であっても下級役人に用意されている宿泊施設など限られていたでしょうから、どこかの農家か、原野の真ん中であれば、野宿も珍しくない旅だったのではないでしょうか。そうした覚悟での旅程なのかもしれませんが、「さて、こんな所で暮れてきてしまったぞ」と、相談しあっている声が聞こえてくるような気がするのです。
黒人は、万葉の一風景を私たちに伝えてくれているのかもしれません。
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