雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

まだ評価は早い

2020-08-29 18:50:19 | 日々これ好日

      『 まだ評価は早い 』

   安倍首相の辞任表明から 一夜が明けて
   各国からも メッセージが伝えられている
   外交辞令として割り引く必要はあろうが
   ごく一部を除き 好意的なコメントが多い
   外交面での活躍ぶりは 評価されるべきであろう 
   国内でも 様々な論評が出されているが
   国内政治の評価となれば 今少し時間を置くべきだと思う
   それにしても おべっか過ぎる意見もどうかと思うが
   「お里が知れますよ」と言いたくなるような
   憎々し気な意見を述べる人がいるのは 
   どうにも理解が出来ない 
   

                 ☆☆☆

コメント (3)
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夢や夢

2020-08-29 08:08:06 | 新古今和歌集を楽しむ

     夢や夢 うつつや夢と 分かぬかな
             いかなる世にか 覚めんとすらん   

                 作 者   赤染衛門

( No.1972  巻第二十 釈教歌 )
        ゆめやゆめ うつつやゆめと わかぬかな
                  いかなるよにか さめんとすらん


* 作者は、平安時代中期の女流歌人。( 956 ? - 1041 ? ) 行年は八十歳を超えていたと考えられる。

* 歌意は、「 夢が夢であるのか 現実が夢なのかと 区別がつかないのです どのような世に 目覚めようとしているのでしょうか 」といったもので、作者の作品の多くに流れている仏教思想が強く感じられるものの一つであろう。

* 作者 赤染衛門の父は赤染時用とされていて、現在にも「赤染衛門」として伝えられているが、その出生にはいささかのトラブルがあったようだ。赤染衛門の母にあたる女性は、平兼盛と結婚していたが離縁後赤染時用と再婚し、間もなく衛門を産んだ。このため、平兼盛が衛門の親権を主張し、訴訟にまで至ったという。結局、衛門は赤染家の娘として育つが、当時の婚姻関係は現在とはかなり違っている中で、訴訟までして親権を得ようとした平兼盛の真意は那辺にあったのか興味深い。

* 赤染衛門が文章博士大江匡衡と結婚したのは、二十歳を過ぎた頃ではないかと推定できるが、夫婦仲は大変仲睦まじいものであったらしい。二男一女を儲けている。
また、源雅信邸に出仕したことから、その娘で藤原道長の正妻の倫子に仕え、さらにその関係から一条天皇の中宮となる娘の彰子に仕えることになる。一条天皇の御代は、平安王朝文化の絶頂期であり、多くの女流文学者を輩出した時期でもある。中宮定子と、遅れて中宮となる彰子のもとには、本人たちの意向ではなく当時の才女が集められたが、それは、藤原道隆の中関白家と藤原道長の御堂関白家との壮絶な権力闘争の手段の一つとしてでもあった。
そうした中から、わが国全体の歴史の中でも際立つ女流文学者である、和泉式部、紫式部、清少納言などが生まれているが、赤染衛門もその一人である。

* 現代の私たちからみれば、紫式部の源氏物語や清少納言の枕草子などが高く評価されがちであるが、当時の女性の文学・教養といった面から見た場合、最も重視されたのは「和歌」であったと考えられる。
和歌の上手に順位を付けることは難しいが、例えば、勅撰和歌集に採録されている歌数を参考にするとすれば、赤染衛門は97首(異説もある)選ばれていて、和泉式部、相模に次ぐ第三位に位置していて、その実力のほどが分かる。
また、推定ではあるが、赤染衛門は彰子の誕生の頃から養育に関わっていた可能性があり、年齢も、これも推定であるが、同じく彰子に仕える和泉式部や紫式部より二十歳ほど年上であり、彰子との関係もより濃密であったとも考えられ、彰子に仕える女房たちの中で特別な地位を占めていたようにも思われるのである。

* 良妻賢母と評されるほどの良き妻良き母であったようであるが、その夫・大江匡衡とは、1012年に死別している。赤染衛門が五十歳代半ばの頃であった。
また、赤染衛門の歌風は、並べ称されることが多い和泉式部の圧倒されるような情熱に対して、温厚で優雅なものと評されることが多いが、特に夫と死別して以降からは仏教的、運命的な影響が強い作風になっているようである。
1041年の歌合に出詠した記録があるが、ほどなくして世を去ったらしい。最期まで宮中近くで和歌に関わっていたと考えられる。
また、「栄花物語」という女性によって書かれたとされる歴史文学書があるが、その作者は確定されていないが、正編30巻、続編10巻のうち、正編については赤染衛門の手によるというのが有力である。
この事も加えれば、赤染衛門こそがこの時代の女流文学者の最高峰のような気がするのである。

     ☆   ☆   ☆

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