オバマ大統領の広島訪問が無事実現しました。。
伊勢志摩サミットからオバマ大統領の広島訪問と緊張を強いられる外交日程が無事終了したことは何より良かったと思います。
サミットの成果については様々な評価がされているようですが、今回はオバマ大統領の広島訪問について考えてみたいと思います。
今回の訪問の結果についても、世界各地で様々な論評がなされている様ですし、わが国内でもその評価にかなりの差があるようにも思われます。しかし、総じていえば、この訪問自体を好意的に伝えているものの方が多いようです。
そもそも、現職大統領の広島訪問は、アメリカ国内では私たちが考えている以上に難しい問題であったようです。様々な政治的な問題が絡んでいるのでしょうが、その最大の要因は、訪問することが謝罪につながるということであったようです。言葉や態度で表さないとしても、現職大統領が広島の原爆慰霊地に立つこと自体が、アメリカの原爆投下を謝罪する表現と取られることに反対する人々が少なくないからです。
わが国内にも、あの残虐な核兵器を使用したことに謝罪を求める声は少なくありません。
これに関してもわが国内の意見も分かれていると思いますが、誤解を受けることを懸念しながらもあえて申し上げますと、あれは戦争の中で起こった出来事であることを忘れてはならないと思います。広島・長崎で大変な数の人が亡くなりました。しかし、太平洋戦争での死者は、兵士・民間人を合計すれば、全世界でどのくらいになったのでしょうか。世界中が狂乱状態にあったと思わざるを得ませんし、わが国がその中心の一つであったことは確かなことです。
戦争に関わらず、およそどのような事件であっても、個々の人にとって、時にはすべてを消し去ってしまうことになります。恨みを消すことは簡単なことではなく、許すなどと表現するのも横柄な気がします。
しかし、第二次世界大戦に関してだけに絞って言えば、謝罪を受けたい場面も少なくないと思われます。同時に謝罪を求められている場面はさらに多くあります。それらについて、わが国としては謝罪もし償いもしてきたと思っていても、未だ不十分、あるいはまったくなされていないと非難されていることが幾つもあります。
それらに関して言い訳したい部分もありますが、人間というものは、受けた痛みはなかなか忘れないが、与えた痛みは案外忘れやすいものなのです。私たちは、そのことも承知する必要があるようです。
オバマ大統領所感の全文を読んでみました。その立場で発言可能なぎりぎりの表現を使っているといった意見もありますが、和訳されたものを素直に読んでみて、率直に、広島を訪問してもらってよかったと思います。
オバマ大統領は所感の中で、「私が生きているうちに、この目標(核兵器のない世界)を達成することはできないかもしれないか゜・・」と本音を述べながら、「たゆまない努力が破滅の可能性を少なくすることはできます」と続けています。
もしかすると、今回のこの訪問が、核兵器という今や人類自身では制御不能と思われるような脅威を、少しでも減少に向かわせる第一歩になるかもしれないような気もするのです。もしそうであれば、私たちはこの日の出来事を、「広島の奇跡」として記憶するのではないでしょうか。
( 2016.05.30 )
伊勢志摩サミットからオバマ大統領の広島訪問と緊張を強いられる外交日程が無事終了したことは何より良かったと思います。
サミットの成果については様々な評価がされているようですが、今回はオバマ大統領の広島訪問について考えてみたいと思います。
今回の訪問の結果についても、世界各地で様々な論評がなされている様ですし、わが国内でもその評価にかなりの差があるようにも思われます。しかし、総じていえば、この訪問自体を好意的に伝えているものの方が多いようです。
そもそも、現職大統領の広島訪問は、アメリカ国内では私たちが考えている以上に難しい問題であったようです。様々な政治的な問題が絡んでいるのでしょうが、その最大の要因は、訪問することが謝罪につながるということであったようです。言葉や態度で表さないとしても、現職大統領が広島の原爆慰霊地に立つこと自体が、アメリカの原爆投下を謝罪する表現と取られることに反対する人々が少なくないからです。
わが国内にも、あの残虐な核兵器を使用したことに謝罪を求める声は少なくありません。
これに関してもわが国内の意見も分かれていると思いますが、誤解を受けることを懸念しながらもあえて申し上げますと、あれは戦争の中で起こった出来事であることを忘れてはならないと思います。広島・長崎で大変な数の人が亡くなりました。しかし、太平洋戦争での死者は、兵士・民間人を合計すれば、全世界でどのくらいになったのでしょうか。世界中が狂乱状態にあったと思わざるを得ませんし、わが国がその中心の一つであったことは確かなことです。
戦争に関わらず、およそどのような事件であっても、個々の人にとって、時にはすべてを消し去ってしまうことになります。恨みを消すことは簡単なことではなく、許すなどと表現するのも横柄な気がします。
しかし、第二次世界大戦に関してだけに絞って言えば、謝罪を受けたい場面も少なくないと思われます。同時に謝罪を求められている場面はさらに多くあります。それらについて、わが国としては謝罪もし償いもしてきたと思っていても、未だ不十分、あるいはまったくなされていないと非難されていることが幾つもあります。
それらに関して言い訳したい部分もありますが、人間というものは、受けた痛みはなかなか忘れないが、与えた痛みは案外忘れやすいものなのです。私たちは、そのことも承知する必要があるようです。
オバマ大統領所感の全文を読んでみました。その立場で発言可能なぎりぎりの表現を使っているといった意見もありますが、和訳されたものを素直に読んでみて、率直に、広島を訪問してもらってよかったと思います。
オバマ大統領は所感の中で、「私が生きているうちに、この目標(核兵器のない世界)を達成することはできないかもしれないか゜・・」と本音を述べながら、「たゆまない努力が破滅の可能性を少なくすることはできます」と続けています。
もしかすると、今回のこの訪問が、核兵器という今や人類自身では制御不能と思われるような脅威を、少しでも減少に向かわせる第一歩になるかもしれないような気もするのです。もしそうであれば、私たちはこの日の出来事を、「広島の奇跡」として記憶するのではないでしょうか。
( 2016.05.30 )