雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

広島の奇跡 ・ 小さな小さな物語 ( 859 )

2016-10-12 13:39:30 | 小さな小さな物語 第十五部
オバマ大統領の広島訪問が無事実現しました。。
伊勢志摩サミットからオバマ大統領の広島訪問と緊張を強いられる外交日程が無事終了したことは何より良かったと思います。
サミットの成果については様々な評価がされているようですが、今回はオバマ大統領の広島訪問について考えてみたいと思います。

今回の訪問の結果についても、世界各地で様々な論評がなされている様ですし、わが国内でもその評価にかなりの差があるようにも思われます。しかし、総じていえば、この訪問自体を好意的に伝えているものの方が多いようです。
そもそも、現職大統領の広島訪問は、アメリカ国内では私たちが考えている以上に難しい問題であったようです。様々な政治的な問題が絡んでいるのでしょうが、その最大の要因は、訪問することが謝罪につながるということであったようです。言葉や態度で表さないとしても、現職大統領が広島の原爆慰霊地に立つこと自体が、アメリカの原爆投下を謝罪する表現と取られることに反対する人々が少なくないからです。
わが国内にも、あの残虐な核兵器を使用したことに謝罪を求める声は少なくありません。
これに関してもわが国内の意見も分かれていると思いますが、誤解を受けることを懸念しながらもあえて申し上げますと、あれは戦争の中で起こった出来事であることを忘れてはならないと思います。広島・長崎で大変な数の人が亡くなりました。しかし、太平洋戦争での死者は、兵士・民間人を合計すれば、全世界でどのくらいになったのでしょうか。世界中が狂乱状態にあったと思わざるを得ませんし、わが国がその中心の一つであったことは確かなことです。

戦争に関わらず、およそどのような事件であっても、個々の人にとって、時にはすべてを消し去ってしまうことになります。恨みを消すことは簡単なことではなく、許すなどと表現するのも横柄な気がします。
しかし、第二次世界大戦に関してだけに絞って言えば、謝罪を受けたい場面も少なくないと思われます。同時に謝罪を求められている場面はさらに多くあります。それらについて、わが国としては謝罪もし償いもしてきたと思っていても、未だ不十分、あるいはまったくなされていないと非難されていることが幾つもあります。
それらに関して言い訳したい部分もありますが、人間というものは、受けた痛みはなかなか忘れないが、与えた痛みは案外忘れやすいものなのです。私たちは、そのことも承知する必要があるようです。

オバマ大統領所感の全文を読んでみました。その立場で発言可能なぎりぎりの表現を使っているといった意見もありますが、和訳されたものを素直に読んでみて、率直に、広島を訪問してもらってよかったと思います。
オバマ大統領は所感の中で、「私が生きているうちに、この目標(核兵器のない世界)を達成することはできないかもしれないか゜・・」と本音を述べながら、「たゆまない努力が破滅の可能性を少なくすることはできます」と続けています。
もしかすると、今回のこの訪問が、核兵器という今や人類自身では制御不能と思われるような脅威を、少しでも減少に向かわせる第一歩になるかもしれないような気もするのです。もしそうであれば、私たちはこの日の出来事を、「広島の奇跡」として記憶するのではないでしょうか。

( 2016.05.30 )
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一から出直す ・ 小さな小さな物語 ( 860 )

2016-10-12 13:37:41 | 小さな小さな物語 第十五部
犯罪を犯してしまった人から、「一から出直します」というコメントが出されたと報じられています。
犯罪に限らず、本来なら私的な問題で、世間様から厳しく糾弾されるような問題でない場合でも、著名人の場合はそういうわけにもいかず、法的な制裁よりはるかに大きな罰を課されることは少なくありません。世間の人気で飯を食っているのだから当然だという気持ちもしますし、数百年も昔の村社会における「村八分」と同じなのではないかと同情してしまう部分もあります。
しかし、犯罪であれば罪を償い、犯罪に至らなくても迷惑をかけたのであれば謝罪するのは当然として、一つの失敗がすべてを失わなければならない社会というのは、やはりどこかが歪んでいるような気もします。

ところで、最近では「一から出直す」という代わりに、「ゼロから出直す」という言い方もよく耳にします。「一」より「ゼロ」の方が少ないから、より神妙な姿を表現しているのだということらしく、むしろ「ゼロ」の方が優勢みたいな気もします。
本来の日本語としては、「一から出直す」というのが正しいと思うのですが、この場合の「一」というのは「最初から。物の始まり」を表現していると思うのですが、「ゼロ」の場合は、「何もない。皆無」といった感じよりも、「一よりもさらに少ない」といった意味のようで、さらに神妙さを表すためにか、「マイナスから出直す」といった言葉も使われているようです。「一」を数字として捉え、もっと少ないという競争をしている感があります。

いずれにしても、それまで積み重ねてきた富なり地位なり交友なりを投げ捨てて、あるいは失ってしまって、「一から出直す」ということは簡単なことではないようです。
言葉の表現としては簡単に使えますが、実際に、これまでのすべての財産、たとえそれが借金の方がはるかに多いものだとしても、あるいは、それまでの様々な人間関係、たとえそれが苦しい時に離れていったような人ばかりだったとしても、何もかも断ち切って、新しく生きて行くことなど出来るのでしょうか。
「一から出直します」「ゼロから出直します」「マイナスから出直します」など、表現は違っていても、今日からの苦しい始まりを覚悟しての言葉だと思うのです。どの言葉を選ぶとしても、着実な一歩一歩を進めてくれることを祈りたいと思います。

少し言葉のニュアンスは違いますが、私たちには、時には、「何もかも白紙の状態にしてしまいたい」と思うことはあるのではないでしょうか。
「悪夢のようなこの瞬間が夢であれば」「せめてあの日に戻ることが出来れば」などと、そのような事が出来ない事は百も承知の上で、ふと思うことがあるのではないでしょうか。
立派だと言われるような人生を送っていると自負している人も、平々凡々な人生だと思っている人も、よくもこれほど苦しみが続くものだと思っている人も、やはり、それぞれに、思わぬ出来事、予期せぬつまずきといったことはあるのではないでしょうか。
重大な岐路やピンチに立った時、「一から出直す」という心意気は良しとしても、人生は、ゲームのように簡単にリセットできるものではないはずです。
しょせん私たちは、あらゆるしがらみを背負って、酸いも甘いも噛みしめながら歩いて行くしかないような気もするのです。

( 2016.06.02 )
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小さな小さな物語  目次

2016-10-12 13:23:24 | 小さな小さな物語 第十五部
          小さな小さな物語  目次

     No.861  ひとつの「いのち」
        862  勝敗ライン
        863  イライラする
        864  イチロー選手の快挙
        865  栄冠は無くとも


        866  どう選ぶのか?
        867  国家の意思決定
        868  イギリスが手本
        869  リーダーを選ぶ
        870  普通程度


        871  社会的制裁
        872  選挙結果を受けて
        873  平均台を渡る
        874  賞味期限
        875  こんな人に一票を


        876  GO,GO,GO !!
        877  経済効果
        878  朱に交われば赤くなる
        879  物価上昇目標
        880  晩節を穢す
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ひとつの『いのち』 ・ 小さな小さな物語 ( 861 )

2016-10-12 13:22:31 | 小さな小さな物語 第十五部
今月三日の朝、五月二十八日から行方不明になっていた小学二年生の男の子が発見されたというニュースは、何と表現すれば良いのか分からないほど嬉しく、関係者の方々、とりわけ本人である男の子に拍手を送りたいと思います。
この事故が発生して以来、報道機関は大々的に取り上げ、世間でも様々な意見が交錯したようです。
発見に至るまでの警察・消防・自衛隊などを中心とした捜索は規模も大きく、自衛官が横に手をつなぐようにして、それこそ一寸の隙間も見逃さないように原野に入って行く姿は、テレビの報道だけで胸が熱くなりました。
そして、無事発見ということで、ドクターヘリが病院に到着するときの映像などは、何だかんだと文句は言っていますが、「ああ、私たちの国は素晴らしい」としみじみと感じました。

七歳の男の子が、薄着で食物も持たず、夜間の温度がまだ低い山林に迷い込み、六日間を水だけで堪えて無事保護されたというニュースは、海外にも伝えられ、中には速報として伝えた所もあったそうです。
多くは快挙として伝えられたようですが、中には、保護責任についての意見もあったようです。何でもアメリカなどは、まだ幼い子供を放置するということに対しては特に厳しい見方がされていて、そうした非難も少なくなかったようです。
国内においても、著名な評論家が、「これはしつけではなく、虐待だ」といった意見を述べられたり、「いや、このまま育って、電車などに石を投げつける子供になったらどうするのか」と、強く父親を擁護する意見もありました。
本コラムでは、この面に関する意見は差し控えさせていただきますが、七歳の少年の頑張りが、本人自身はもちろん、それ以上に父親を救ったことに拍手喝采したいと思います。

『いのち』という言葉を使う時、多くの場合、私はその文字を選ぶのに思案します。『いのち』が良いのか、『命』が良いのか、『生命』が良いのかと。たいていの場合、一生懸命考えるほどの問題でないようなのですが、やはり、この言葉には重さを感じるのです。
「人の命は地球より重い」などという表現が用いられることがありますが、個人的にはあまり好きな表現ではありません。「あの子の命を返してほしい」などという痛切な声は、他人事であっても切ないものです。取り返すことも、何かに代用したり、何かと比較することなど出来ないものはきっとたくさんあると思うのですが、命はその代表なのかもしれません。
今回の男の子を捜索するニュースは、『いのち』の重さや切なさを、ずしりと伝えてくれたように思います。

無事発見された時の、男の子が自衛官からもらったおにぎりを手にしている写真は、本当に素晴らしい写真だと思いました。おそらく、あの写真で、心が豊かになったり、いつもより少しばかり優しくなったり、心の奥にしみてくるような力を貰った人は、私だけでなく数多くいたのではないでしょうか。
このところ、苦々(ニガニガ)しい事件に、憎々しい笑顔で苦々しい言葉で対応する姿を散々見せられてきただけに、その思いはひとしおです。
願わくば、これまでも男の子に様々な経験をさせるなどして育ててきていると伝えられる父親が、自信を無くすことなく、男の子と、男と男の末長い付き合いを続けてくれることを祈っています。

( 2016.06.08 )
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勝敗ライン ・ 小さな小さな物語 ( 862 )

2016-10-12 13:21:24 | 小さな小さな物語 第十五部
「勝敗ライン」という言葉は、何も選挙専用の言葉ではないのでしょうが、他ではあまり使われないようです。
プロ野球などでも似た言葉が使われますが、たいていは「優勝ライン」と言った意味で、勝率が50%以上なら勝敗ラインを越えているともいえますが、あまりそのような使われ方はしないようです。また、当然ですが、1対1での戦いの場合もあまり使われません。最近のニュースなどでは、アメリカの大統領予備選挙で、獲得代議員数が「勝敗ライン」つまり指名獲得まであと何人と再三報道されました。

さて、この言葉の活躍場所は、わが国の参議院選挙に移りました。
早速に、各党代表者や報道機関などが様々な「勝敗ライン」を披露しているようです。なかなか手の内を見せないのも選挙戦略の一つだと思うのですが、伝えられている数字を見てみますと、なかなか興味深いものがあります。
首相は、与党で、つまり自民・公明で今回の改選定員の過半数が「勝敗ライン」としているようです。首相は大変厳しい数字を「勝敗ライン」として、消費税引き上げ延期の民意を問いたいと言っているようです。民意を問うということであれば、過半数の支持を得ることが指示を受けたということになるのですが、参議院議員を選ぶのには、他の選択肢もありますから微妙です。それと、首相が発言された与党で改選議席の過半数という数字が、ご本人は、本当に厳しいと思っているのか、その程度は取れるでしょう、と思っているのかで、かなり様子が違ってきます。
野党第一党の代表は、改憲を推進する勢力の参院での2/3を阻止するのが「勝敗ライン」らしいことを発言されたようで、そうだとすると、もしかすると、与党も野党も「勝敗ライン」を突破して、両方が勝利するということもありそうです。

「勝敗ライン」などというものは、もっと明確に勝・敗を区切るラインだと思うのですが、実際の社会においては、微妙なところにラインを引くということはあるようです。
海外のことになりますが、大接戦となっていたペルーの大統領選挙は、どうやら決着がついたようですが、その差が「0.何%」という結果のようで、すばらしい選挙戦であったと言えないことはありませんが、これほど拮抗したところに「勝敗ライン」があったとなれば、今後の国政運営は大変ではないかと、他国のことながら心配してしまいます。
また、イギリスでもEUからの残存・離脱を決める国民投票の予想が大接戦になっているようで、これも「勝敗ライン」が50%に近くなればなるほど、どちらが勝っても今後の政権運用は大変ではないでしょうか。

多数決は民主主義による政治運営の最も基本的なものです。
しかし、その勝敗の分疑点、つまり「勝敗ライン」が高くなればなるほど意見は対立していることになりますから、その後の融和は難しい課題となります。「2対8」とか「3対7」ほどの差がつく場合には、なるほど多数決はすばらしい手段だと思うのですが、「50.01対49.99」などの場合は、多数決で決めてよいのかどうか考え込んでしまいます。わが国でも、重要とされる案件には、多数決ではなく、2/3の賛成が必要とされる制度が見られるのは、このあたりのことを配慮してのことかと思われますが、それはそれで、どうも民主的でないような気もします。
さらに言えば、間もなく行われる参議院選挙の場合でも、そもそも一票の格差など選挙制度が公平なものかという問題もあります。「もっとすっぱりと人口割にすればよい」という意見もあれば、「大都市選出の議員ばかりになって、わが国の広い海域を護ることが出来るのか」という意見もあります。選挙制度、定員の割り振り、などを考えるだけでも、どうも多数決は万能ではないような気がしてならないのです。
何か、魔法のようにすばらしい「勝敗ライン」の設定方法はありませんでしょうか。

( 2016.06.11 )
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イライラする ・ 小さな小さな物語 ( 863 )

2016-10-12 13:19:52 | 小さな小さな物語 第十五部
何だか、イライラして仕方がないんです。
何がって、某知事に関する一連の報道ですよ。都議会議員との一問一答だというので、それなりの進展があるのかと思っていましたが、びっくりするような事は起こりませんでした。冒頭部分の一時間余りは、馬鹿みたいにテレビに釘付けにされていましたが、何だか知事にエールを送っているのではないかと思われるような気がして、ますますイライラがつのってしまいました。

私は東京都民ではありませんし、某知事に対して、これまで特別尊敬していたわけでもなく幸い著書を読んだこともありませんので、ここしばらくの情けない姿を見せられても特別裏切られたような気持はありませんし、個人的な恨みなど全くありません。
それにもかかわらず、一連の報道を見ていると、無性にイライラしてしまうんですよ。

まあ、わが国の首都と言われている街の市民の方々が選んだのですから、そうそうや簡単に辞めさせられるような仕組みがあるようではまずいでしょうから、少々のことは辛抱しなくてはならないのかもしれません。それに、さすがに多くの人の推挙を受けて首長となるだけあって、人格的に少々見込み違いがあったのかもしれませんが、あの粘り強い根性は並のものではないようです。
しかし、いくら強い心臓を持っているからと言って、少なくとも、リオ・オリンピックへ大会旗を受け取りに行かせるようなことだけはさせないようにしてほしいと思うのです。無給でも続けたいほど知事の椅子に未練があるようですが、ますます趣味を生かす場にするのではないかと心配してしまいます。絶対にリオには行かせないよう、都議会議員の方々は知恵を絞ってくださいよ。
私は都民ではないので関係ないかもしれませんが、リオに行かせたりすれば、わが国の代表だと誤解する人も出てきますからねぇ。

家の前を、毎日のように二匹の犬を散歩させている人がいます。朝早いので、毎日出会うわけではありませんが、大きな黒犬と小さな小さな白っぽい犬とを連れているのです。大きな黒犬はのっそりとしていておとなしく、私にも寄ってきてくれます。小さな白い犬は勝気そうで、大きな犬をリードしているように見えます。その組み合わせが何ともかわいらしくて、出会った日は気持ちが晴れるような気がします。
イライラした気持ちをあの黒犬にぶつけるのは申し訳ないと思うのですが、どうも他に方法が見当たらないのですよ。

( 2016.06.14 )
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イチロー選手の快挙 ・ 小さな小さな物語 ( 864 )

2016-10-12 13:16:43 | 小さな小さな物語 第十五部
米大リーグで活躍するイチロー選手が、15日(日本時間16日)の試合で2安打を放ち、日米通算で4257安打を達成しました。
これは、米大リーグの最高記録を上回るもので、ついに世界一に到達したと日本のテレビでは速報されました。私も野球は好きなスポーツですし、イチロー選手をオリックス時代に見たこともありますが、大のフアンというわけではないのですが、この朝の試合は早朝にもかかわらず見てしまいました。
何でもイチロー選手は、日米を通じて現役の日本人野手としては最年長だそうで、それを聞くにつけ、体型やプレーぶりのはつらつさに、達成した記録のすばらしさはもちろんのこと、人知れぬ日々の節制の凄さのようなものを感じました。

この快挙に、アメリカ国内の報道は少々温度差があるようです。
概ねは好意的なものが多いようですし、達成の直後にはチームメイトから祝福を受けたと報じられていました。その一方で、米大リーグでの記録を持っている元選手は、「やがては、高校野球時代のヒットの数も加えるだろう」と、揶揄しているような発言をしたとも報じられています。日本のプロ野球のレベルは、明らかに米大リーグよりレベルが低いので、通算させることなど意味がない、というわけです。
少々憎々しいですが、この種の理論は常に出てくることで、ある一面は真実と思われ、むきになって反論することはないと思います。
ただ、ひとこと言わせてもらうとすれば、「もし、イチロー選手が最初から米大リークでデビューしていたらこんなものではない」と思いますし、反対に、「アメリカに行かず日本のプロ野球で続けていたら、とてもこれほどのヒットは打てなかった」とも思うのです。

落語のネタではありませんが、「虎とライオンのどちらが強いか」といった比較論は、子供の時ほとんどの人がしたのではないでしょうか。
もっとも今の子供は、「白鵬と雷電では、どちらが強いか」「大谷投手と沢村栄治投手とは、どちらの球が速いか」などといった比較をして遊んだりはしないのかもしれません。こんな例を挙げると、「雷電って何?」「沢村栄治って誰?」と聞かれてしまうかもしれません。

横道にそれてしまいましたが、比較というものはなかなか難しいものです。
米大リーグと日本プロ野球を比べた場合、まあ、相当の差で米大リーグの方がレベルが上だというのが大多数の意見ではないでしょうか。しかし同時に、全体のレベルと、個々の選手の能力というものは別です。日本のプロ野球チームが米大リーグに加わって、簡単に優勝できるとは思いませんが、限られた一部の選手が、イチロー選手とまではいかなくとも、相当の活躍を期待することは出来ると思うのです。
世界一だ、世界一だと騒ぐのも大人げないと思いますが、イチロー選手の記録は世界中の野球界にとって快挙だと思うのです。
それはそうと、比較することは難しいのは分かりますが、次の知事は候補者をしっかりと見定めてくださいよ、東京都民の皆さん!!

( 2016.06.17 )
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栄冠は無くとも ・ 小さな小さな物語 ( 865 )

2016-10-12 13:15:16 | 小さな小さな物語 第十五部
昨日、NHKの朝の番組の中で、ちょっとした感動をいただきました。
高校野球にまつわるニュースなのですが、中京地区の高校野球の名門校二校が親善試合をしたというものでした。出場選手は、夏の全国大会予選のベンチ入りメンバーに入れなかった三年生で、全員かどうか分かりませんが、これまで一度も背番号をつけて公式試合に出たことのない選手ばかりで試合が行われたそうです。
立派な大きな球場で、出場する選手はそれぞれ希望の背番号を付けられたようで、「1」や「3」や「6」といった番号の選手が何人もいるのです。両校の関係者や生徒を中心に大勢の観戦者がつめかけ、応援団も本格的で、あるチームの応援団長は、チームのキャプテンがつとめていると報じられていました。
放送はドキュメント風に仕上げられた短い物でしたが、少々胸が熱くなりました。

野球に限ったことではありませんが、高校生という多感な年代にあって、レギュラーどころか控えの選手としてさえ公式試合に出られないレベルでありながら、三年近くを懸命に練習を続ける姿を思い浮かべると、何とも切ないものです。
たまたまですが、前回の当コラムは「イチロー選手の快挙」を取り上げました。彼とても、高校野球時代はレギュラーではあったでしょうが、頂点に立ったという実感はなかったことでしょう。その後のたゆまぬ努力と、様々な出会いもあって、今日の立場に立ったのでしょうが、努力ということでは、親善試合に出ていた選手たちも懸命な努力をしてきたはずですし、様々な出会いもあったはずです。

若い頃、というより幼い頃に近い頃、スポーツで、控え選手にも成れないのに高校生活の最後まで選手を続ける人の気持ちが理解できませんでした。どこかで見限る決断が出来ないのだと思っていたからです。
しかし、年を重ねるとともに、レギュラーに程遠い状態にありながら一つのことにひたすら打ち込んだ三年間は、きっと何かを教えてくれるのではないかと思うようになりました。
残念ながらと表現すべきかどうか迷うのですが、人にはそれぞれ能力差があるものです。こと、野球に絞って考えてみても、いくら努力を重ねようとも、誰でもがイチロー選手になれるはずもなく、誰でもが160km台の速球を投げられるわけではないと思うのです。

神の為されることは公平であり、人の才能は同等であると考えたい気持ちもありますが、少なくとも、個々の分野においては明らかに優劣差はあります。「努力さえすればたいていのことは成就できる」と主張される人もいるようですが、そもそも「努力する」こと自体も、差のある才能の一つのような気がするのです。
夏の高校野球の地区予選が始まります。一試合行われるごとに勝者が生まれ、敗者が涙を流します。試合の数だけ敗者は生まれ、八月が終わる頃には、たった一チームを残して、すべてのチームが涙を流すチームとなるのです。栄冠を手にするのはたったの一チームなのです。
しかし、本当にそうなのでしょうか。確かに優勝旗を手にするのは一チームでしょうが、散っていったチームのそれぞれに、悔し涙を流した選手それぞれに、ベンチ入りさえできなかった選手それぞれに、何かを得る機会はあったでしょうし、ぜひとも何かを掴んでほしいと思うのです。
スポーツに関わらず社会で生きている限り、優勝劣敗の厳しい部分を経験することは避けられません。しかし同時に、華々しい栄冠を手にした人だけが特別な物を得られるということでもないような気もするのです。
人の能力には差があると私は考えていますが、栄冠が無くとも生きて行けるというのも私の考え方の土台になっています。

( 2016.06.20 )
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どう選ぶのか? ・ 小さな小さな物語 ( 866 )

2016-10-12 13:13:52 | 小さな小さな物語 第十五部
いよいよ参議院選挙が始まりました。
今回の選挙は、これまでにない新しい制度や戦法が採用されていて興味深い点があります。
その最大のものは、選挙権が十八歳に引き下げられたことです。何でも、全国で約二百四十万人だそうで、選挙結果そのものにもそれなりの影響を与えることでしょうが、それ以上に若者の政治参加、政治への関心などがどのように示されるのか注目されているようです。

この他にも、島根県と鳥取県、徳島県と高知県が一つの選挙区となり、今回の選挙では議員が選出されない県があるというのも初めての試みです。
また、消費税引き上げの再延期について、国民に対する約束を破ったことに対して、この参議院選挙で信を問うと首相が発言されていましたが、衆議院選挙ではなく参議院選挙で信を問うというのも珍しい発言ではないでしょうか。
これに対して、野党側は候補者を絞り込むことで対抗しているようです。野党協力がどの程度の効果を上げるのか、野党の内のどの党が得をするのか、これも興味あるところです。

テレビでは、公示前から党首討論会とか、各党の有力者による討論などがしきりに行われていました。某知事のドタバタ劇に押され気味でしたが、ようやく参議院選挙が表舞台に立てるようになった感じです。
それにしても、党首討論会とかの出席者の数、多すぎると思いませんか。自由に発言ができ、自由に政党を作ることが出来るのはわが国のすばらしさの象徴だとは思うのですが、中には、真剣に考えたのかと言いたいような政党名もあって、少々食傷気味になります。
こんなたくさんの政党の中から、何を基準にどこを選べばいいのでしょうか。いわんや選挙区の中から一人選ぶとなれば、真剣になればなるほど、どう選んだらよいのか迷ってしまいます。特に、昨今の、あまりにひどすぎる首長や議員の姿を見ていると、選ぶことが怖くなってしまいます。

そうとはいえ、新しく選挙権を得た人や若い人たちにはぜひ投票に行っていただきたいと思います。「何を基準に選べばよいのか分からない」などと言った後から「ぜひ投票に行きなさい」などと言えば、お座なりの正義感のようになってしまいますが、やはり、選挙権は民主政治の根幹だと思うからです。
「どう選ぶのか?」は、そうそう簡単には分からないものです。イッチョ前の意見を述べている人も、その多くは、何かで見たり聞いたりしたものの受け売りであったり、自分の利害に結び付けての意見なのです。それが悪いわけではありませんが、若い人には、重過ぎるほどの経験を積んだ人には無い鋭い感性で選択してほしいのです。
二十歳代の投票率は30%台だという信じられない統計結果があります。新しく選挙に加わる十代の人は約二百四十万人だそうで、全員が同じ党に投票したところで、比例代表での当選者を一人かせいぜい二人選ぶ程度の影響力だと言っている人がいました。
とんでもありません。選挙区での投票結果では、一万票未満で当落が決する例はたくさんあります。また、与党も野党も勝敗ラインらしいものを公言して熱弁を振るっていますが、この選挙期間中にどれだけの熱弁を振るっても、百万票の票を掘り起こすことができる人物などそれほどいませんよ。
若い人の投票行動が選挙結果を大きく動かす、というのは過大評価に過ぎますが、投票することで、たとえ一瞬であっても、社会参加の実感を体験することはできるはずですよ。

( 2016.06.23 )


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国家の意思決定 ・ 小さな小さな物語 ( 867 )

2016-10-12 13:12:16 | 小さな小さな物語 第十五部
イギリスの国民投票で、EU離脱派が勝利しました。
離脱派と残留派の支持率は拮抗していて、事前の世論調査も二転三転していたようで、ブックメーカーの賭け率が残留派有利となっているので、プロの調査より自前の金を賭けるブックメーカーの予測の方が正しいだろうと笑い話のような話もありました。実は、私もその通りだと思い、結局は残留することになるだろうと思っていました。
米国や日本などの市場も、私と同じ判断基準ではないでしょうが、直近の予想は残留有利と判断したようで、為替や株式市場はそのような動きをしていました。それだけに、離脱派が勝利すると決まった段階から市場は大荒れとなり、市場が開いていた日本の株式市場は大暴落となりました。

世界の経済や金融システムにどの程度の影響を及ぼすのか、テレビや新聞で紹介されている意見のほとんどは、びっくりするような目新しい意見はないようで、要は、これまで経験したことがない事例なので、よく分からないというのが本心ではないでしょうか。
経済面では、よく例に出される「リーマンショック」級の打撃を受けるという意見も強いようですが、短期的な戸惑いやEU諸国、あるいはイギリスと直接的な関係を持っている企業などは営業方針の変更を迫られる部分もあるでしょうが、「リーマンショック」とは性質が違うと思うのです。実際にイギリスがEUから離脱することになるのは、二年、あるいはもっと先のことなのですから、出る方も出られる方も、何らかの対策は取るはずですよ。株式市場の動向で言えば、離脱派が勝利した直後の株式市場は、主要国で最も下げ幅が小さかったのがイギリスですから、これをどう受け取ればいいのでしょうか。

今後の影響ということからいえば、イギリス国内の混乱を心配してしまいます。地域的な意見の差があれほどはっきり出てしまえば、またまた、分離独立などということが表面化してこなければいいのですが。それに、他のEU加盟国に同様な意見が台頭してくる懸念もあります。従来路線を手直ししなければならない部分が出てくるかもしれません。政治と経済は表裏一体ともいえのでしょうが、むしろ政治面での混乱の方が心配され、安全保障面や地球規模の力のバランスに影響が出ることが懸念されます。

それにしても、「国家の意思決定」がこのような国家を二分するような国民投票で決されることが正しいのでしょうか。彼の国は民主主義の神様のような国家ですから、余計な心配かもしれませんが、今回の決定が、EUに残留すべきか離脱すべきかという観点だけで国民のすべてが意思を示したのでしょうか。もっと他の要因で判断した人も少なくないような報道もあります。離脱・残留の本当の意味での是非は何年も先でないと分からないのでしょうが、「国家の意思決定」のあり方について考えさせられました。
わが国では国民投票なるものは実施されたことがありませんが、大阪市では大規模な住民投票がありました。これは一都市のことですが、国家の将来を左右するような判断は、どのようにするのが最良なのでしょうか。
少し観点が違いますが、裁判で原発の運転が差し止められた判決がありました。原発の是非は決して小さな問題ではありません。行政が判断した運転許可を、一地裁が差し止めることが出来るという体制も、何だか変な気がしました。やはり観点が違うかもしれませんが、「第三者委員会」とか「有識者会議」などと、誰が判断した第三者か有識者か知りませんが、何とはなく権威づけられることも、判断を誤る一因になることは少なくないように思うのです。
「国家の意思決定」はなかなか難しい命題ですが、とりあえず参議院選挙は真剣に考えるとしましょう。

( 2016.06.26 )
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