マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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白石興善寺十夜法要

2009年01月14日 07時03分21秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
お十夜の法要といえば、かつては十日十夜の連夜にわたり営まれてきた。

生活文化の変化によってほとんどのところでは短縮されて十日の一夜になっている。

奈良市都祁白石の興善寺もこの夜に営まれている。

日が暮れるころ、生御膳が供えられた本堂に檀家衆らが集まってくる。

両脇にお花と果物やお菓子を添えた生御膳。

料理されない生のままで造られるので生御膳と呼ばれている。

輪切りしたニンジンを螺旋状に串挿ししたもの(龍)とパズルのように組み合わせた半切りにしたカボチャは特異な形状(火炎)に造られている。

その前は秋の味覚のマツタケ。

松に添えられていて、シャレっけがあるお供えだ。

外陣の両柱には直径40cmもの大きな鉦が床机台(鉦座)の上に置かれている。

これは双盤鉦(そうばんがね)と呼ばれるもので、鉦を打ちながら称名念仏を唱える鉦講衆の大切な道具。

夜6時、羽織姿に興善寺の紋が入った袈裟をかけたふたりは台上に登った。

ゆったりとしたリズムではじまった称名念仏。

双盤鉦が叩かれると堂内にカーンと響き渡る。

お念仏をはじめに唱えるのは左手の頭(かしら)と決まっている。

しばらくすると相方の右手に移り、同じように念仏を唱えて鉦を叩く。

「ナァンマー」、カーン、「アー」、カーン、「イダァー」、カーン、「アー」、カーンと双方の叩くタイミングは同期がとられ協音する。

最初に行われたのは呼出鉦とされるもので、1時間後には十夜の法要がはじまりますよと地区への合図。

一時を経て講衆は部屋に籠もりお寺のまかない食をよばれる。

以前は朝方まで営まれていた十夜も徐々に短縮されて、今は日付けが替わるころまでに終える。

腹がもたんので食事となるわけだ。

団らんのひとときはあっという間。

そろそろ出番やなと本堂に登られ双盤念仏が始まった。

地念仏からはじまり、佛(ぶ)がけ念仏、陀がけ念仏、九つ鉦、七つ鉦、三つ鉦に連打の送り鉦。

打ち終わるころに導師が入堂され、着座されるところを見計らって鉦音が消えていく。

最初の営みは僧侶のありがたい法話だ。

親を思う心、我が子を思う心に「新亡供養」。

豊作稲の刈り取った新穀の御供は「収穫感謝」と墨書を高く掲げながらの説法は一時間。

「ナムアミダブー」と下堂の際にも双盤鉦が叩かれる。

一息入れたあとは塔婆回向の営みになる。

受け付けられた塔婆を一本、一本ずつお名前を唱える回向。

檀家の先祖も供養する先祖回向に参詣者はひとりずつ焼香されていく。

その後は再び法話。

そして本回向と続き、その入堂、下堂の都度双盤念仏が唱えられる。

本回向の際には回向鉦に光明文が唱えられる。

「ナァ」、カーン、「パイ」、カーン、「ダー」、カーン、「ハイ」、カーンに三つ鉦。

その次は総回向に「ナム」、カーン、「アミダブツー」、カーンと内外十念が唱えられ、送り鉦で打ち終える。

鉦講衆は導師の読経中も気を配り、蝋燭や内陣の荘厳にも注意をはらう役目もある。

鉦講のみなさん方によって営まれている十夜の法要。

締めくくりは百万遍数珠繰り法要とありがたい天得如来さんのオチョウダイ。

鉦講の人が持つ灯明に引導された天得如来さん。

背中を丸めて「シンタイケンゴ ナンマイダブツ」のご加護を受ける。

取材していた私も祈祷してくださり慌てて平服したオチョウダイ。

ありがたいことだ。

鉦講衆は代々引き継がれたものではなく、祖父や親父さんがやっていたことを絶やしてはあかんと自分自身の意志で入らせてもらったという人が多い。

長老は昭和50年ころからしているがその下はおよそ十数年前から加入。

もっとも若い人は30代後半で、講衆はたったの5人(一番多いときで7人だった)。

この子を見習ってもっと入ってくれたら嬉しいんじゃけどとおっしゃった。

(H20.11.10 Kiss Digtal N撮影)