マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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井戸野の行事

2009年01月17日 07時43分08秒 | 大和郡山市へ
6月に表敬訪問した井戸野の行者講の方から電話が入った。

服忌や氏神さんの祭りなんかで延び延びになっていた回り講が今月23日に行われるという。

月当番のお家で営まれるので事前に取材撮影の了解も得ないとならんかったんで今日になったというO大先達。

ちゃんと月当番のOさんにも了解とってるでとおっしゃる。

忘れてないでという言葉にありがたく電話口で頭を垂れた。

講元のM大先達さんも紹介してくださった。

神社で遊んでいた貝吹きの子どもたちと遭遇。

時間が決まったらおじさんにいうてやとお願いする。

その足で、今月20日に十夜法要が営まれる常福寺へも再訪問。

新穀に感謝する十夜を待つ祭壇には既にお米が供えられている。

檀家都合で毎年日にちは変わる十夜。

10時半から塔婆回向に法話、そのあと、赤飯(アズキメシとも)弁当が檀家に出される。

昔はオニギリにして配ったそうだ。

祀られている仏像話になにげなく振り向くと双盤鉦が目に入った。

十夜法要では鉦を打つことはないが葬儀のときには叩くという。

葬儀委員長が指名した鉦搗きさんが連打して一番鉦。

日の出のころに叩いて地区への呼び出し一番鉦。

二番鉦は導師が入堂の際に叩かれる。

三番は出棺のときで、感情こめて叩いたとOさんはおっしゃる。

刻印があったので、目をこらして拝見すると「元文二年」(1737年)の刻印があった。驚く住職とOさん。

目を輝かせたのは私だ。

「常福寺」や「念仏講」もの銘記を確認した。

おそらく矢田の念仏講が寄進されたのではないかと考えられる双盤鉦。

じっくりと文字を解読したいものだ。

話題はつきなく、井戸野には「ハツボサン」があるんやでという。

初穂でしょうかと聞けば、八つの塚の「ハツオウジ」さんだという。

「八坪さん」が訛った「ハツボサン」、祭礼は聞いたことがないというが、こんもりと盛り上がった塚などは後日に現認したい。

帰り際、これもありますよと涅槃図の写真。

赤色のお釈迦さんは珍しいでしょと住職はいった。

涅槃の会式は3月のいつか。

檀家の都合もあるのでそのときにならんと判らんという。

井戸野は古くからの集落で井戸之庄と呼ばれていた地。

掘り起こせばいくらでも民俗文化がでてきそうだが、行者講の日は仕事が入っている。

次回の楽しみとしておこう。

(H20.11.13 Kiss Digtal N撮影)

南河内のいのこ行事

2009年01月17日 07時41分07秒 | もっと遠くへ(大阪編)
いとこのねーちゃんからから「いのこ」をやっているでと電話が届いた。

今年6月に民俗博物館に来てくれたときに住んでいる大阪の南河内郡河南町にも大和郡山市の伊豆七条の福丸迎えと似ているのがあるんやと話していた。

そのことを思い出して電話してくれた。

行われるところは子ども時分の夏休みによく遊んだ加納。

訛ってかんのというてたところだ。ワールド牧場からちょっと離れたところに美しい段々畑が広がる地。

かってはここら辺りの地区ではほとんど行われていたが南加納だけが残っているという。

新米藁で作った棒を地面に叩いて地区60戸(全戸70軒、旧村60軒)廻る。

30年前までは男児だけで回っていたけど、少子化に伴って今は女児も参加している。

現代社会を反映して親もついていくようになったそうだ。

いとこの子どもの姪っ子、当時は参加でけへんかってんという。

およそ60年前のいのこはお菓子やミカン、あめちゃんもろうてたけど今は現金に替わったそうだ。

いのこは子どもらだけで各戸を巡って、終わってから分け前を分けわけして、正月のこずかいにするそうだ。

各戸の門口で「いのこ いのこ 重箱ひろうて 開~けてみれば ○○さんの□□□□ また祝いましょ 今年も豊作 来年も豊作じゃ」の台詞で囃す。

○○はそのお家の人の名前で、昔やったら例えば清兵衛さんとかいうたそうな。

□□□□は○ン○マていうてたけど替わっていることでしょうね。

今年は11月14日。

毎年開催日が変わるというから旧暦で決めているものと思われる。

夜暗くなる前に集まって行われるいのこの日はあいにく仕事が入っている。

故郷大阪の民俗行事は貴重なもの。

来年は是非とも訪れたいものだ。

(H20.11. 2 記)