マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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鷲家口宝泉寺天誅義士祭

2009年01月10日 09時02分25秒 | 東吉野村へ
武士が支配する国から天皇中心にしようとした倒幕急進派の志士たちは五條で決起。

代官所を襲撃したのち兵を募って十津川へ行くも離反あい成り。

戦局も次第に不利になり、退路を紀州勢に阻止されて最後の戦場地となった東吉野村へと向かったが彦根藩、紀州藩が待ち受けて壊滅状態に陥った。

義士天誅組の終焉地となった鷲家口では亡くなった志士たちを弔うべく墓所を設けたりして今でも祀っている。

彦根勢が篝火の代わりにお寺を焼こうとしたが和尚が阻止したという宝泉寺では、毎年11月5日の夜に法要が営まれている。

ごくまきなどもあった午前中の法要だったが平日は集まられんようになったと5年前からは夜間法要となった。

義士名を刻んだ位牌が祭壇に置かれ灯明に火が点されると静かに始まった。

今年は145回忌の年、東吉野村天誅組顕彰会の会長さんが追弔の詞として弔意の「祭文」を朗々と読みあげます。

集まった方々はひとりずつ祭壇に向かい焼香してきます。

同寺は戦死した義士や彦根藩士を祀る菩提寺。

僧侶は義士の名前を読みあげ供養されていきました。

法要のお下がりが配られるころ大阪からやって来た男性ふたり。

よくお参りに来てくださったと祭壇に手を合わせられた。

145年経っても落武者に優しい村人たちに感動して手を合わせたくなる夜です。

なおご住職は「幕軍囲繞 只中村 不動誠心 志士魂 奮迅縦横 天険拠 秋霜烈日 揺乾坤」(天誅組志士祭礼)と漢詩を詠み村誌に寄稿されている。

(H20.11. 5 Kiss Digtal N撮影)