山添村のとある大字で行われる正月行事取材に出かけた朝。
その日は雨が降っていた。
天理東からは名阪国道。そこからおよそ30分の処が目的地だった。
雨はいつしか霙混じりになった。
五ケ谷付近では雪になった。
このまま行けばどうなるのであろう。
前夜は暖かい日であった。
それぐらいの気温であれば雨交じりの雪になるだろうと話していた大塩の住民。
その言葉に期待を掛けて薄らと積もった五ケ谷を通過した。
この判断が甘かったことになるのである。
降る雪は見る間に道路を白くする。
前を走る車の跡がはっきりと判る。
滑ってはなんにもならないと思って速度を大幅に落とした。
傍を走っている車もそうしている。
スタッドレスタイヤは難なく前を行く。
高峰サービスエリア付近になればそうもこうも言ってられないほどの降雪状態。
数台の車は端っこに停めてタイヤチェーンを装着している。
賢明なドライバーたちである。
この状況下では到底山添村へは着くことは不可能。
福住インターチェンジで降りてUターンしようと思ったが既に遅し。
出口が封鎖されたのである。
出口がなければ東へ前進するのみである。
このまま行けば山添村に着くだろうなんてことはない。
仕方のないことである。
ヒヤヒヤ、アセアセで駆動するスクラム。
時速は何キロだろうか。
メーターを見る余裕もなくソロリソロリと東進する。
一本松のインターチェンジも同様に出口封鎖。
すでに何台かの車が停車している。
ノーマルタイヤでは到底登ることのできない区間。
本降りどころかどしゃぶりの雪が天から降ってくる。
蛇行する車の跡に沿っていかずにおられない。
次のインターチェンジは針だ。
ここは封鎖していなかった。
針テラスではいろんなお店がある。
ここなら滞在しても落ち着けると思ってぐるりを廻る橋をソロソロ。
そこでもトラックが停まっていた。
車から降りてスコップを持つ係員を呼びだす運転手。
信号先のガソリンスタンドを目指したかったが入口封鎖で通行不能。
先行車についていって針テラスに入った。
ここであれば滑ることはない。
まずは一安心である。
取材先やかーさん、写友人らに実況を伝える。
そんな状況であればいっそのこと針の温泉にでも入って一服してはどうなのと云われるが心は落ち着かない。
心の余裕がないのだ。
ラジオから聞こえてくる道路情報。
入口封鎖どころか全面的な通行止め。
天理東から五月橋までが通行止めになったのである。
降雪は思いもよらないほどの量であっと云う間の状況。
立ち往生する車はとんでもない多さである。
この日は成人の日を含めた三連休。
出かける人も多い。
えらいことになってしまったと思っているのは私一人だけではないことは確かだ。
ラジオから聞こえたニュースによれば午前9時現在の針の降雪は16cmだという。
そんなもんではないことは現実を知る私だ。
積もった雪はどかどかと積み重なっていって20cmは越えている。
山添村のとある村人は電話口でこういった。
「朝から降った雪は20cmもなっている」である。
家を出発する際に電話をしておけばよかったと思っても、もう遅い。
針から向こうには行けない状況に居るだけだ。
店外にあるテントに積もった雪を降ろしている針テラス情報館の人たちは駐車場から店内に入る道もスコップで作っている。
お客さんのことを考えた配慮である。
1時間、2時間と時間が過ぎていっても状況は変化しないがもよおす身体には勝てない。
動かない車もそのままで情報館のトイレに走っていく。
前方の車がときおり動くから前に進まなければ。
後ろから追いつめられるが尿が漏れてはならない。
数人が乗っていれば交替もできるが一人ではすごく気をつかう。
駐車場には停車したままの車もある。
動かないから放置せざるを得ないのであろう。
天理駅へ戻る定期バスも停まったままだ。
少しずつ動く前方の縦列車。
トラックもツルツル滑って動かない。
情報館の人たちがダンボール紙を持ってきてくれたが役に立たなかった。
ギューン、ギューン。
後ろについてた車もノーマルタイヤ。
どけてと云われても無理な話だ。
情報館や降りてきた他車の人たちが押して動くが通行止めの名阪国道以外にどこへ行くのだろう。
テラス外にあるコンビニかなと思うが・・・・。
徐々に動くから始末が悪い。
動き出した天理駅行きのバスの後をつけばと思ったが停車中の行列を抜けて地道に行ってしまった。
バスはタイヤチェーンを装着しているので山を下っていったのであろう。
難儀していたトラックも消えた。
その前に留まっているのは大型観光バス。
2台で繰りだしたのは大阪からやってきたベースボールチーム。
白赤のユニホーム姿に帽子を被っていればだれでも判る。
中学生までの子供たちであろう。
バスから降りたらトイレに直行する少年野球チーム。
学校はそれぞれらしい。
ユニホームに書かれていたチーム名は「レッドスター」。
帰宅してから調べてみれば、なんと阪神球団に所属していた赤星憲広選手の熱い思いで設立したという野球チームだった。
バスの運転手から聞いた話では山添村ホームグランドでの練習試合。
チームが二手に分かれて試合する予定だったのだろうか。
大雪になったことから試合をすることなく戻る行程のこと。
やむを得ず針に落ち着いたそうだ。
チームオーナーは赤星憲弘氏だがバスには居なかった。
少年たちは何度となくトイレに向かう。
積もった雪で遊ぶ少年たち。
雪の玉投げは壮年層も。
監督かコーチか判らないが持て余す滞在時間を過ごす。
こうして時間が過ぎて行き場を失った車中の人たち。
お腹も空いてきたことだろう。
完全に停車した通行止め。
餃子の王将で食材を求める人たちもいる。
いつもの昼食に入店するつるまる饂飩はどうであったのか知る由もない。
か-さんは「泊れるんであれば温泉も確かめたらどうか」というが動けない状況下に変わりない。
時間は刻々と過ぎていくだけデジタル時計が示す。
待つことが辛いと思ったことはない。
入口封鎖している場所からクルクル回るライト。
それが移動していく方向は針テラス。
ニュースが報じていた動かなくなった車を移動するレッカー車である。
何度も何度も光景するレッカーのパトライト。
ニュースによれば50台もの車が名阪国道で立ち往生しているらしい。
最寄りのエリアに移動していると報じていた。
それが針テラスだったようだ。
何時になれば通行解除になるのだろうか。
かーさんに調べてもらった#8011。
かけてみれば通行解除の見通しなんてものはアナウンスされる道理もない。
各地の通行止めが伝えられる。
滞在地の針から南。
桜井市に通じる道も通行止め。
広範囲に亘る積雪状況だと思えた。
一挙に降った雪は東山間の地域を総なめにしたようだ。
アナウンスによれば葛城の道、吉野南部もそうだと伝えるが、県の平坦では雨。
そんな大雪になっているとは誰も信じない。
撮った画像を送りたいと思ったがやめた。
それがどうしたという具合になるだけである。
体験している人しか感じ得ない大雪の缶詰め状態は脱出するには時間がまだまだかかる。
12年間も勤めている情報館の人の話しによれば「こんな大雪は始めて」だという。
小雪であっても名阪国道が通行止めになること度々。
それが解除されるのは、大方、深夜の時間帯。
ということを聞いて安心した。
待てば海路の日和あり。
一泊するかしないかは除雪作業の進展次第。
たいへんな状況に大急ぎで作業されていることと思って待つ。
しかしだ。
もよおす身体だけは止められない。
何度となく利用させていただいた情報館は17時で閉店する。
それ以降はどうするか。
深夜に備えてグチュグチュになった雪の道路を歩いていったコンビニ。弁当はすでに売り切れだ。
補充する車もないからいずれは店頭から消える。
そう思って買ったパン二つ。
とりあえずに食べたパンで腹ごしらえ。
OSAKAカレーパンと云うが、どこがそうなのか。
味わって食べても判らない。
陽も落ちて明かりが雪に反射する。
目の前の積もった雪がピカピカと光る。
青い光である。
入口封鎖している箇所に信号がある。
青信号が反射しているのかと思えばそうでもない。
赤信号であっても光る点滅の光りは青色。
その正体を掴みたくて車を降りて積もった雪をかきわけた。
中からでてきたのはケータイ電話、ではなく流行りのスマホ。
落とした人は気が動転しているに違いない。
そう思った。
それから数分後。
天理高速パトロールカーが我が車を通り抜けようとした。
待って、待ってと手を振った。
窓ガラスを開けた警察官に伝えた落し物。
申し出があっても断れない警察官。
書類がないという。
最寄りの警察署に戻って書類を持ってくるというから名前、電話番号、車体番号を伝えた。
それから数十分。
私のケータイにベルが鳴る。
知らない番号だが応えた結果は天理警察署。
針テラスへ向かおうとしたが通行不能だという。
落し物はどうすればいいのか。
通行解除になってからでも構わないから届け出してほしいという。
私が帰る地は大和郡山と答えればそこでも構わないという。
たぶんそうなるであろうと思った答えだ。
14時ころに小ぶりになった大雪。
何度となく心が折れそうになっていた。
地道でも可能かどうかと思ったのである。
針から南之庄を抜けて福住から苣原、天理へ下ることは可能かどうか。
スタッドレスタイヤで走行ができるような状況にあるのか、苣原の住民に電話をした結果は「私はお勧めできません」。
なんでも婦人会を福住で催す予定だったそうだが、仕出し屋さんの車が到着できないほどの大雪だったと伝える。
「苣原の国道を走行できるのはチェーンでないとあきまへんで」と云われて針での籠りを選んだ成人の日。
ラジオニュースが伝える情報によれば針から桜井・室生・宇陀間、香酔峠・女寄峠が通行止め。
天理の豊井町辺りからも登ることができない。
西の葛城當麻道も通行止め。
盆地部平坦以外の山間部は広範囲に亘った通行止めであった。
そんなことがあっても状況に変化はない。
相変わらず滞留した車を曳行するレッカー車が往来する。
21時ころのことだ。
移動しないパトライトが気になった。
動きがあったのか。
それからもしばらくは変わりない。
1時間おきに聞いていた道路情報ラジオ。
絶えず聞こえる声はテープに収録された女性の声。
小さな声はボリュームを上げなければ聞こえない。
この時は違った。
いきなり聞こえてきた男の声は「21時に通行止めが解除しました」と大きな声。
勢いがある声だ。
やはり移動しないパトライトは解除の様子であったのだ。
解除通達があってから動き出した縦列駐車の車が動き出した。
21時20分である。
あっちこっちから乱れるように入口に動く車。
レッドスターのバスは前を行く。
翌日は平日。
学校がある少年たちを待つ親もほっとしたことであろう。
針テラスで籠ること実質12時間半だった。
封鎖していた信号を進めば係員がいた。
「ご苦労さまでした。ありがとうございます」と会釈しながら通過すれば係員の安堵の顔が見えた。
身体は凍えていたが心は温かくなった。
嬉し涙が出そうになった帰り道。
ウォーク・ドント・ラン・・・・急がば回れは正解だった針の籠り。
スイスイ走る名阪国道を抜けて大和郡山へ。
約束通りに郡山警察署に落し物のケータイを届けた。
発見した状況から天理警察署の指示を伝えて届け出る。
端末を操作する警察官の声があがった。
既に届け出があったのだ。
電話番号はロックが掛けられているので判らなかったが、形式型番を照合してみれば一致する。
届け出書にサインをして戻ってきた我が家。
長い一日がこうして終えたが、その後も落とし主からの電話は無かった。
・・・一週間後の22日。
郡山警察署から電話があった。
落とし主の男性が現れて確認がとれたという連絡だ。
翌日にはご本人さんからお礼の電話がかかった。
無事に手元に戻ってほっとする。
チェーンを装着していたので14時頃には下山したという。
室生ではなくて北の方角にある柳生に向かったそうだ。
行き先々で立ち往生する車はスタッドレスタイヤも。
チェーンを装着していても困難だったという。
水間のトンネル越えも困難を極めたようだ。
さすがに春日ドライブウエイ辺りではジュクジュク道路。
すんなりと通り抜けたがチェーンは不要。
外して大阪まで、3時間もかけて戻ったという。
後日に聞いた積雪量。
天理福住、都祁や山添では30cm。
榛原額井では35cm。
桜井市の萱森は40cmだが白木では膝まであったから45cmだと云っていた。
急に降ってきた雪はあっという間。
三八豪雪以来ではと話す大塩の住民。
白木と同様に垂れさがる竹どころか樹木まで折れまがってしまった重たい雪であった。
生活道を塞ぐ木々の伐採作業が続いたそうだ。
(H25. 1.14 SB932SH撮影)
その日は雨が降っていた。
天理東からは名阪国道。そこからおよそ30分の処が目的地だった。
雨はいつしか霙混じりになった。
五ケ谷付近では雪になった。
このまま行けばどうなるのであろう。
前夜は暖かい日であった。
それぐらいの気温であれば雨交じりの雪になるだろうと話していた大塩の住民。
その言葉に期待を掛けて薄らと積もった五ケ谷を通過した。
この判断が甘かったことになるのである。
降る雪は見る間に道路を白くする。
前を走る車の跡がはっきりと判る。
滑ってはなんにもならないと思って速度を大幅に落とした。
傍を走っている車もそうしている。
スタッドレスタイヤは難なく前を行く。
高峰サービスエリア付近になればそうもこうも言ってられないほどの降雪状態。
数台の車は端っこに停めてタイヤチェーンを装着している。
賢明なドライバーたちである。
この状況下では到底山添村へは着くことは不可能。
福住インターチェンジで降りてUターンしようと思ったが既に遅し。
出口が封鎖されたのである。
出口がなければ東へ前進するのみである。
このまま行けば山添村に着くだろうなんてことはない。
仕方のないことである。
ヒヤヒヤ、アセアセで駆動するスクラム。
時速は何キロだろうか。
メーターを見る余裕もなくソロリソロリと東進する。
一本松のインターチェンジも同様に出口封鎖。
すでに何台かの車が停車している。
ノーマルタイヤでは到底登ることのできない区間。
本降りどころかどしゃぶりの雪が天から降ってくる。
蛇行する車の跡に沿っていかずにおられない。
次のインターチェンジは針だ。
ここは封鎖していなかった。
針テラスではいろんなお店がある。
ここなら滞在しても落ち着けると思ってぐるりを廻る橋をソロソロ。
そこでもトラックが停まっていた。
車から降りてスコップを持つ係員を呼びだす運転手。
信号先のガソリンスタンドを目指したかったが入口封鎖で通行不能。
先行車についていって針テラスに入った。
ここであれば滑ることはない。
まずは一安心である。
取材先やかーさん、写友人らに実況を伝える。
そんな状況であればいっそのこと針の温泉にでも入って一服してはどうなのと云われるが心は落ち着かない。
心の余裕がないのだ。
ラジオから聞こえてくる道路情報。
入口封鎖どころか全面的な通行止め。
天理東から五月橋までが通行止めになったのである。
降雪は思いもよらないほどの量であっと云う間の状況。
立ち往生する車はとんでもない多さである。
この日は成人の日を含めた三連休。
出かける人も多い。
えらいことになってしまったと思っているのは私一人だけではないことは確かだ。
ラジオから聞こえたニュースによれば午前9時現在の針の降雪は16cmだという。
そんなもんではないことは現実を知る私だ。
積もった雪はどかどかと積み重なっていって20cmは越えている。
山添村のとある村人は電話口でこういった。
「朝から降った雪は20cmもなっている」である。
家を出発する際に電話をしておけばよかったと思っても、もう遅い。
針から向こうには行けない状況に居るだけだ。
店外にあるテントに積もった雪を降ろしている針テラス情報館の人たちは駐車場から店内に入る道もスコップで作っている。
お客さんのことを考えた配慮である。
1時間、2時間と時間が過ぎていっても状況は変化しないがもよおす身体には勝てない。
動かない車もそのままで情報館のトイレに走っていく。
前方の車がときおり動くから前に進まなければ。
後ろから追いつめられるが尿が漏れてはならない。
数人が乗っていれば交替もできるが一人ではすごく気をつかう。
駐車場には停車したままの車もある。
動かないから放置せざるを得ないのであろう。
天理駅へ戻る定期バスも停まったままだ。
少しずつ動く前方の縦列車。
トラックもツルツル滑って動かない。
情報館の人たちがダンボール紙を持ってきてくれたが役に立たなかった。
ギューン、ギューン。
後ろについてた車もノーマルタイヤ。
どけてと云われても無理な話だ。
情報館や降りてきた他車の人たちが押して動くが通行止めの名阪国道以外にどこへ行くのだろう。
テラス外にあるコンビニかなと思うが・・・・。
徐々に動くから始末が悪い。
動き出した天理駅行きのバスの後をつけばと思ったが停車中の行列を抜けて地道に行ってしまった。
バスはタイヤチェーンを装着しているので山を下っていったのであろう。
難儀していたトラックも消えた。
その前に留まっているのは大型観光バス。
2台で繰りだしたのは大阪からやってきたベースボールチーム。
白赤のユニホーム姿に帽子を被っていればだれでも判る。
中学生までの子供たちであろう。
バスから降りたらトイレに直行する少年野球チーム。
学校はそれぞれらしい。
ユニホームに書かれていたチーム名は「レッドスター」。
帰宅してから調べてみれば、なんと阪神球団に所属していた赤星憲広選手の熱い思いで設立したという野球チームだった。
バスの運転手から聞いた話では山添村ホームグランドでの練習試合。
チームが二手に分かれて試合する予定だったのだろうか。
大雪になったことから試合をすることなく戻る行程のこと。
やむを得ず針に落ち着いたそうだ。
チームオーナーは赤星憲弘氏だがバスには居なかった。
少年たちは何度となくトイレに向かう。
積もった雪で遊ぶ少年たち。
雪の玉投げは壮年層も。
監督かコーチか判らないが持て余す滞在時間を過ごす。
こうして時間が過ぎて行き場を失った車中の人たち。
お腹も空いてきたことだろう。
完全に停車した通行止め。
餃子の王将で食材を求める人たちもいる。
いつもの昼食に入店するつるまる饂飩はどうであったのか知る由もない。
か-さんは「泊れるんであれば温泉も確かめたらどうか」というが動けない状況下に変わりない。
時間は刻々と過ぎていくだけデジタル時計が示す。
待つことが辛いと思ったことはない。
入口封鎖している場所からクルクル回るライト。
それが移動していく方向は針テラス。
ニュースが報じていた動かなくなった車を移動するレッカー車である。
何度も何度も光景するレッカーのパトライト。
ニュースによれば50台もの車が名阪国道で立ち往生しているらしい。
最寄りのエリアに移動していると報じていた。
それが針テラスだったようだ。
何時になれば通行解除になるのだろうか。
かーさんに調べてもらった#8011。
かけてみれば通行解除の見通しなんてものはアナウンスされる道理もない。
各地の通行止めが伝えられる。
滞在地の針から南。
桜井市に通じる道も通行止め。
広範囲に亘る積雪状況だと思えた。
一挙に降った雪は東山間の地域を総なめにしたようだ。
アナウンスによれば葛城の道、吉野南部もそうだと伝えるが、県の平坦では雨。
そんな大雪になっているとは誰も信じない。
撮った画像を送りたいと思ったがやめた。
それがどうしたという具合になるだけである。
体験している人しか感じ得ない大雪の缶詰め状態は脱出するには時間がまだまだかかる。
12年間も勤めている情報館の人の話しによれば「こんな大雪は始めて」だという。
小雪であっても名阪国道が通行止めになること度々。
それが解除されるのは、大方、深夜の時間帯。
ということを聞いて安心した。
待てば海路の日和あり。
一泊するかしないかは除雪作業の進展次第。
たいへんな状況に大急ぎで作業されていることと思って待つ。
しかしだ。
もよおす身体だけは止められない。
何度となく利用させていただいた情報館は17時で閉店する。
それ以降はどうするか。
深夜に備えてグチュグチュになった雪の道路を歩いていったコンビニ。弁当はすでに売り切れだ。
補充する車もないからいずれは店頭から消える。
そう思って買ったパン二つ。
とりあえずに食べたパンで腹ごしらえ。
OSAKAカレーパンと云うが、どこがそうなのか。
味わって食べても判らない。
陽も落ちて明かりが雪に反射する。
目の前の積もった雪がピカピカと光る。
青い光である。
入口封鎖している箇所に信号がある。
青信号が反射しているのかと思えばそうでもない。
赤信号であっても光る点滅の光りは青色。
その正体を掴みたくて車を降りて積もった雪をかきわけた。
中からでてきたのはケータイ電話、ではなく流行りのスマホ。
落とした人は気が動転しているに違いない。
そう思った。
それから数分後。
天理高速パトロールカーが我が車を通り抜けようとした。
待って、待ってと手を振った。
窓ガラスを開けた警察官に伝えた落し物。
申し出があっても断れない警察官。
書類がないという。
最寄りの警察署に戻って書類を持ってくるというから名前、電話番号、車体番号を伝えた。
それから数十分。
私のケータイにベルが鳴る。
知らない番号だが応えた結果は天理警察署。
針テラスへ向かおうとしたが通行不能だという。
落し物はどうすればいいのか。
通行解除になってからでも構わないから届け出してほしいという。
私が帰る地は大和郡山と答えればそこでも構わないという。
たぶんそうなるであろうと思った答えだ。
14時ころに小ぶりになった大雪。
何度となく心が折れそうになっていた。
地道でも可能かどうかと思ったのである。
針から南之庄を抜けて福住から苣原、天理へ下ることは可能かどうか。
スタッドレスタイヤで走行ができるような状況にあるのか、苣原の住民に電話をした結果は「私はお勧めできません」。
なんでも婦人会を福住で催す予定だったそうだが、仕出し屋さんの車が到着できないほどの大雪だったと伝える。
「苣原の国道を走行できるのはチェーンでないとあきまへんで」と云われて針での籠りを選んだ成人の日。
ラジオニュースが伝える情報によれば針から桜井・室生・宇陀間、香酔峠・女寄峠が通行止め。
天理の豊井町辺りからも登ることができない。
西の葛城當麻道も通行止め。
盆地部平坦以外の山間部は広範囲に亘った通行止めであった。
そんなことがあっても状況に変化はない。
相変わらず滞留した車を曳行するレッカー車が往来する。
21時ころのことだ。
移動しないパトライトが気になった。
動きがあったのか。
それからもしばらくは変わりない。
1時間おきに聞いていた道路情報ラジオ。
絶えず聞こえる声はテープに収録された女性の声。
小さな声はボリュームを上げなければ聞こえない。
この時は違った。
いきなり聞こえてきた男の声は「21時に通行止めが解除しました」と大きな声。
勢いがある声だ。
やはり移動しないパトライトは解除の様子であったのだ。
解除通達があってから動き出した縦列駐車の車が動き出した。
21時20分である。
あっちこっちから乱れるように入口に動く車。
レッドスターのバスは前を行く。
翌日は平日。
学校がある少年たちを待つ親もほっとしたことであろう。
針テラスで籠ること実質12時間半だった。
封鎖していた信号を進めば係員がいた。
「ご苦労さまでした。ありがとうございます」と会釈しながら通過すれば係員の安堵の顔が見えた。
身体は凍えていたが心は温かくなった。
嬉し涙が出そうになった帰り道。
ウォーク・ドント・ラン・・・・急がば回れは正解だった針の籠り。
スイスイ走る名阪国道を抜けて大和郡山へ。
約束通りに郡山警察署に落し物のケータイを届けた。
発見した状況から天理警察署の指示を伝えて届け出る。
端末を操作する警察官の声があがった。
既に届け出があったのだ。
電話番号はロックが掛けられているので判らなかったが、形式型番を照合してみれば一致する。
届け出書にサインをして戻ってきた我が家。
長い一日がこうして終えたが、その後も落とし主からの電話は無かった。
・・・一週間後の22日。
郡山警察署から電話があった。
落とし主の男性が現れて確認がとれたという連絡だ。
翌日にはご本人さんからお礼の電話がかかった。
無事に手元に戻ってほっとする。
チェーンを装着していたので14時頃には下山したという。
室生ではなくて北の方角にある柳生に向かったそうだ。
行き先々で立ち往生する車はスタッドレスタイヤも。
チェーンを装着していても困難だったという。
水間のトンネル越えも困難を極めたようだ。
さすがに春日ドライブウエイ辺りではジュクジュク道路。
すんなりと通り抜けたがチェーンは不要。
外して大阪まで、3時間もかけて戻ったという。
後日に聞いた積雪量。
天理福住、都祁や山添では30cm。
榛原額井では35cm。
桜井市の萱森は40cmだが白木では膝まであったから45cmだと云っていた。
急に降ってきた雪はあっという間。
三八豪雪以来ではと話す大塩の住民。
白木と同様に垂れさがる竹どころか樹木まで折れまがってしまった重たい雪であった。
生活道を塞ぐ木々の伐採作業が続いたそうだ。
(H25. 1.14 SB932SH撮影)