マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大野町のケッチン

2013年04月22日 07時47分56秒 | 奈良市(東部)へ
奈良市大野町は田原の里の一角。

テンノウザン(天王山)の地に点在する集落は14軒。

早朝にやってきたのはマツリトーヤ(当家)のご主人。

数日間に亘って刈り出したケッチンの材料。

ススダケ(ススンボとも)と呼ばれる長い竹、松、シキビ、ヤマザクラの材料は山へ登って確保してきた。

山の方には数多くの寺院があったと話す長老の一老。

石垣が残っている地は「ボウズキリ」の地名がある。

東大寺の所領地の一つにあたる農林の地だったそうだ。

大野町には明治の頃まで神社があった。

それは隣接する日笠町の今井堂天満神社に合祀したというかつての宮さん大野町の公民館にあったと話す。

今井堂天満神社は鎮座する日笠町、大野町、沓掛町の三町の氏神さんである。

明治43年には沓掛町にあった白山神社を、その後の大正6年に大野町の八阪神社が合祀されたのである。

マツリのトーヤは1月から一年間。

秋のマツリの宵宮には素襖を着用してお渡りをしていると話すのは今井堂天満神社の秋祭りではなく大野町のマツリであるようだ。

そのような話題をしてくれた六人衆の一老と二老。

この日は大野町の行事であるケッチン。

製作した鬼の的をススダケで作った矢で射る正月初めの行事である。

ケッチンを充てる字は結鎮。

一般的にはケッチン或いはケイチンとも呼ばれる正月の初祈祷行事であるが大野町ではキッチンとも呼ぶことがある。

ケッチンに用いられるものを作るのは一老と二老、トーヤと翌年にトーヤを勤めるミナライである。

各々の役割で作業を進める人たち。

桜の木で弓を作る人。

ススダケを割いて矢を作る人。

洗い米を包んで奉書で巻きつけた松の芯。

鬼の的となるカゴを作る人それぞれが分担する作業である。

カゴのススダケは皮を残して中の節を取る。



相当な数の本数を割っていく。

編み方は隙間を開けて7、8本で編む。

四隅は外れないように麻紐で縛る。

矢は半紙を切って矢羽根を付ける。

本数は松の芯と同様に村の戸数分を作る。

その本数すべてを鬼の的を目がけて矢を射るのは十輪寺の住職だ。

公民館に祀られた毘沙門天像の両側に設えた葉付きのススダケ。



藁で編んだ綱を張って鬼のカゴを吊るす。

間には青竹がある。

鬼の的がずれないように工夫したのであろう。

鬼の的は住職が予め書いてきた。

およそ1時間半の作業を終えて設えた鬼の的に向かって座る住職。

囲むように4人も着座する。

両脇にはシキビも飾られた。

立ちあがった住職は弓を持って矢を射る。

祈祷することなくおもむろに始まったケッチンの鬼打ち。



「やっ」の掛け声とともに矢を射る。

鬼の真正面目がけての鬼打ちは14本。

鬼はずたずたになった。

村人たちが畏れる鬼は悪霊。

矢を射ることによって退治された。

村の安全を願って追い払ったのである。

祭壇のローソク灯明に火を灯して香を焚く。

おんさらばと真言を唱える。



ランジョーの詞も混じる真言おんそわか。

鬼を成仏させて村人の安全祈願に般若心経を唱和する。

ケッチンに供えた松の芯は村人に配られる。

かつては田原の里一帯で苗代が作られていた。

JAから購入するようになった現在は3町の宮さんのオンダ祭で配られる松苗をともにサブラキ(田植え初め)のときに花を添えて奉ると云う。

(H25. 1.12 EOS40D撮影)