マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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染田十輪寺初祈祷のタタキアゲ

2013年04月01日 07時40分58秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
村の安全祈願を正月初めに願う初祈祷が行われる宇陀市室生の染田。

春日神社の社務所に寄り合う。

初祈祷を始める前はオソナエ作りの作業だ。

ランジョー作法において十輪寺で叩くウルシ棒を鉈で三つに割く人たち。

かたやその木に挟む牛玉宝印の書に文字を書く人たち。

いわゆるごーさんと呼ばれるお札刷りであるが文字は「十輪寺 牛の玉 宝の印」である。



その書にご宝印を押す人たちとの分担作業。

この年は33本を作った。

一方、机で『寿命帳』を墨書する人もいる。

東組、西組それぞれに存在する名を書いていく。

両組とも一老、二老、三老・・・・に続いて孫の名まである。

墨書するのは両組の当屋。

村で決まっている順に書き記す。

それらの作業を見守る人たち。



『寿命帳』には数種の供物も書かれる。

一、□(判読不能字)釛 参流、一、燈明 壱ツ、一、成玉 壱枚、一、花餅 壱桶、一、神酒 一升、一、成玉 一枚である。

「成玉」はナラシモチと呼ぶそうだ。

文字が判読できなかった「□釛」は刀のようだと思うのだがと前置きされて持ちだした薙刀のような形の木の棒を一本。

それにもごーさんを挟む。

「参流」とは一体何の数量なのか判らないと話す。

書き終えた『寿命帳』の最後に「だんじゅう」と書き添える。

30分ほどで調えたあとは直会に移る。

両組とも揃った大当屋と神主は下座。

挨拶されてのちに染田の初祈祷の謂れを伝える。

「そもそも始まったのは応永十三年(1406)。605年前のことである。平坦の国中(くんなか)では騒乱の時代であった。そんな時代に東山中を守るため村人の士気を高めるために染田の天神大明神に集まった村人が取り決めしたダンジョーとケッチンであった」と述べる。

この日はフジの木で十輪寺の縁側をフジの木で叩くダンジョー(一般的に乱声)の作法がある。

『寿命帳』記された「だんじゅう」のことである。

ケッチンは翌週の10日に行われる鬼鎮(きちん)の弓打ちだ。

シンブリの木の弓で鬼の眼の玉を射る作法はいわゆるオコナイの行事である。



言伝えを述べられて配膳された三種盛り。

ゴボウ、コンブ巻き、煮豆(かつてはアゼマメ)は酒の肴である。

およそ1時間は正月初めの顔合わせでもある。

場は移って十輪寺の本堂へ。



ご本尊の地蔵菩薩像の扉を開けて般若心経を唱える。

ゆったりとした唱和が堂内に流れる。

唱和を終えると同時に発せられた「ダンジョー」。

縁側に設えた板に群がる人はフジの木を手にしてダンジョー、ダンジョーと大きな声で唱えながら叩く。

ダン、ダン、ダン・・・。



それを合図に飛びだした村神主が向う先は山の神。

お神酒を抱えて走っていく。

雪が舞う中を走る、走る。



十輪寺からそれほど遠くない小高い丘。

そこには山の神とされる石仏群がある。



そこにお神酒を撒いてすぐさま戻る。

その間はダンジョーの縁叩きが続く。

山の神まで届くような騒々しさは村から悪霊を追い出す作法である。

4分後に戻ってきた神主の姿を確かめてピタリと止んだ。

若い神主の足は速い。

追いつくことはとうとうできなかったがダンジョー作法は携帯電話の動画に納めることができた。



そうして祈祷されたウルシ棒のごーさん札は持ち帰って春の社日に苗代へ挿す。

豊作を願うお札である。

こうしたダンジョーの作法であるゆえ染田では初祈祷の行事を「タタキアゲ」と呼ぶ。

(H25. 1. 4 EOS40D撮影)