村の初集会を終えた公民館会場は勧請縄作りに転じた天理市福住町の南田(みのだ)。
かつては正月3日だったが今は第一日曜日。
昭和の末に日程を替えたそうだ。
初集会に新しく区長が任につく就任日が勧請縄掛けの日。
一年任期になる区長は毎年交替される。
この日の朝はとんどであった。
南田は上と下の2地区で18戸。
それぞれの地区ごとにとんどをしていたという。
勧請縄の材料はヤナギの木、笹、フクラシの木に影干ししたモチワラである。
H氏が丹精込めて作ったモチワラは特別な米。
古代米の赤米である。
赤米は小粒だと話す息子さん。
粳米は9月に収穫するが古代米は11月初め。
霜が降りる頃の直前になるという。
会場半分を占領するようにブルーシートを広げて縄結いが始まった。
太くした藁束を捩って2本。
そこに一束の藁を被せるようにして捩る。
藁束を継ぎ足して長くする。
縄結いは始めが肝心。
県内各地で行われる縄結い作業はどことも最初の出だしが難しいという。
捩っても一本の縄になっていかない。
捩れば捩るほどぐにゃぐにゃ。
仕方なく長老の応援を煽いでやり直し。
右に巻いて左に捩る。
南田はそうして藁を結っていく。
ときおりお酒を縄にたらして手の滑りを止める。
徐々に長くなってきた縄結い。
順調に作業が進んでいく。
長くなった勧請藁は端からトグロを巻くようにぐるぐる。
その途中に挿し込む藁束。
それはアシ(足)になる。
トグロ巻きが増えるにつれて円盤の形になってきた。
アシが盤状に広がればまるで花火のような形に見えてくる渦巻き形の勧請縄。
跳ねないように身体で重しをかける。
かつての勧請縄はそうではなかったようだ。
勧請縄を掛ける地は下の地区。
昭和40年に暫定開通した名阪国道ができた当所は道切りで掛けていた注連縄であった。
道を跨ぐように掛けていたのである。
その後に道路管理の国交省より通達を受けて止めた道切り。
注連縄は円盤状の形で置くことになった勧請縄である。
縄ができればカワヤナギ、笹、フクラシと幣を中心部に括りつける。
それをカザリツケと呼んでいる。
かつて勧請縄掛けの場は3カ所あった。
平成22年の勧請縄には3本を幣を付けていたがこの年は1本だった。
公民館の床の間に置いてお灯明に火を点ける。
祓えの詞を唱えて勧請縄を祈祷する。
そうして今年の当番の5人は揃ってカンジョ場へ向かう。
3、4年に一度の回りだという。
勧請縄は相当な重さで肩に食い込むようだと話しながら歩く。
傍らには今朝のとんど跡がある。
一年間も村を守ってきた勧請縄は朽ちていた。
それも燃やしたとんどの朝だったそうだ。
名阪国道の橋脚付近に立て掛ける勧請縄。
かつては向こう側の道までも跨っていたというから相当な長さであったろう。
形式は替ったが村を守ることには違いがない。
手を合わせて村の安全を祈る。
(H25. 1. 6 EOS40D撮影)
かつては正月3日だったが今は第一日曜日。
昭和の末に日程を替えたそうだ。
初集会に新しく区長が任につく就任日が勧請縄掛けの日。
一年任期になる区長は毎年交替される。
この日の朝はとんどであった。
南田は上と下の2地区で18戸。
それぞれの地区ごとにとんどをしていたという。
勧請縄の材料はヤナギの木、笹、フクラシの木に影干ししたモチワラである。
H氏が丹精込めて作ったモチワラは特別な米。
古代米の赤米である。
赤米は小粒だと話す息子さん。
粳米は9月に収穫するが古代米は11月初め。
霜が降りる頃の直前になるという。
会場半分を占領するようにブルーシートを広げて縄結いが始まった。
太くした藁束を捩って2本。
そこに一束の藁を被せるようにして捩る。
藁束を継ぎ足して長くする。
縄結いは始めが肝心。
県内各地で行われる縄結い作業はどことも最初の出だしが難しいという。
捩っても一本の縄になっていかない。
捩れば捩るほどぐにゃぐにゃ。
仕方なく長老の応援を煽いでやり直し。
右に巻いて左に捩る。
南田はそうして藁を結っていく。
ときおりお酒を縄にたらして手の滑りを止める。
徐々に長くなってきた縄結い。
順調に作業が進んでいく。
長くなった勧請藁は端からトグロを巻くようにぐるぐる。
その途中に挿し込む藁束。
それはアシ(足)になる。
トグロ巻きが増えるにつれて円盤の形になってきた。
アシが盤状に広がればまるで花火のような形に見えてくる渦巻き形の勧請縄。
跳ねないように身体で重しをかける。
かつての勧請縄はそうではなかったようだ。
勧請縄を掛ける地は下の地区。
昭和40年に暫定開通した名阪国道ができた当所は道切りで掛けていた注連縄であった。
道を跨ぐように掛けていたのである。
その後に道路管理の国交省より通達を受けて止めた道切り。
注連縄は円盤状の形で置くことになった勧請縄である。
縄ができればカワヤナギ、笹、フクラシと幣を中心部に括りつける。
それをカザリツケと呼んでいる。
かつて勧請縄掛けの場は3カ所あった。
平成22年の勧請縄には3本を幣を付けていたがこの年は1本だった。
公民館の床の間に置いてお灯明に火を点ける。
祓えの詞を唱えて勧請縄を祈祷する。
そうして今年の当番の5人は揃ってカンジョ場へ向かう。
3、4年に一度の回りだという。
勧請縄は相当な重さで肩に食い込むようだと話しながら歩く。
傍らには今朝のとんど跡がある。
一年間も村を守ってきた勧請縄は朽ちていた。
それも燃やしたとんどの朝だったそうだ。
名阪国道の橋脚付近に立て掛ける勧請縄。
かつては向こう側の道までも跨っていたというから相当な長さであったろう。
形式は替ったが村を守ることには違いがない。
手を合わせて村の安全を祈る。
(H25. 1. 6 EOS40D撮影)