風の祈祷の際にお札を立てた場で「ここでは山の神参りをするんだ」と云ったひと言を聞いて伺った。
山添村大塩では4垣内(中村垣内、上出垣内、下出垣内、キトラデ垣内)それぞれの地区の人たちによる山の神参りが行われている。
この日に訪れたのはキトラデ垣内。
まだ暗い陽が昇らないうちに参るK家。
ご主人と息子さんはキタウラ坂を登って山の中に入っていく。
山の神に参るときには出合ってはならない、
出合っても絶対に声を掛けてはならないと云う。
早朝に参る山添村の山の神。
6時までに参るという地は岩屋、広瀬、下津、切幡、春日、片平などが知られる。
人に見られてはならないと云うから0時過ぎにも参る人もいると聞くことが多い。
山の神参りはいずれの地域も1月7日だ。
朝6時の山は真っ暗な闇の世界。
懐中電灯などの灯りがなければ崖に落ちてしまうような山の道を歩く。
息子さんが予め伐ってきた葉付きのカシの木を持っている。
山の神は遠く離れた地。
道中のある場所で山の石を探しだす。
小石を拾ったその場でフクダワラを作る。
K家の男の人数分とカギヒキに掛ける木の分の合計4本を作る。
手際よく作ったフクダワラの内部に拾った小石を詰める。
再び山中をさすらうように山の神を目指して登る山の道。
到着して直ちに掛けた葉付きのカシの木。
フクラソと呼ぶ樹木に引っかけるような感じで掛ける。
フクラソはフクラシである。
地域によって呼び名が異なる木だ。
その木の下に木の下に藁束を敷いて半紙を広げる。
四方にアマコダケを立てる。
中央には割いた長めのアマコダケを立てて、正月の祝い膳にあった盛ったヒシモチ、クリ、ツルシガキ、トコロを挟みこむ。
先にはキンコウジ(コウジミカン)を挿す。
この年は生憎、トコロを見つけることができなかった。
残念なことだがと云って供えた山の神の御供。
傍には道中で作ったフクダワラを置いてモチを1個供える。
クラタテと呼んでいる山の神のお供えである。
東の方角に向かって手を合わせる。
そうして始まったカギヒキの唄。
フクダワラもフクラソに括りつけて「にしのくにのイトワタ ひがしのくにの銭と米 あかうしにつんで うちのくらへ エントヤー エントヤー」とカギを引く所作をする。
これを「カギヒキ」と云う。
カギヒキの唄は繰り返して3回唱える。
山の神参りを終えた二人は供えたフクダワラとモチを持って山を下る。
キトラデ垣内は4戸の集落。
それぞれの家人が山の神に参るという。
お参りを済ませて家へ戻る下りの道中。
見つけた葉付きのカシの木を伐り出す。
これを「キリゾメ(伐り初め)」と云う。
伐採する本数は3本。
フクダワラと同様に男の人数分である。
12月31日はカシの木のキリオサメ。
山の仕事納めの伐り納めだと云う。
帰るまでにホソの生葉を燃やしておいた囲炉裏。
煙が立ち上がる。
その煙はビンボウ神だというが、行為は新しい福の神を迎える作法だそうだ。
伐りとって持って帰ったカシの木は家の前庭に立て掛ける。
山の神に供えた3本のフクダワラは家の蔵に納める。
ウチノクラと呼ぶ蔵の扉を閉じて手を合わした息子さん。
扉を閉めるのは「フク」が逃げないようにしているのだと云う。
山の神さんに唱えたカギヒキの唄に「ウチノクラヘ」がある。
フクダワラは「フク」。
まさに「フク」を蔵に納めた作法である。
山添村の堂前、三ヶ谷、勝原、遅瀬、伏拝などの各大字で唄われているカギヒキの唄に「うちのくらへ ドッサリコ」とある。
山の神さんに「フク」をお願いした銭と米は「うちのくらへ ドッサリコ」と入れたのである。
同じような台詞は宇陀市室生の深野や小原もあるそうだ。
納めたフクダワラは蔵から取り出してキリゾメしたカシの木に括りつける。
山の神の作法はそれだけではなく七草粥の風習に繋がっていく。
持って帰ってきたお供えのモチは囲炉裏で焼く。
囲炉裏のテッキュウ台はカシの木を2本。
端から端へと渡す。
火箸もカシの木である。
山の神参りにカシの木を伐った。
山の仕事初めは翌日の8日。
山の仕事をしてはならない7日の伐採は無礼講だと話す。
その木は他家の木であっても構わないそうだ。
炊事場では奥さんが七草粥を炊いていた。
この日の七草はハクサイ、ダイコン、カブラ、ナズナであった。
冬の季節には春の七草すべてを揃えることは不可能であると話す。
まな板に置いた七草は包丁で叩いて刻む。
おばあさんがいたときは「・・・なんとかのトリ・・・」と唄っていた。
『やまぞえ双書』によれば「とうと(唐土)の鳥と 日本の鳥が 打っちゃわしてコートコト かっちゃわしてコートコト」と唄っていた西波多下津の山の神が紹介されている。
どうやらその台詞と同じであったそうだ。
何べんも唱えながら七草を叩いて刻んだと云う台詞は継がれることはなかった。
囲炉裏で焼いたモチは男の人数の3人分に千切って味噌仕立ての七草粥に入れる。
できあがった七草粥はキリゾメをしたカシの木に少しずつ置いて手を合わせる。
すべての作法を終えて山の神御供下げと思える七草粥を食べるのは男性だけだ。
女性はどうするのかと聞けば同じように七草粥をいただくのであるが、山の神に供えたモチでなく別に搗いたコモチである。
七草粥を炊いた鍋に粥を残せば田んぼにたくさんの草が生えるという言い伝えがあることからすっからかんにするというK家の作法。
他の家はどのようにしているのか尋ねたことがないので判らないと話す。
今ではしていないが、かつてゆっくり寛いでこの日の午後はシモゴエ運びをしていたそうだ。
キトラデに上がる地。村の入り口である。
そこはカンジョシタと呼ぶ小字。
かつてはカンジョウナワを掛けていたのであろうと話す。
ちなみに大塩ではイモギをケンノキと呼ぶ。
柔らかい木だそうだ。
ケンノキを削って細工した大刀を供えているのは大西の山の神だそうだ。
(H25. 1. 7 EOS40D撮影)
山添村大塩では4垣内(中村垣内、上出垣内、下出垣内、キトラデ垣内)それぞれの地区の人たちによる山の神参りが行われている。
この日に訪れたのはキトラデ垣内。
まだ暗い陽が昇らないうちに参るK家。
ご主人と息子さんはキタウラ坂を登って山の中に入っていく。
山の神に参るときには出合ってはならない、
出合っても絶対に声を掛けてはならないと云う。
早朝に参る山添村の山の神。
6時までに参るという地は岩屋、広瀬、下津、切幡、春日、片平などが知られる。
人に見られてはならないと云うから0時過ぎにも参る人もいると聞くことが多い。
山の神参りはいずれの地域も1月7日だ。
朝6時の山は真っ暗な闇の世界。
懐中電灯などの灯りがなければ崖に落ちてしまうような山の道を歩く。
息子さんが予め伐ってきた葉付きのカシの木を持っている。
山の神は遠く離れた地。
道中のある場所で山の石を探しだす。
小石を拾ったその場でフクダワラを作る。
K家の男の人数分とカギヒキに掛ける木の分の合計4本を作る。
手際よく作ったフクダワラの内部に拾った小石を詰める。
再び山中をさすらうように山の神を目指して登る山の道。
到着して直ちに掛けた葉付きのカシの木。
フクラソと呼ぶ樹木に引っかけるような感じで掛ける。
フクラソはフクラシである。
地域によって呼び名が異なる木だ。
その木の下に木の下に藁束を敷いて半紙を広げる。
四方にアマコダケを立てる。
中央には割いた長めのアマコダケを立てて、正月の祝い膳にあった盛ったヒシモチ、クリ、ツルシガキ、トコロを挟みこむ。
先にはキンコウジ(コウジミカン)を挿す。
この年は生憎、トコロを見つけることができなかった。
残念なことだがと云って供えた山の神の御供。
傍には道中で作ったフクダワラを置いてモチを1個供える。
クラタテと呼んでいる山の神のお供えである。
東の方角に向かって手を合わせる。
そうして始まったカギヒキの唄。
フクダワラもフクラソに括りつけて「にしのくにのイトワタ ひがしのくにの銭と米 あかうしにつんで うちのくらへ エントヤー エントヤー」とカギを引く所作をする。
これを「カギヒキ」と云う。
カギヒキの唄は繰り返して3回唱える。
山の神参りを終えた二人は供えたフクダワラとモチを持って山を下る。
キトラデ垣内は4戸の集落。
それぞれの家人が山の神に参るという。
お参りを済ませて家へ戻る下りの道中。
見つけた葉付きのカシの木を伐り出す。
これを「キリゾメ(伐り初め)」と云う。
伐採する本数は3本。
フクダワラと同様に男の人数分である。
12月31日はカシの木のキリオサメ。
山の仕事納めの伐り納めだと云う。
帰るまでにホソの生葉を燃やしておいた囲炉裏。
煙が立ち上がる。
その煙はビンボウ神だというが、行為は新しい福の神を迎える作法だそうだ。
伐りとって持って帰ったカシの木は家の前庭に立て掛ける。
山の神に供えた3本のフクダワラは家の蔵に納める。
ウチノクラと呼ぶ蔵の扉を閉じて手を合わした息子さん。
扉を閉めるのは「フク」が逃げないようにしているのだと云う。
山の神さんに唱えたカギヒキの唄に「ウチノクラヘ」がある。
フクダワラは「フク」。
まさに「フク」を蔵に納めた作法である。
山添村の堂前、三ヶ谷、勝原、遅瀬、伏拝などの各大字で唄われているカギヒキの唄に「うちのくらへ ドッサリコ」とある。
山の神さんに「フク」をお願いした銭と米は「うちのくらへ ドッサリコ」と入れたのである。
同じような台詞は宇陀市室生の深野や小原もあるそうだ。
納めたフクダワラは蔵から取り出してキリゾメしたカシの木に括りつける。
山の神の作法はそれだけではなく七草粥の風習に繋がっていく。
持って帰ってきたお供えのモチは囲炉裏で焼く。
囲炉裏のテッキュウ台はカシの木を2本。
端から端へと渡す。
火箸もカシの木である。
山の神参りにカシの木を伐った。
山の仕事初めは翌日の8日。
山の仕事をしてはならない7日の伐採は無礼講だと話す。
その木は他家の木であっても構わないそうだ。
炊事場では奥さんが七草粥を炊いていた。
この日の七草はハクサイ、ダイコン、カブラ、ナズナであった。
冬の季節には春の七草すべてを揃えることは不可能であると話す。
まな板に置いた七草は包丁で叩いて刻む。
おばあさんがいたときは「・・・なんとかのトリ・・・」と唄っていた。
『やまぞえ双書』によれば「とうと(唐土)の鳥と 日本の鳥が 打っちゃわしてコートコト かっちゃわしてコートコト」と唄っていた西波多下津の山の神が紹介されている。
どうやらその台詞と同じであったそうだ。
何べんも唱えながら七草を叩いて刻んだと云う台詞は継がれることはなかった。
囲炉裏で焼いたモチは男の人数の3人分に千切って味噌仕立ての七草粥に入れる。
できあがった七草粥はキリゾメをしたカシの木に少しずつ置いて手を合わせる。
すべての作法を終えて山の神御供下げと思える七草粥を食べるのは男性だけだ。
女性はどうするのかと聞けば同じように七草粥をいただくのであるが、山の神に供えたモチでなく別に搗いたコモチである。
七草粥を炊いた鍋に粥を残せば田んぼにたくさんの草が生えるという言い伝えがあることからすっからかんにするというK家の作法。
他の家はどのようにしているのか尋ねたことがないので判らないと話す。
今ではしていないが、かつてゆっくり寛いでこの日の午後はシモゴエ運びをしていたそうだ。
キトラデに上がる地。村の入り口である。
そこはカンジョシタと呼ぶ小字。
かつてはカンジョウナワを掛けていたのであろうと話す。
ちなみに大塩ではイモギをケンノキと呼ぶ。
柔らかい木だそうだ。
ケンノキを削って細工した大刀を供えているのは大西の山の神だそうだ。
(H25. 1. 7 EOS40D撮影)