正月8日は平群町福貴畑(ふきはた)の勧請縄掛け。
早朝に集まった男性たちが藁を結う。
杵築神社の座のトーヤ(当家)である。
福貴畑は80戸の集落で全員が氏子になる。
かつては決まった「講」家が座中であったが戦後に解体して全戸氏子制度の座中となった。
縄結いのトーヤは正月座を営んだ人たち5人。
秋にも座のマツリがあり、そのときも5人のトーヤが存在するが、正月座のトーヤとは別のトーヤに替る。
つまり福貴畑のトーヤは1年を2回に分けたトーヤ制度は一年を通じて合計10名からなるトーヤなのである。
80戸の集落からなる福貴畑のトーヤは8年に一度の廻り。
昔から決まっている順番だ云うトーヤは家の並びでもないそうだ。
万が一、不幸ごとがあった場合は替ってもらう。
5軒のトーヤが5束ずつ持ってきた藁束。
現在は稲作農家が少なくなったことから餅米を専門に作っている農家から提供を受けているそうだ。
勧請縄を結うのはモチワラ。
ヨコツチ(槌)で叩くワラ打ち作業でワラを柔らかくする。
塩水に浸けなくとも結い易いと話す。
太くする勧請縄は数人がかりで作る。
作業の場は杵築神社の座小屋と呼ばれる割拝殿。
前日に正月の座の営みをされた場である。
昭和44年5月8日に上棟式をされた拝殿には色彩が僅かに残る彫り物の絵馬を掲げている。
嘉永四年(1851)八月に奉納された絵馬である。
声を掛けられた宮総代も応援に駆けつけて縄結い作業。
一方、勧請縄に垂らすタグリと呼ぶホソナワも結っていく。
タグリの本数は12本。
閏の年であっても12本だ。
30年ほど前には松葉も縄に取り付けていたと話す。
割拝殿の壁には「奉修本尊護摩密供 悪霊退散 五穀豊穣 村中静謐祈攸 大和国平群郷 長楽寺」の木札があった。
真言宗豊山派の長楽寺は平群町役場前にある古寺。
なぜに杵築神社の拝殿に存在するのか判らない。
「どなたかが持ちこんだのではないだろうか」と話す。
縄結いが進行するにつれて長くなる。
かつては上から吊るして3人が身体全身で捩った。
そのときには伊勢音頭を唄っていた。
唄の調子に合わせて捩っていたと云う。
長くなった縄は拝殿の端から端まで。およそ12mの長さである。
神社から遠く離れたカンジョウの地の樹木に巻きつけるからそれぐらいの長さで丁度良いと云う。
一方、社務所でゼンザイを準備する婦人たちもいる。
トーヤの奥さん方である。
勧請の日は夫婦揃っての行事だ。
ゼンザイと夫婦で夫婦善哉を思い出したが・・・特に関係はなく心の中で呟いた私の独り言である。
正月に供えたカガミモチを割ってゼンザイに入れる。
鏡開きは槌で割ることなく機械の押し切り。
宮総代が力を込めて切り分ける。
昨日は7日。福貴畑では七草粥を作ったと話す。
七草はミズナやマナ、ナズナなどを入れた。
セリはまだまだだと云う。
菜っ葉を入れて炊くのはオカイサンと同じ。
家庭によって異なるが塩味、味噌味などさまざまなようである。
この年の縄結い作業は時間がかかった。
小休止や昼休憩を挟んで午後も続行する。
ようやく出来あがった勧請縄はぐるぐる巻いてトグロ巻き。
神社本社前に置いて一同が拝礼。
出発前にホラ貝を吹くとともに太鼓を打つ。
ドン、ドン、ドンドンドンだ。
向かう先はカンジョウの地。
十三峠に向かう旧道である。
分かれ道からほんの少し下った旧道は薮の谷。
そこがカンジョウの地である。
その地から下っていけば福貴畑の杵築神社に繋がる旧道。
さらに下れば小字宮前になると云う。
軽トラックで行っても7分ほどかかるカンジョウの地は見晴らしのいい高台にある。
縄を担いで峡谷とも思えるカンジョウの地に跨げるように掛ける。
一年前に掛けた勧請縄を外して新しく掛ける。
樹木に巻き付けて固定する。
もう一方の縄端は対面側の樹木に上げる。
そろりそろりと持ちあげて縄を張る。
崖のような場所は作業が手間取る。
タグリを奇麗に下げて終えた。
一同は神社に戻ってゼンザイの直会。
大釜で炊いたゼンザイである。
かつては子供たちが大勢やってきて食べていたそうだ。
(H25. 1. 8 EOS40D撮影)
早朝に集まった男性たちが藁を結う。
杵築神社の座のトーヤ(当家)である。
福貴畑は80戸の集落で全員が氏子になる。
かつては決まった「講」家が座中であったが戦後に解体して全戸氏子制度の座中となった。
縄結いのトーヤは正月座を営んだ人たち5人。
秋にも座のマツリがあり、そのときも5人のトーヤが存在するが、正月座のトーヤとは別のトーヤに替る。
つまり福貴畑のトーヤは1年を2回に分けたトーヤ制度は一年を通じて合計10名からなるトーヤなのである。
80戸の集落からなる福貴畑のトーヤは8年に一度の廻り。
昔から決まっている順番だ云うトーヤは家の並びでもないそうだ。
万が一、不幸ごとがあった場合は替ってもらう。
5軒のトーヤが5束ずつ持ってきた藁束。
現在は稲作農家が少なくなったことから餅米を専門に作っている農家から提供を受けているそうだ。
勧請縄を結うのはモチワラ。
ヨコツチ(槌)で叩くワラ打ち作業でワラを柔らかくする。
塩水に浸けなくとも結い易いと話す。
太くする勧請縄は数人がかりで作る。
作業の場は杵築神社の座小屋と呼ばれる割拝殿。
前日に正月の座の営みをされた場である。
昭和44年5月8日に上棟式をされた拝殿には色彩が僅かに残る彫り物の絵馬を掲げている。
嘉永四年(1851)八月に奉納された絵馬である。
声を掛けられた宮総代も応援に駆けつけて縄結い作業。
一方、勧請縄に垂らすタグリと呼ぶホソナワも結っていく。
タグリの本数は12本。
閏の年であっても12本だ。
30年ほど前には松葉も縄に取り付けていたと話す。
割拝殿の壁には「奉修本尊護摩密供 悪霊退散 五穀豊穣 村中静謐祈攸 大和国平群郷 長楽寺」の木札があった。
真言宗豊山派の長楽寺は平群町役場前にある古寺。
なぜに杵築神社の拝殿に存在するのか判らない。
「どなたかが持ちこんだのではないだろうか」と話す。
縄結いが進行するにつれて長くなる。
かつては上から吊るして3人が身体全身で捩った。
そのときには伊勢音頭を唄っていた。
唄の調子に合わせて捩っていたと云う。
長くなった縄は拝殿の端から端まで。およそ12mの長さである。
神社から遠く離れたカンジョウの地の樹木に巻きつけるからそれぐらいの長さで丁度良いと云う。
一方、社務所でゼンザイを準備する婦人たちもいる。
トーヤの奥さん方である。
勧請の日は夫婦揃っての行事だ。
ゼンザイと夫婦で夫婦善哉を思い出したが・・・特に関係はなく心の中で呟いた私の独り言である。
正月に供えたカガミモチを割ってゼンザイに入れる。
鏡開きは槌で割ることなく機械の押し切り。
宮総代が力を込めて切り分ける。
昨日は7日。福貴畑では七草粥を作ったと話す。
七草はミズナやマナ、ナズナなどを入れた。
セリはまだまだだと云う。
菜っ葉を入れて炊くのはオカイサンと同じ。
家庭によって異なるが塩味、味噌味などさまざまなようである。
この年の縄結い作業は時間がかかった。
小休止や昼休憩を挟んで午後も続行する。
ようやく出来あがった勧請縄はぐるぐる巻いてトグロ巻き。
神社本社前に置いて一同が拝礼。
出発前にホラ貝を吹くとともに太鼓を打つ。
ドン、ドン、ドンドンドンだ。
向かう先はカンジョウの地。
十三峠に向かう旧道である。
分かれ道からほんの少し下った旧道は薮の谷。
そこがカンジョウの地である。
その地から下っていけば福貴畑の杵築神社に繋がる旧道。
さらに下れば小字宮前になると云う。
軽トラックで行っても7分ほどかかるカンジョウの地は見晴らしのいい高台にある。
縄を担いで峡谷とも思えるカンジョウの地に跨げるように掛ける。
一年前に掛けた勧請縄を外して新しく掛ける。
樹木に巻き付けて固定する。
もう一方の縄端は対面側の樹木に上げる。
そろりそろりと持ちあげて縄を張る。
崖のような場所は作業が手間取る。
タグリを奇麗に下げて終えた。
一同は神社に戻ってゼンザイの直会。
大釜で炊いたゼンザイである。
かつては子供たちが大勢やってきて食べていたそうだ。
(H25. 1. 8 EOS40D撮影)