三重県で有名なオコナイに伊賀市島ケ原の観音堤寺正月堂の修正会(県指定文化財)がある。
同県の西方、名張市の地に鵜山がある。
鵜山の名称がある地は奈良県山添村にもある。
両県に跨る同名地の鵜山は明治のころ(と思われる)に行政区割りされ奈良県と三重県側に二つが存在することになった。
山添村大塩の住民K氏は奈良県側を西鵜山、三重県側を東鵜山と呼んでいる。
三重県側から言えば山添村の鵜山は大和鵜山と呼ぶ東大寺の所領地である。
西鵜山から峠を越えたすぐ近くに福龍寺がある。
真言宗醍醐派の福龍寺は伊賀四国八十八カ所の第51番札所である。
本尊十一面観音立相像は古くから妊婦尊敬として親しまれてきた子安観音だ。
この日は正月初めに行われる修正会。
いわゆる村行事のオコナイである。
早朝に村の人が持ち寄ったクロモジの木には玉子、或いは大きな繭のような形のモチを付けている。
その数は1本につき100個以上もある。
まるで白い花を咲かせたようにみえる。
鵜山の村は18戸。
それぞれの家が持ってくる「ナリバナ」である。
話によれば1本につき1升のモチを付けているという。
搗きたてのモチは柔らかい。
千切って丸くするモチをクロモジの木にくっつけていく。
ナリバナのモチは新芽がつくという意味がある。
豊作、多産の願いがナリバナに込められているのだろう。
一週間前に山添村広瀬の住民T婦人が話した「ナリバナがあって、食べたらすぐに身ごもった」というありがたいナリバナ。
婦人の出里が名張の鵜山。
子安観音にナリバナを捧げて願いが叶ったというわけだ。
ナリバナを持ちこむ時間はさまざま。
村人の都合次第であるから揃って来るわけではない。
ナリバナを受け付けるのは区長以下寺手伝いの人たちだ。
ナリバナを受け取ればお返しに数個のモチを付けた小さなナリバナを渡す。
一方、公民館には数本のナリバナが欄間から吊るされていた。
垂れさがるナリバナは一面に花が咲いたように見える。
村からは2本の提供があるナリバナである。
子供が生まれた家も2本のナリバナを捧げる。
圧巻な景観にしばし見惚れる。
かつては頭屋家へ捧げるナリバナであったが現在は公民館。
平成元年の頃は頭屋の家で行われていた記録がある。
公民館が新しくなって場を替えたそうだ。
寺や神社の行事、なにかにつけての寄り合いはここでするようになったと話す。
区長と頭屋、それぞれが2本ずつナリバナを持ってきた。
頭屋となるのは男の子が生まれた家。
実に久しぶりだと話す。
福龍寺本堂にはナリバナ以外に飾りつけを待つオコナイの品々が数品ある。
一つはフシの木を削った「ケズリカケ」だ。
3月に行われる東大寺二月堂で行われる修二会のケズリカケ(お水取りの神事の際にお松明の着け木に用いられる)によく似ているが削りは荒い。
フシの実は青い色になるそうだ。
十津川村の山の神にも供えられるケズリカケがあるそうだ。
もう一つは「サラエ(若しくはサライ)」である。
竹の先を6本に割いて直角90度に曲げたサラエに交互に取り付けた紅白の花。
ケズリカケと同じフシの木を使っている。
「ハナ」の別称があるサラエは曲げが戻らないようにマメフジの蔓で縛っている。
奈良市都祁針の観音寺で行われるオコナイの「ハナ(華)」と同じような形であるが針では7本割きだ。
針では曲げの部分を火で炙って曲げていたが、鵜山ではそうすることなく難なく曲げると製作者のS組長が話す。
奈良市都祁上深川の元薬寺で行われる初祈祷がある。
ここでもハナ(華)があるが、竹割りは三方である。
上深川においてもナリバナがある。
大当家が作って奉納するクロモジのナリバナ(モチバナとも呼ぶ)も見事な大きさだったことを覚えている。
それはともかく持ち寄ったナリバナを挿す台がある。
藁俵を丸く敷いた上に竹で編んだ籠を逆さにした台である。
台が倒れないように籠の中には枯れ葉を詰め込んで重たくする。
これをシンドカゴと呼ぶ。
本来は三段にする藁俵。
この年は一段であった。
ナリバナ台に挿す飾りものがある。
竹に挿したクリ、コウジミカン、サトイモ、輪切りダイコンは山の幸だそうだ。
押しモチもある山の幸は閏の年は13本。
合計で26本になるようだ。
ナリバナ台の中央に挿すのは葉付きの笹竹。
力竹とも呼ぶ男竹と若い竹のメダケ(女竹)だ。
その男竹の頂点にケズリカケを挿す。
葉がある細かい女竹の枝には「スズメ」の名称がある小さな三角形の木に色紙で作った造りものも挿す。
「スズメ」は赤、緑それぞれ6個の合計で12個。
一年の月の数のスズメは閏の年では13個になる。
実った稲穂に群がるスズメは豊作を表していると考えられるのである。
シンドカゴ、サラエ、ケズリカケ、スズメ、山の幸は1対。
本尊脇の内陣両側へ左右1対に設える。
シンドカゴには御供と呼ばれるクシガキ、ヒシモチ、2段重ねモチ、クリ、コウジミカン、トコロも供える。
正月の「オガミゼン(拝膳)」の内容と同じだそうだ。
オコナイに奉られる飾りものの造物はそれだけでなく「チバイ」と呼ぶものもある。
フシの木片の四方に「ソミ」「ノシ」「ソン」「ナリ」の文字がある。
コヨリ捩じりの青、赤色紙を付けて鮮やかな「チバイ」は護符を括りつけている。
それには「ソミノシソンナリ」の文字が羅列してある。
供えた家族の人数分だという「チバイ」は蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫成りという鵜山の住民たち。
この「チバイ」はオコナイ行事を終えてから受け取るのではあるが、受け取るのは6歳までの子供と決まっている。
この年は生まれた頭屋家と6歳の子供がいる2軒。
少なくなったと話す。
ちなみに鵜山でいう「スズメ」は島ケ原で「ツバメ」と呼んでいる。
島ケ原では「ソミノシソンナリ」の在り方は廃絶されただけに鵜山のオコナイはとても貴重である。
「チバイ」を本堂の柱に括りつけて午後の時間を待つ。
オコナイの準備作業をしていたのは区長と4組の組長夫婦と頭屋家とその親戚になる家人。
区長は1年任期であるが組長は2年任期だそうだ。
鵜山は18戸の集落だけに廻りが早いという。
かつては37戸もあった鵜山も徐々に減って18戸。
隣村の奈良県側の鵜山も18戸と聞く。
行事を勤めるのはたいへんだと話す。
(H25. 1.13 EOS40D撮影)
同県の西方、名張市の地に鵜山がある。
鵜山の名称がある地は奈良県山添村にもある。
両県に跨る同名地の鵜山は明治のころ(と思われる)に行政区割りされ奈良県と三重県側に二つが存在することになった。
山添村大塩の住民K氏は奈良県側を西鵜山、三重県側を東鵜山と呼んでいる。
三重県側から言えば山添村の鵜山は大和鵜山と呼ぶ東大寺の所領地である。
西鵜山から峠を越えたすぐ近くに福龍寺がある。
真言宗醍醐派の福龍寺は伊賀四国八十八カ所の第51番札所である。
本尊十一面観音立相像は古くから妊婦尊敬として親しまれてきた子安観音だ。
この日は正月初めに行われる修正会。
いわゆる村行事のオコナイである。
早朝に村の人が持ち寄ったクロモジの木には玉子、或いは大きな繭のような形のモチを付けている。
その数は1本につき100個以上もある。
まるで白い花を咲かせたようにみえる。
鵜山の村は18戸。
それぞれの家が持ってくる「ナリバナ」である。
話によれば1本につき1升のモチを付けているという。
搗きたてのモチは柔らかい。
千切って丸くするモチをクロモジの木にくっつけていく。
ナリバナのモチは新芽がつくという意味がある。
豊作、多産の願いがナリバナに込められているのだろう。
一週間前に山添村広瀬の住民T婦人が話した「ナリバナがあって、食べたらすぐに身ごもった」というありがたいナリバナ。
婦人の出里が名張の鵜山。
子安観音にナリバナを捧げて願いが叶ったというわけだ。
ナリバナを持ちこむ時間はさまざま。
村人の都合次第であるから揃って来るわけではない。
ナリバナを受け付けるのは区長以下寺手伝いの人たちだ。
ナリバナを受け取ればお返しに数個のモチを付けた小さなナリバナを渡す。
一方、公民館には数本のナリバナが欄間から吊るされていた。
垂れさがるナリバナは一面に花が咲いたように見える。
村からは2本の提供があるナリバナである。
子供が生まれた家も2本のナリバナを捧げる。
圧巻な景観にしばし見惚れる。
かつては頭屋家へ捧げるナリバナであったが現在は公民館。
平成元年の頃は頭屋の家で行われていた記録がある。
公民館が新しくなって場を替えたそうだ。
寺や神社の行事、なにかにつけての寄り合いはここでするようになったと話す。
区長と頭屋、それぞれが2本ずつナリバナを持ってきた。
頭屋となるのは男の子が生まれた家。
実に久しぶりだと話す。
福龍寺本堂にはナリバナ以外に飾りつけを待つオコナイの品々が数品ある。
一つはフシの木を削った「ケズリカケ」だ。
3月に行われる東大寺二月堂で行われる修二会のケズリカケ(お水取りの神事の際にお松明の着け木に用いられる)によく似ているが削りは荒い。
フシの実は青い色になるそうだ。
十津川村の山の神にも供えられるケズリカケがあるそうだ。
もう一つは「サラエ(若しくはサライ)」である。
竹の先を6本に割いて直角90度に曲げたサラエに交互に取り付けた紅白の花。
ケズリカケと同じフシの木を使っている。
「ハナ」の別称があるサラエは曲げが戻らないようにマメフジの蔓で縛っている。
奈良市都祁針の観音寺で行われるオコナイの「ハナ(華)」と同じような形であるが針では7本割きだ。
針では曲げの部分を火で炙って曲げていたが、鵜山ではそうすることなく難なく曲げると製作者のS組長が話す。
奈良市都祁上深川の元薬寺で行われる初祈祷がある。
ここでもハナ(華)があるが、竹割りは三方である。
上深川においてもナリバナがある。
大当家が作って奉納するクロモジのナリバナ(モチバナとも呼ぶ)も見事な大きさだったことを覚えている。
それはともかく持ち寄ったナリバナを挿す台がある。
藁俵を丸く敷いた上に竹で編んだ籠を逆さにした台である。
台が倒れないように籠の中には枯れ葉を詰め込んで重たくする。
これをシンドカゴと呼ぶ。
本来は三段にする藁俵。
この年は一段であった。
ナリバナ台に挿す飾りものがある。
竹に挿したクリ、コウジミカン、サトイモ、輪切りダイコンは山の幸だそうだ。
押しモチもある山の幸は閏の年は13本。
合計で26本になるようだ。
ナリバナ台の中央に挿すのは葉付きの笹竹。
力竹とも呼ぶ男竹と若い竹のメダケ(女竹)だ。
その男竹の頂点にケズリカケを挿す。
葉がある細かい女竹の枝には「スズメ」の名称がある小さな三角形の木に色紙で作った造りものも挿す。
「スズメ」は赤、緑それぞれ6個の合計で12個。
一年の月の数のスズメは閏の年では13個になる。
実った稲穂に群がるスズメは豊作を表していると考えられるのである。
シンドカゴ、サラエ、ケズリカケ、スズメ、山の幸は1対。
本尊脇の内陣両側へ左右1対に設える。
シンドカゴには御供と呼ばれるクシガキ、ヒシモチ、2段重ねモチ、クリ、コウジミカン、トコロも供える。
正月の「オガミゼン(拝膳)」の内容と同じだそうだ。
オコナイに奉られる飾りものの造物はそれだけでなく「チバイ」と呼ぶものもある。
フシの木片の四方に「ソミ」「ノシ」「ソン」「ナリ」の文字がある。
コヨリ捩じりの青、赤色紙を付けて鮮やかな「チバイ」は護符を括りつけている。
それには「ソミノシソンナリ」の文字が羅列してある。
供えた家族の人数分だという「チバイ」は蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫成りという鵜山の住民たち。
この「チバイ」はオコナイ行事を終えてから受け取るのではあるが、受け取るのは6歳までの子供と決まっている。
この年は生まれた頭屋家と6歳の子供がいる2軒。
少なくなったと話す。
ちなみに鵜山でいう「スズメ」は島ケ原で「ツバメ」と呼んでいる。
島ケ原では「ソミノシソンナリ」の在り方は廃絶されただけに鵜山のオコナイはとても貴重である。
「チバイ」を本堂の柱に括りつけて午後の時間を待つ。
オコナイの準備作業をしていたのは区長と4組の組長夫婦と頭屋家とその親戚になる家人。
区長は1年任期であるが組長は2年任期だそうだ。
鵜山は18戸の集落だけに廻りが早いという。
かつては37戸もあった鵜山も徐々に減って18戸。
隣村の奈良県側の鵜山も18戸と聞く。
行事を勤めるのはたいへんだと話す。
(H25. 1.13 EOS40D撮影)