藺生町青龍寺のオコナイで祈祷されるお札は朝から作っていたと話す寺総代。
「牛王」の版木は明治二十九年申正月一日新調された。
朱印も同時期であったと思われる。
版木刷りを終えればウルシ棒に挟み込む。
村の戸数分を作っていたという。
その場に居合わすことができなかったゴーサン刷り。
寺総代から後日に送ってくださった写真で作業の様子を拝見した。
しばらくすれば葛神社前の道に掛ける勧請綱も作る。
綱縄結いする場は青龍寺。
結い作業は葛神社の社守さん。
次年度に担うミナライの社守さんも手伝って6人で作業をする。
勧請綱に取り付ける房は葉付きのカシの木。
これを飾りと呼ぶ。
稲藁で作る勧請綱は一年間保ちたい。
そのためには心棒を中にいれ込んでの綱結いだ。
そうした作業を終えた午後に再び参集する。
村人たちも集まってきた。
手には初祈祷で作法されるランジョーで叩くフジの木。
めいめいの人たちがご自身で伐り取ってきたフジの木であるゆえ太さはまちまちである。
風呂敷包みも持ってきた。
重箱に入れた15個の御供のモチ。
本尊に供えるモチは行事を終えて宮さん(5個)や社守(一人3個ずつ)に分けるという。
初祈祷の行事は村の初集会を兼ねている。
寺の行事を終えて総集会。
しばらくは会食の時間。
それから神社前に勧請綱を掛けるそうだ。
かつては正月5日が初祈祷であった。
藺生町は上、中、並松の3垣内。
全戸45軒からなる村である。
初集会ではすべての家が参集する。
年末に交替した役員の紹介、ならびに総代の所信表明挨拶があるという。
ウルシ棒に挟んだごーさんや勧請綱を置く青龍寺本堂内にあがる村人たち。
初祈祷に参集する村人はほとんど。
およそ40人が座るだけに肩を寄せ合うぐらいに堂名内はぎっしりと詰まる。
組頭の進行で始まった法要は隣村の小山戸の安楽寺住職が勤める。
初祈祷のお経を唱える3分後辺りで「ダンジョー」と発する。
それを合図に堂床に置いた板を叩きつけるフジの木。
20年から30年前までは本堂の廊下だけでなく堂外の壁や戸板も叩いていたというダンジョーの作法である。
それから2分後、4分後にも発せられた「ダンジョー」。
合計3回行われる作法である。
その後は真言を唱える。のーまくさらまんだー、なむだいしへんじょうそん・・・。
しばらく読経が続いたあとは場を替えた住職。
供えたごーさんと勧請綱の前に座って般若心経を唱える。
村の五穀豊穣、村内安全を祈願した初祈祷はおよそ30分。
重箱御供の10個のモチとごーさんを持ち帰る。
苗代播種の際にハゼ米とキリコを入れた一升枡とともに水口に祭る。
豊作を願う農家の営みであったが離農或いは兼業農家が増えた現在は持ち帰る人も少なくなったと云う。
かつてはダンジョー叩きを終えたフジの木は萱葺き屋根の本堂の屋根に放り投げて帰ったそうだ。
かつては10日に行っていた勧請綱掛けはこの日に済ませている。
神社前の道を進めば桜井市の小夫嵩方に繋がる。
そことの境界にあたる地手前に勧請綱を掛ける。
村に悪病や災いが入ってこないようにという綱掛けはもう1カ所あると聞いた旧道。
どこであるのか聞きそびれた。
ダンジョーの作法は悪病を追い払う意味がある。
オコナイとも呼ばれる行事は正月初めに村の安全を願ったのである。
(H25. 1. 6 EOS40D撮影)
「牛王」の版木は明治二十九年申正月一日新調された。
朱印も同時期であったと思われる。
版木刷りを終えればウルシ棒に挟み込む。
村の戸数分を作っていたという。
その場に居合わすことができなかったゴーサン刷り。
寺総代から後日に送ってくださった写真で作業の様子を拝見した。
しばらくすれば葛神社前の道に掛ける勧請綱も作る。
綱縄結いする場は青龍寺。
結い作業は葛神社の社守さん。
次年度に担うミナライの社守さんも手伝って6人で作業をする。
勧請綱に取り付ける房は葉付きのカシの木。
これを飾りと呼ぶ。
稲藁で作る勧請綱は一年間保ちたい。
そのためには心棒を中にいれ込んでの綱結いだ。
そうした作業を終えた午後に再び参集する。
村人たちも集まってきた。
手には初祈祷で作法されるランジョーで叩くフジの木。
めいめいの人たちがご自身で伐り取ってきたフジの木であるゆえ太さはまちまちである。
風呂敷包みも持ってきた。
重箱に入れた15個の御供のモチ。
本尊に供えるモチは行事を終えて宮さん(5個)や社守(一人3個ずつ)に分けるという。
初祈祷の行事は村の初集会を兼ねている。
寺の行事を終えて総集会。
しばらくは会食の時間。
それから神社前に勧請綱を掛けるそうだ。
かつては正月5日が初祈祷であった。
藺生町は上、中、並松の3垣内。
全戸45軒からなる村である。
初集会ではすべての家が参集する。
年末に交替した役員の紹介、ならびに総代の所信表明挨拶があるという。
ウルシ棒に挟んだごーさんや勧請綱を置く青龍寺本堂内にあがる村人たち。
初祈祷に参集する村人はほとんど。
およそ40人が座るだけに肩を寄せ合うぐらいに堂名内はぎっしりと詰まる。
組頭の進行で始まった法要は隣村の小山戸の安楽寺住職が勤める。
初祈祷のお経を唱える3分後辺りで「ダンジョー」と発する。
それを合図に堂床に置いた板を叩きつけるフジの木。
20年から30年前までは本堂の廊下だけでなく堂外の壁や戸板も叩いていたというダンジョーの作法である。
それから2分後、4分後にも発せられた「ダンジョー」。
合計3回行われる作法である。
その後は真言を唱える。のーまくさらまんだー、なむだいしへんじょうそん・・・。
しばらく読経が続いたあとは場を替えた住職。
供えたごーさんと勧請綱の前に座って般若心経を唱える。
村の五穀豊穣、村内安全を祈願した初祈祷はおよそ30分。
重箱御供の10個のモチとごーさんを持ち帰る。
苗代播種の際にハゼ米とキリコを入れた一升枡とともに水口に祭る。
豊作を願う農家の営みであったが離農或いは兼業農家が増えた現在は持ち帰る人も少なくなったと云う。
かつてはダンジョー叩きを終えたフジの木は萱葺き屋根の本堂の屋根に放り投げて帰ったそうだ。
かつては10日に行っていた勧請綱掛けはこの日に済ませている。
神社前の道を進めば桜井市の小夫嵩方に繋がる。
そことの境界にあたる地手前に勧請綱を掛ける。
村に悪病や災いが入ってこないようにという綱掛けはもう1カ所あると聞いた旧道。
どこであるのか聞きそびれた。
ダンジョーの作法は悪病を追い払う意味がある。
オコナイとも呼ばれる行事は正月初めに村の安全を願ったのである。
(H25. 1. 6 EOS40D撮影)