田畑はある程度の潤いはあるものの水量はそれほどでもない。
雨が降って水が溜まれば池水を流してくれるという大和郡山市椎木町は盆地平坦部。
台風3号も東へ遠ざかってカラカラ天気は尚も続いていた。
雨が降らずの三週間。
山間ではとうに田植えを済ましたが、山に乾きは見られないと話す桜井市瀧倉の座中は話す。
かつては45軒もあった瀧倉。
村を出る家が増えて今では10軒になった。
山間にある瀧倉は貝ケ平の山から奇麗な水が下りてくる。
一週間、二週間も雨が降らんかった干ばつともなればコウズイサンに参っていた。
「とにかく酒を飲まなあかん」と云って水行をして降雨を願い般若心経を一巻、二巻、三巻と唱えた。
「せったら足さん」、いうことを聞いてくれたらコウズイサンの水を貰って帰り、神社拝殿に供えたと云う。
コウズイサンは香酔山だ。
瀧倉から芹井・白木を抜けて貝ケ平山の山向こうにある山。
そこから下れば香酔峠に出る。
「どうぞ降ってください」と願って般若心経を唱えては酒を飲んでいたと語る座中の六人衆。
それは「ヤケタワ」のときやったと話したのは二老のOさんだ。
夕立ちを待っても降らんかったときが「ヤケル」とき。
「稲作米の割合をいうてくるのは国の指示」、稲作は山間であっても重要なことだったと話す。
この日の行事は「アマヨロコビ」。
瀧の蔵神社の拝殿にあがった座中六人衆は今も変わらず一老がⅠさんで、二老はOさんだ。
5年前に勤めていた三老はNさんであったが病いを患い引退された。
当時五老であったⅠさんが繰り上がって三老を勤める。
四老を勤めていたSさんが亡くなられて六老であったOさんも繰り上がりだ。
死去或いは引退で繰りあがって直近まで五老を勤めたMさんはこの年の2月に亡くなられた。
そうした事情が発生したことによって八老であったHさんが繰りあがって五老になった。
末席の六老は九老であったFさんが務めるようになった。
移り替りは数年間で様変わりであるが、一老、二老は今でも元気である。
瀧倉の行事はこの日から三日間も続ける。
この日は天から降ってくる自然の恵みに歓喜する「アマヨロコビ」で、翌日の15日は無事に田植えができたことに感謝して神さんに御礼を述べる「毛掛ヨロコビ」である。
16日は成長してきた稲に天敵の虫が寄って来んように祈る「虫の祈祷」。
村の豊作に祈りを込める三夜は般若心経でお勤めだ。
一老が導師の勤めで、バチでキン(磬)を打つと同時に太鼓が連打される。
「虫の祈祷」の際には三老が法螺貝を吹くが、この日はその作法はない。
錫杖(しゃくじょう)は前後に降ってシャランシャランと鳴らすのは二老、三老、四老の役目。
六老は太鼓打ちを受け持つ。
太鼓は「干時大正拾参年九月吉日張替え □里村大字無山太鼓張替人 中川繁太郎」とある。
手前の斎壇に7本のローソクに火を灯して始まったアマヨロコビ。
かつては長老が挨拶をしてから始めたと云う。
心経を一回唱えるたびに一老は手前に置いてあるサカキの葉を一枚ずつ移す。
この作法を三回繰り返して合計9回の心経を唱えた時間は丁度の25分間。
ローソクが消える寸前であった。
心経をあげたら雨がよく降ると云われている「アマヨロコビ」。
充てる漢字は「雨歓び」であろう。
三日間も心経を唱えたら効き目があり、17日辺りは必ずと言っていいほどの雨が降ったと話す六人衆。
その声が天に届いたのか、それともアマヨロコビを念じた結果かどうかは判らないが翌日の15日の午後は久しぶりの雨。
本格的な雨降りになった。
(H25. 6.14 EOS40D撮影)
雨が降って水が溜まれば池水を流してくれるという大和郡山市椎木町は盆地平坦部。
台風3号も東へ遠ざかってカラカラ天気は尚も続いていた。
雨が降らずの三週間。
山間ではとうに田植えを済ましたが、山に乾きは見られないと話す桜井市瀧倉の座中は話す。
かつては45軒もあった瀧倉。
村を出る家が増えて今では10軒になった。
山間にある瀧倉は貝ケ平の山から奇麗な水が下りてくる。
一週間、二週間も雨が降らんかった干ばつともなればコウズイサンに参っていた。
「とにかく酒を飲まなあかん」と云って水行をして降雨を願い般若心経を一巻、二巻、三巻と唱えた。
「せったら足さん」、いうことを聞いてくれたらコウズイサンの水を貰って帰り、神社拝殿に供えたと云う。
コウズイサンは香酔山だ。
瀧倉から芹井・白木を抜けて貝ケ平山の山向こうにある山。
そこから下れば香酔峠に出る。
「どうぞ降ってください」と願って般若心経を唱えては酒を飲んでいたと語る座中の六人衆。
それは「ヤケタワ」のときやったと話したのは二老のOさんだ。
夕立ちを待っても降らんかったときが「ヤケル」とき。
「稲作米の割合をいうてくるのは国の指示」、稲作は山間であっても重要なことだったと話す。
この日の行事は「アマヨロコビ」。
瀧の蔵神社の拝殿にあがった座中六人衆は今も変わらず一老がⅠさんで、二老はOさんだ。
5年前に勤めていた三老はNさんであったが病いを患い引退された。
当時五老であったⅠさんが繰り上がって三老を勤める。
四老を勤めていたSさんが亡くなられて六老であったOさんも繰り上がりだ。
死去或いは引退で繰りあがって直近まで五老を勤めたMさんはこの年の2月に亡くなられた。
そうした事情が発生したことによって八老であったHさんが繰りあがって五老になった。
末席の六老は九老であったFさんが務めるようになった。
移り替りは数年間で様変わりであるが、一老、二老は今でも元気である。
瀧倉の行事はこの日から三日間も続ける。
この日は天から降ってくる自然の恵みに歓喜する「アマヨロコビ」で、翌日の15日は無事に田植えができたことに感謝して神さんに御礼を述べる「毛掛ヨロコビ」である。
16日は成長してきた稲に天敵の虫が寄って来んように祈る「虫の祈祷」。
村の豊作に祈りを込める三夜は般若心経でお勤めだ。
一老が導師の勤めで、バチでキン(磬)を打つと同時に太鼓が連打される。
「虫の祈祷」の際には三老が法螺貝を吹くが、この日はその作法はない。
錫杖(しゃくじょう)は前後に降ってシャランシャランと鳴らすのは二老、三老、四老の役目。
六老は太鼓打ちを受け持つ。
太鼓は「干時大正拾参年九月吉日張替え □里村大字無山太鼓張替人 中川繁太郎」とある。
手前の斎壇に7本のローソクに火を灯して始まったアマヨロコビ。
かつては長老が挨拶をしてから始めたと云う。
心経を一回唱えるたびに一老は手前に置いてあるサカキの葉を一枚ずつ移す。
この作法を三回繰り返して合計9回の心経を唱えた時間は丁度の25分間。
ローソクが消える寸前であった。
心経をあげたら雨がよく降ると云われている「アマヨロコビ」。
充てる漢字は「雨歓び」であろう。
三日間も心経を唱えたら効き目があり、17日辺りは必ずと言っていいほどの雨が降ったと話す六人衆。
その声が天に届いたのか、それともアマヨロコビを念じた結果かどうかは判らないが翌日の15日の午後は久しぶりの雨。
本格的な雨降りになった。
(H25. 6.14 EOS40D撮影)