桜井市の脇本、箸中から田原本町の蔵堂を目指していたときだ。
道路を走って目に入った神社の鳥居。
その付近に人がいた。
手水辺りにおられた婦人。
もしやと思って車を停めた。
鳥居を潜れば男性が二人。
お尋ねしたところ一年間に亘って神社を守っているという。
この日は境内などの清掃。
毎月2回は奇麗にしているという三十八(みそやの名もあるが、さんじゅうはち)神社の宮守さんである。
ここはどこになるのかと聞けば天理市の桧垣(ひがい)町。
市の最南端にあたる桧垣町は130戸の集落。
旧村集落は大きくわけて北と南の垣内だそうだ。
檜垣村は遠田村、海知村、武蔵村とともに川東村に属していたが、昭和33年に天理市へ行政変更区割りされた。
大淀町に旧村大字の桧垣本村があるが天理市の桧垣町と関係があるのだろうか・・・。
桧垣町はかつて式下郡。
西大寺領地荘園の桧垣庄(旧春日大社十市領かも)であった。
三十八神社は桜井市の穴師に鎮座する穴師坐兵主(あなしにますひょうず)神社の末社。
春と秋が大祭で同神社を務める宮司が祭典をされるそうだ。
穴師坐兵主神社の春の大祭には参拝する桧垣町の宮守さん。
賑やかに集うと話す。
たしか4月8日だったと思うのだが・・・。
山開きを兼ねた山の神降り。
田の神さんの豊作を願う祈年祭だったように思えて訪れたのであるが、ひとっこ一人も居なかったのだ。
穴師坐兵主神社の摂社に野見宿彌命を祀る相撲神社がある。
日本書紀に登場する野見宿彌は力士の祖。
7月7日に地元市民団体の「うるわしの桜井をつくる会」が記念碑を建之されると話す宮守さんはその会の一人。
多くの人が訪れてほしいという。
なお、三十八神社の道路際に立つ常夜燈には文化五年辰(1808)四月の刻印が見られた。
いつかは行事取材で再訪してみたいと思った。
なお、桧垣町には三十八神社から北方1.5km先に笠神社もある。
三角地に鎮座する社である。
通りがかったときに不思議な光景だと思った地である。
(H25. 6.30 SB932SH撮影)
道路を走って目に入った神社の鳥居。
その付近に人がいた。
手水辺りにおられた婦人。
もしやと思って車を停めた。
鳥居を潜れば男性が二人。
お尋ねしたところ一年間に亘って神社を守っているという。
この日は境内などの清掃。
毎月2回は奇麗にしているという三十八(みそやの名もあるが、さんじゅうはち)神社の宮守さんである。
ここはどこになるのかと聞けば天理市の桧垣(ひがい)町。
市の最南端にあたる桧垣町は130戸の集落。
旧村集落は大きくわけて北と南の垣内だそうだ。
檜垣村は遠田村、海知村、武蔵村とともに川東村に属していたが、昭和33年に天理市へ行政変更区割りされた。
大淀町に旧村大字の桧垣本村があるが天理市の桧垣町と関係があるのだろうか・・・。
桧垣町はかつて式下郡。
西大寺領地荘園の桧垣庄(旧春日大社十市領かも)であった。
三十八神社は桜井市の穴師に鎮座する穴師坐兵主(あなしにますひょうず)神社の末社。
春と秋が大祭で同神社を務める宮司が祭典をされるそうだ。
穴師坐兵主神社の春の大祭には参拝する桧垣町の宮守さん。
賑やかに集うと話す。
たしか4月8日だったと思うのだが・・・。
山開きを兼ねた山の神降り。
田の神さんの豊作を願う祈年祭だったように思えて訪れたのであるが、ひとっこ一人も居なかったのだ。
穴師坐兵主神社の摂社に野見宿彌命を祀る相撲神社がある。
日本書紀に登場する野見宿彌は力士の祖。
7月7日に地元市民団体の「うるわしの桜井をつくる会」が記念碑を建之されると話す宮守さんはその会の一人。
多くの人が訪れてほしいという。
なお、三十八神社の道路際に立つ常夜燈には文化五年辰(1808)四月の刻印が見られた。
いつかは行事取材で再訪してみたいと思った。
なお、桧垣町には三十八神社から北方1.5km先に笠神社もある。
三角地に鎮座する社である。
通りがかったときに不思議な光景だと思った地である。
(H25. 6.30 SB932SH撮影)