マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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「記録されたくらしとまつり」をテーマに民俗上映会

2013年10月06日 09時19分47秒 | 民俗を観る
県立民俗博物館ではこれまでにさまざまな民俗行事や生業などを捉えた映像を上映してきた。

今回は「記録されたくらしとまつり」である。

博物館が開設するまでには準備室があった。

展示物品がどのような形態で作り、仕掛けてきたかである。

準備段階においても調査、記録されてきたのだ。

民俗の記録と保存の事業が主な役目の博物館。

当時の撮影機材は8ミリフイルム。音声はない。

別途に録音されたものもあるらしい。

40年近くなる時代の収録機材はやがてビデオに移る。

今では懐かしいベータやVHSだ。

学芸員が収録したものもあれば映像の専門会社に委託して収録した映像もある。

記録技術の変遷は社会の変遷でもある。

私自身もそのような変遷に応じて記録してきた。が、である。

記録した映像を映し出す機械が製造停止。

やむなくお蔵入りしたものはあまりにも多い。

その点、静止画像は写真フイルム。

未来永劫までとは云えないが観ることは現在も可能である。

ところがデジタルはそういうわけにはいかない。

記録方式はそれを製造するメーカーの規格。

その都度買い替えてきたビデオ機器。

ベータはもう観ることもできない。

VHSや8ミリビデオは現在所有する機器でダビングしている。

していると云ってもその時間を確保することは不可能に近い。

これらの難問を解決するにはダビングを専門としている企業にお任せということになるが、本数があまりにも多いことから費用は膨大になる。

ワタクシゴトでも難儀な課題である。

県立民俗博物館で保有している映像も膨大である。

ビデオテープの保管は実にやっかいだ。

ベータ時代に教わったのは、一年に一度はテープを空回転させること。

それをしなければテープは癒着する。

しておいても伸びてしまったテープが回転軸に絡んで傷んでしまうことも多々あった。

私自身の体験もそうである。

ビデオテープは経年劣化するのである。

フイルムも傷みは発生する。

いわゆる剥離現象であるが、なんとか映像は確保できる。

ビデオテープもフイルムも色落ち現象は否めないが、ビデオテープは復元できずに死蔵になったケースは多々である。

そうした問題を全面的に克服はできなかったが、なんとか残された民俗記録は666本になるそうだ。

平成24年度事業であった「無形民俗映像資料デジタル化事業」の成果はまだ緒についたばかりだ。

映像は残っているが、何時、どこで、誰が、どのように記録したのか資料との整合性を検証しなければならない。

デジタル化に伴うのはバックアップ体制である。

DVDは永久的な保存は不可能だ。

円盤に記録された情報はいずれ消える可能性があるのだ。

DVDといえば、レーザーディスクがあった。

カラオケの流行りであった。

もっと以前は8トラのテープであった。

「ハチトラ」とか「エイトトラック」と呼んでいた音声記録のカートリッジ型テープはエンンドレステープ。

カーオディオやカラオケで繁盛したことを覚えている。

当時はカラオケと云わずに「マイナス・ワン」やったと思う。

楽曲オーケストラは入っているが、唄い手の唄がなかった。

それだからマイナス・ワンだった。

唄い手だけでなくギター音がないマイナス・ワンもあったはず。

いつしか唄がない空っぽのオーケストラは短縮されて「カラオケ」と呼ぶようになった。

その後に登場したのはオランダフィリップス社製のコンパクトカセットテープだ。

ソニーウォークマンによって大きく飛躍した音声記録は購入したカセットデンスケで野鳥の鳴き声などの収録をしてきた。

それまでは4トラックオープンリールテープデッキを使っていたが、アウトドア向きでない重量。

デンスケが発売されたときには飛び付いたものだ。

今では屋根裏の主になっている。

カラオケビデオといえばパイオニアのレーザーディスクだ。

画像とともに流れる曲に合わせてマイクを持った時代が懐かしい。

対抗馬のVHD製品を覚えている方もたくさんおられるだろう。

日本ビクターが開発したビデオディスク規格である。

次々と登場したデジタル製品はメーカーの意向が絡んでいる。

それに合わせてデジタル社会も大きく変貌してきたが、円盤の劣化は避けようがなかった。

当時、云われていた平均寿命は30~50年だった。

技術革新とともに歩んできた音声・映像記録のこれからはどうなっていくのだろうか。

そんなことを考えるなか、事業の進展状況を説明されて始まった民俗上映会は期待以上の民俗紹介であった。

1.大和郡山市天井町と下市町阿知賀瀬ノ上の井戸替え、2.都祁上深川の富士垢離、3.月ヶ瀬尾山の奈良晒、4.下市町栃原・波比売神社の宮座まつり、5.十津川村玉置川のトチモチつくり、6.榛原山辺三の牛耕、7.榛原山辺三のサビラキ、8.川上村大滝のキンマ出し、9.吉野町国栖(窪垣内)の紙すき、10.室生龍穴神社の獅子舞、11.室生・龍穴地区トヤ家奉納獅子舞である。

かつてテレビ放映されていた真珠の小箱。

そのなかから著作権をクリアーした「大和郡山市天井町と下市町阿智賀瀬ノ上の井戸替え」。

さらに再編集した短縮バージョン。

昭和62に収録された映像である。

天井町の井戸替えは2回ほど取材した。

今年も通勤途中でお会いしたNさんから来てほしいと願われた。

当時の映像では子どもも大勢来ていて、底に沈んでいる弘法大師の石板の泥を落として洗っている様子を伺っていた。

今では底に降りることがない井戸替え。

貴重な映像である。

瀬ノ上の井戸替えは始めに塩を撒いて清めていた。

井戸を洗う際には底にある石を揚げる。

それには水ゴケが貼りついている。

丁寧にそれを落としている。

一同は揃って念仏を唱えてお参りをしている映像である。

秋祭りの題目立で名高い都祁上深川で行われている富士垢離

浅間大菩薩に向かって水行の垢離は8回。

深江川の水に浸かって行う姿はフンドシだ。

その場はカンジョウと呼ばれる地。

8月24日に行われていた富士講の人たちは6人だった。

上深川の富士垢離は3年前に取材させていただいた。

先代の講中たちが亡くなり長い期間中断していた。

次の時代にも伝えていかねばと一丸発起し平成21年に復活されたのである。

収録された当時の映像には若きOさんが登場している。

月ヶ瀬尾山の奈良晒は麻布織り紡織の伝承技術。

烏梅の製造技術とともに奈良県の文化財に指定されている。

県の特産物で地場産業の奈良晒。

明治に入って廃れていた伝承技術であったが、収録された映像は伊勢神宮へ奉納する家の特別な晒つくりであった。

現在は立ちあげた保存会によって継承されている。

下市町栃原・波比賣(はひめ)神社の宮座まつりは山間部特有の座の在り方が紹介されている。

9月24日は御幣受け。

「宮座の神酒上祭」と呼ばれている。

兄座、弟座がトヤ(當屋)受けをしてからの8日間が宮座のまつりである。

次のトヤとともに波比売神社分霊である大御幣をトヤ家で祀る。

9月29日はモチツキ。

杵と臼で四斗の餅を搗く。

かつてはアズキモチも搗いていたようだ。

年長の人からトヤ受けをする映像はトヤ家の儀礼。

トヤが挨拶する。一年間も大役を務めさせてもらったと口上を述べる作法である。

そのあとはトヤ家での直会。

大勢の人たちが席につく。

その途中で差し出される品々。

「スズリブタ」と呼ばれる器に盛った料理は縁起物。

「水物(みずもの)」でもてなす作法もある。

「取りの盃(さかづき)」で酒を飲み交わす。

満杯に注がれた酒を飲み干す作法である。

兄トヤはマツリの前日に、弟トヤはマツリのヨイミヤで行われる直会の営みである。

かつては10月15日であった宮座のまつりは柿の採りいれがあることから1日になったようだ。

竹に括りつけた日の丸御幣を授かってトヤが奉幣振りをする。

そしてゴクマキとなるトヤ家の記録映像だった。

十津川村玉置川のトチモチつくりは製法を詳しく描き出す。

トチの木は七葉樹。待ちながら拾う。

モチは作ってからも長年に亘って食を保つ救荒食物。

何度も行うアク取り作業がほとんどである。

榛原山辺三の牛耕は現在展示されている春の企画展の「お米作りと神々の祈り」の音無し映像。

8ミリフィルムで撮影された。

今では見られなくなったカラスキ、マンガ掻きに使役されている牛の姿だ。

牛の動作、田んぼの耕し方は貴重な映像になった。

田植え前の耕作牛は山間と平坦ではその時期がずれていることから預け牛の習俗があった。

当時の田植え作業は人の手による。

山間部では女の人が田植えをする。

逆に「ヒロミ」と呼ばれる平坦では男手による田植えだ。

牛耕を映し出していた榛原山辺三の家では「サビラキ」があった。

「サビラキ」は「早」・「開く」の呼称である植え初め(うえはじめ)だ。

植え初めは「ウエゾメ」とも呼称する田植え初めの祈りである。

当主家の半床に奉って豊作を願ったサカキとナエサン(2束の苗)は田んぼに持っていく。

田の傍らにサカキとナエサンを置いて田植えを始める。

田んぼには既にナエサンの束を水田に放っていた。

括っていた藁を解く苗取りをしながら田植えをする人力作業も貴重な映像である。

ちなみに常設展示用に映像資料として残した川上村大滝のキンマ出しも上映された。

「キンマ」の漢字は木馬である。

吉野町南国栖の紙漉きが映し出された。

今尚行われている国栖の紙漉きだ。

室生龍穴神社に奉納される獅子舞もある。

獅子舞に奏でる太鼓や鉦の音はない。

音はないが解説で紹介される獅子舞は黒毛を「オンタシシ」、赤毛を「メンタシシ」と呼んでいた。

鈴で祓うシャンコシャンコ。

天神社での祭礼はその音からシャンコシャンコの呼び名がある。

天狗の舞いやオヤマ道中もあったが途絶えたと伝える。

室生の獅子舞の囃しは曽爾村の門僕神社とは若干違うようだ。

トーヤ家ではモチツキ唄を歌っていた。

餅搗き周りを囲んだ女性が歌うモチツキ唄に合せて「ソリャ ヨイセッ」と掛け声をかけていた男たち。

モチツキ唄には「オモシロヤ」とか「ヒョウタンヤ」の囃しもあった。


(H25. 6.16 SB932SH撮影)