マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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西宮平群神社を訪ねて

2013年10月20日 08時54分23秒 | 楽しみにしておこうっと
天理市櫟本の膳史(かし)に住むN婦人の出里は平群町西宮。

ハゲッショの田植え休みがあったと聞いて出かけた。

高台に鎮座する平群神社の祭神は大山祇神である。

総本社は愛媛県今治市の大三島に鎮座する。

武内宿禰が神功皇后とともに朝鮮出兵前に戦勝祈願として大山祇神をこの地に祀ったと伝わる西宮の平群神社である。

一年に一度は同級生である龍田大社の権宮司とともに参拝するという氏子のNさんら男性が集まってお寺に登る階段を整備されていた。

大字城山にあるお寺は城峰山来迎寺。

文明九年(1477)、西宮城の畠山義就が急襲以来、再三の戦火に襲われた。

近郷の念仏講、有志が戦死者を祀るに坊を創建した念仏道場は元禄三年、伝わる和尚代大通労尊が中興の祖となり享保十七年・寛政元年にかけて再建した。



境内は奇麗に整備されて、樹木は美しく佇まいをみせる。

Nさんらは神社役員を勤めるとともに寺檀家役員でもある。

神社の秋祭りは4レーンもあるソーメン流しをしている。

子供会が中心となった行事である。

旧村になる西宮も越してきた新町が増えて45軒から150軒にもなったと云う。

かつて西宮には宮座があった。

正月座、マツリ座と呼ばれる座中であった。

行事の進行は長帳に記載されている通りに沿ってトーヤがまかないをする。

旧村の西宮は農業を営む家が多かった。

時代を経て農家が徐々に減少した西宮。原則的に宮座入りを認めなかった。

宮さんの田んぼもあったが、農業員が少なくなって維持管理ができなくなった。

高齢化とともに寄付の負担も大きくなり、宮座を解散した。

14、5年も前のことである。

神社の祭りは実行委員会が宮さんの田んぼを運営することになった。

いつしか水利組合に移った。

その頃に、寺は檀家に、宮さんは崇敬者に替えて村の行事とした。

その際に建て直したのが社務所である。

秋祭りは10月15日に近い日曜日に行っている。

朝は8時に集まってソーメン流しを設える。

大勢で賑やかな祭りは丸一日関わる。

前日の宵宮は前述した龍田大社から上田宮司が来られる。

そのときに行われるのが献燈祭。

燈す祭りと思えばそうではなかったケントウ祭は献湯祭だ。

鳥居下で行われる献湯祭は釜に湯を沸かして神事する御湯である。

巫女さんがされるというからおそらく三郷の巫女さんであろう。

ちなみにハゲッショと植え付け休みは兼ねているそうだ。

何故に西宮と呼ばれるのか聞いてみた。

法隆寺の南の端に藪の傍に神社があった。

聖徳太子と関係があったとされる寺である。

線路を空けて寺があった地は法隆寺からは西の地。

そういうことだから西宮になったと云う。

(H25. 7. 1 SB932SH撮影)