マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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北野極楽院帝釈寺戦没者慰霊祭

2014年01月26日 09時30分34秒 | 山添村へ
山添村の大字北野は行事取材に度々訪れていた。

北野の天神社のホーデンガクをはじめとして、奥小派、杉原、津越、腰越の四垣内でそれぞれの行事があるが、お寺行事は未だ拝見していなかった。

お寺は真言宗極楽院帝釈寺。

天神社の神宮寺として創建されたそうだ。

同寺では正月初めの初祈祷・オコナイや虫および風祈祷の行事があると聞いていたが、日程が定まらず訪れたときは不在だったこともあり、今回は予め檀家総代のⅠさんにお願いして許諾を得ていた。

この日に集まってきた檀家たちは黒装スーツに黒ネクタイ姿である。

この日の行事は村の戦没者を弔う慰霊祭につき、法要を撮ることは許されないが、ご本尊の木造帝釈天立像は撮影および公開の許可をいただいた。

帝釈寺は真言宗豊山派。

同寺の法要を勤めるのはご縁があった奈良市柳生・立野寺の住職。

それまでは無住寺であったが、ご縁があって30年ほど前からお勤めをされている。

これまで勤めていた親父さんの跡を継いだ若住職は高野山で修業を積んだ。

北野帝釈寺と柳生立野寺を結びつける版木を知ったのは平成22年2月7日のことである。



立野寺で行われる立春のオコナイの取材のおりに拝見した「牛玉 帝釋寺 寶印」版木の裏面にあった墨書に「元禄五年(1692)五月十三日・・極楽寺・・教職 是をは・・・」などの文字が判読できたのである。

北野の帝釈寺の現在名は極楽院帝釈寺であるが、元禄時代が極楽寺で、宝暦以降に極楽院と名を替えたと伝わる。

所縁のある版木は立野寺で大切に保管されている。



「戦死者之英霊」位牌を本尊前に立ててローソクに火を灯す。

檀家総代の挨拶から始まった慰霊祭。

同寺にお参りされる方々はご遺族。

秋期慰霊祭に多くの人たちが参拝されたことにお礼を述べる。

戦没者を敬って真言を唱える住職。

これまで父親とともに参列していたが、この日は一人立ち。

国家安寧を祈って散った戦没者の冥福を祈り、一人、一人の名を詠みあげる。

読経の間に回される焼香。般若心経なども唱える「ノウマクサマンダ ボダ ナムダイシヘンジョウコンゴウ・・・」。

およそ30分間の法要を住職の話を聞いた檀家たちはセンターに移った。

(H25. 9.23 EOS40D撮影)