マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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海知町のシンカン祭

2014年01月06日 07時54分04秒 | 天理市へ
前夜から降りだした雨は止まない。

例年なら10時に行幸される天理市海知町のシンカン祭りは、やむを得ず1時間も出発時間を繰り上げて実施された。

そぼろ降る雨のなか、唐櫃を担いできたという。

倭恩智神社では既に始まっていた祭りの斎行。

オトヤ・コトヤを祓っていた神官はこの日も法貴寺の池坐朝霧黄幡比賣神社藤本宮司が勤めていた。

シンカン祭の三日目は大当屋・小当屋が初穂を奉献する。

受け取る宮司は、宵宮と違って立って受け取る。



宵宮同様に奉幣振りの神事を終えて直会に移る。

シンカン祭の三日目の神饌は「蒸し御供」である。

オコワの飯に大豆を十数粒載せてある。

二枚の「杉皮モチ」もある。

本殿は3膳で、末社の春日さん、八幡さん、稲荷社へは各1膳ずつだ。



宵宮の膳数とは違っていたが、話しによればかつては7膳だったとオトヤの婦人が云う。

安永六年の座中記録には『供物七膳きやう組東西大三膳』とあるから、もっと昔は三膳であったろう。

それにしても、「きやう」とは何であろうか。

県内各地で拝見した数多くの神饌に「キヨウノメシ」、或いは「キヨウメシ」、「キョウ」がある。

「キヨウ」を「饗」と考えるならば、海知町の「きやう」は「きよう」が訛ったと考えられるのである。

宵宮では礼服だったが、この日は普段着の手伝いさん。

前日と同じく手で受けて膳を運ぶ。

オトヤとコトヤは烏帽子に素襖姿である。



蒸し御供(オコワ)はかつてマツリを終えて村に配った。

ひと盛りのオコワを四つに切っていたようだ。

無事に神事を終えたらヤナギ・稲穂の幣を境内の樹木に括りつける。

直ちにというわけではなく、トヤの都合の良い時間帯は「いつでもいいんや」と話す。

しばらく他所に出かけて戻ってきた数時間後。



境内にある一本の樹木に括りつけていた。

(H25. 9. 8 EOS40D撮影)