棚田を拝見して立ち寄った太夫家。
門口に竹を立てていた。
先っぽが黒ずんでいる。
焼けた痕だと思った。
写真では判り難いが斜めに倒れている古い竹もあった。
もしかとすればと思ってシャッターを押した。
門口から出入り口を下がった処に小屋がある。
声は聞こえないが煙が立ち上がっていた。
足を運んだそこには黒く焼けたもみ殻があった。
その中央部に煙突がある。
そこからも煙が出ていた。

いわゆる燻炭焼きである。
棚田に設えたハサガケの2/3は竹の棒を水平にしていた。
干していたと思われる稲の2/3はなかった。
燻炭焼きはハサガケで干していた稲はイネコキして精米した。
残ったもみ殻を焼いていたと思われた。
これもシャッターを押しておいた民俗の景観である。
ピンポーンを押して家人を尋ねる。
玄関を出てこられたのは72歳の婦人だ。
ついさきほどまでは桜井から花好きな二人連れが来ていたという。
ここを訪れたのは退院後の元気な姿を見てもらうためだ。
「タメトモユリ」の花が咲いているからと電話を架けてくれたのはご主人だ。
7月14日のことであるが、そのときは入院しているベッドであった。
病院から抜け出すことはできない。
8月末まで咲いているとも云われたが自宅療養の身であった。
8月15日に退院してから2カ月半。
10月に入っていた。
「タメトモユリ」は来年にこそ訪れたいものだ。
入院・手術・退院の話しをすれば「私も同じ時期にたいへんやった」と話し出す。
ヘルペス発疹によって発熱した。
それから肺炎を起こした。
入院はしなかったが呼吸困難になった。
肺に水が溜まったという症状は私と同じだ。
3月1日に神さんを迎えている同家。
なんとか乗り切っていきたいと思ってそうしたらしい。
つい最近になって回復したという婦人の話しにこちらが驚いた。
本来なら20日辺りにマツリが行われるが、さまざまな事情で一週間遅らせた。
一つは同家の事情、もう一つは宮司の事情である。
マツリの日が重なった宮司は動きようがない。
仕方なく一種間遅らせた。
そのことによって一年間の服忌が明けたY家はマツリに参列できるというわけだ。
旗を立てる杭を立てた。
秋の花が咲いている庭を綺麗にする。
廻りの用事がいくらでもある。
10月はお庭造りに遷しまし、マツリに後宴もある。
できる限り寄せてもらうことにした同家の軒先にはマメとトウガラシを干していた。
マメの一つはパンダマメ。
右手より少し小さい。
手で皮を抑えると弾けて白いマメが飛び出す。
食べるのではなくタネ利用。
畑に盛って育てるらしい。
「小屋の前で煙が出ている」と伝えたら消し忘れていたという婦人。

束にした竹箒で掃いてなだらかにする。
井戸水をバケツに掬ってジョウロで注いで焼けた燻炭の火を消す。

まんべんなくジョウロで注ぐ消し水。
ある程度消えたら中央に立てていた土管を下げる。
熱いから手で持てない。
金属製のハサンバリで掴んで退ける。

燻炭の中には石がある。
土管が倒れないことと、空洞を開けて空気が流れるようにした石も取り除く。
焼けたもみ殻はタール分が出る。
煙突だった土管の内部はタールで詰まる。
それを取り除く竹も傍に置いていた。
炭化した燻炭は畑の肥料にもなるし、種蒔きをした畑の蓋にも使う土壌改良材である。
通気、排水もあれば土をよくする微生物の住処にもなる。
土壌の消毒、耐病などなどに利用する優れものだ。
消火作業を見届けて、気になっていた門口の竹の正体を教えていただいた。
昔も今も同じ場所でしている先祖さん迎えの痕跡である。
二つ折にした藁束を竹の棒に挿す。
それは2本。
ご主人が「かえなはれ・・」と云いながら鉦を叩いて屋内に戻る。
8月14日の夕方近くに行われる家の風習痕を見つけたときの嬉しさ・・。
盆の風習を知る者でなければ見逃す情景に感動する。
奥さんが話す様相から隣村の北白木で拝見したものと同じようだ。
翌日の15日は戻った先祖さんが再び天に戻っていく。
迎えと同じように送りのときも門口に竹を立てて藁束を燃やす。
「いにやれ」と囃しながら鉦を打つ。
天に戻られる時間帯は遅いほうがいい。
家に滞在してもらう時間はできるだけ長くすると話していた。
(H27.10. 7 EOS40D撮影)
門口に竹を立てていた。
先っぽが黒ずんでいる。
焼けた痕だと思った。
写真では判り難いが斜めに倒れている古い竹もあった。
もしかとすればと思ってシャッターを押した。
門口から出入り口を下がった処に小屋がある。
声は聞こえないが煙が立ち上がっていた。
足を運んだそこには黒く焼けたもみ殻があった。
その中央部に煙突がある。
そこからも煙が出ていた。

いわゆる燻炭焼きである。
棚田に設えたハサガケの2/3は竹の棒を水平にしていた。
干していたと思われる稲の2/3はなかった。
燻炭焼きはハサガケで干していた稲はイネコキして精米した。
残ったもみ殻を焼いていたと思われた。
これもシャッターを押しておいた民俗の景観である。
ピンポーンを押して家人を尋ねる。
玄関を出てこられたのは72歳の婦人だ。
ついさきほどまでは桜井から花好きな二人連れが来ていたという。
ここを訪れたのは退院後の元気な姿を見てもらうためだ。
「タメトモユリ」の花が咲いているからと電話を架けてくれたのはご主人だ。
7月14日のことであるが、そのときは入院しているベッドであった。
病院から抜け出すことはできない。
8月末まで咲いているとも云われたが自宅療養の身であった。
8月15日に退院してから2カ月半。
10月に入っていた。
「タメトモユリ」は来年にこそ訪れたいものだ。
入院・手術・退院の話しをすれば「私も同じ時期にたいへんやった」と話し出す。
ヘルペス発疹によって発熱した。
それから肺炎を起こした。
入院はしなかったが呼吸困難になった。
肺に水が溜まったという症状は私と同じだ。
3月1日に神さんを迎えている同家。
なんとか乗り切っていきたいと思ってそうしたらしい。
つい最近になって回復したという婦人の話しにこちらが驚いた。
本来なら20日辺りにマツリが行われるが、さまざまな事情で一週間遅らせた。
一つは同家の事情、もう一つは宮司の事情である。
マツリの日が重なった宮司は動きようがない。
仕方なく一種間遅らせた。
そのことによって一年間の服忌が明けたY家はマツリに参列できるというわけだ。
旗を立てる杭を立てた。
秋の花が咲いている庭を綺麗にする。
廻りの用事がいくらでもある。
10月はお庭造りに遷しまし、マツリに後宴もある。
できる限り寄せてもらうことにした同家の軒先にはマメとトウガラシを干していた。
マメの一つはパンダマメ。
右手より少し小さい。
手で皮を抑えると弾けて白いマメが飛び出す。
食べるのではなくタネ利用。
畑に盛って育てるらしい。
「小屋の前で煙が出ている」と伝えたら消し忘れていたという婦人。

束にした竹箒で掃いてなだらかにする。
井戸水をバケツに掬ってジョウロで注いで焼けた燻炭の火を消す。

まんべんなくジョウロで注ぐ消し水。
ある程度消えたら中央に立てていた土管を下げる。
熱いから手で持てない。
金属製のハサンバリで掴んで退ける。

燻炭の中には石がある。
土管が倒れないことと、空洞を開けて空気が流れるようにした石も取り除く。
焼けたもみ殻はタール分が出る。
煙突だった土管の内部はタールで詰まる。
それを取り除く竹も傍に置いていた。
炭化した燻炭は畑の肥料にもなるし、種蒔きをした畑の蓋にも使う土壌改良材である。
通気、排水もあれば土をよくする微生物の住処にもなる。
土壌の消毒、耐病などなどに利用する優れものだ。
消火作業を見届けて、気になっていた門口の竹の正体を教えていただいた。
昔も今も同じ場所でしている先祖さん迎えの痕跡である。
二つ折にした藁束を竹の棒に挿す。
それは2本。
ご主人が「かえなはれ・・」と云いながら鉦を叩いて屋内に戻る。
8月14日の夕方近くに行われる家の風習痕を見つけたときの嬉しさ・・。
盆の風習を知る者でなければ見逃す情景に感動する。
奥さんが話す様相から隣村の北白木で拝見したものと同じようだ。
翌日の15日は戻った先祖さんが再び天に戻っていく。
迎えと同じように送りのときも門口に竹を立てて藁束を燃やす。
「いにやれ」と囃しながら鉦を打つ。
天に戻られる時間帯は遅いほうがいい。
家に滞在してもらう時間はできるだけ長くすると話していた。
(H27.10. 7 EOS40D撮影)