マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

藺生町葛神社の造営準備

2016年06月24日 09時15分01秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
平成17年4月に奈良市に編入された旧都祁村。

その都祁村は昭和30年、ほぼ西名阪道路を挟んで南側にある旧都介野村10カ村と北の旧針ヶ別所村5カ村が合併してできた村だった。

旧都介野村10カ村は藺生・小山戸・相河・南之庄・甲岡・来迎寺・友田・白石・吐山・針。

一方、旧針ヶ別所村は小倉・上深川・下深川・萩・馬場だ。

旧村それぞれの寺社で何らかの村行事をされていることを知って出かけた。

取材を始めてかれこれ13年にもなる。

平成14年10月に訪れた上深川を皮切りに平成15年2月の南之庄、同年2月の針ケ別所、平成17年1月の針、同年2月の下深川、同年10月の友田、平成18年1月の馬場、同年7月の甲岡、同年10月の小山戸、同年11月の白石、平成19年4月の吐山、平成20年9月の小倉、平成21年1月の相河、同年6月の藺生、平成22年9月の来迎寺の順であったが、萩へは未だに訪れていない。

藺生を訪れたのはたかだか6年前だ。

始めて訪れたときからずっとお世話になっている村神主さんが居られる。

10月11日に20年に一度の葛神社の大事業である「ゾーク(造営奉告祭)」があるから写真を撮ってほしいと電話があった。

受け取ったときは病院ベッドの上だった。

退院日は決まっていた。

それからリハビリ運動。

身体は本格的ではないと思えるが、2カ月後になる。

ありがたい申し出になんとか応えようと、義理と人情、そして、希望の光を与えてくれ、体力復帰を促してくれるであろうと思って受諾した。

藺生の村行事は平成21年6月の佐平祭(葛神社)を皮切りに同年9月の観音講会式(青龍寺)、同年11月のフリアゲ、平成22年2月の初午祭(葛神社)、同年5月のさぶらけ、平成23年7月の夏神楽(葛神社)、平成24年4月の旧暦閏年庚申講、同年5月の毛掛参籠(葛神社)、平成25年1月の初祈祷(青龍寺)、平成27年6月の上遷宮(葛神社)を取材してきた。

村神主の他、馴染みの人が増えていく。

挨拶をすれば「これも来たんか」と云われる。

入院中に村神主より頼まれた葛神社の造営事業。

退院してから1カ月後の9月半ば。

造営委員長を務める自治会長からも電話があった。

正式にお願いしたいということだ。

このころ、すでに数か所に亘って行事取材をしてきた。

なんとかなる、である。

自治会長の依願に身体を張って撮りまくる、ということだ。

失敗は許されない20年に一度の大事業に応えるためにその後も続けるリハビリ運動に精進する。

祭典の式次第や新しく作成された葛神社の由緒パンフを送ってもらった。

祭典の流れは送られた資料で把握しておく。

ある程度はイメージできるが、撮影位置はどうするか、どう動き回るか、である。

設営の状況を確かめたくて造営奉告の前日に訪れた。



この日は朝から晩まで忙しく造営委員が動き回っていた。

式次第は受付の午前の部とメイン祭典となる神事や奉納する午後の部だ。

特に見ておきたかったのは神事が行われる紅白幕を張った高台の櫓場である。



割拝殿の真上に設営された櫓場はけっこうな高さ。

見上げるほどである。

4年前の平成23年11月は大字南之庄も国津神社の造営が行われていた。

神事の場の造りはほとんど同じで高さも同じ。

撮影するにも下からでは見えない場で神事が行われる。

村の記録は大切な記録になる。

造営祭典の様相や村人の姿の一部始終を撮らなければならない。

全体を見渡せる場は此処しかない。



明日の祭典の立ち位置は、この場に決めた。

自治会長も村神主もそうしてくれと云う。

造営事業は平成26年4月より始まっていた。

造営委員会を立ち上げ数々の事業を進めてきた。

本殿に坐ます神さん。

建替え工事をする期間は仮宮に遷ってもらった。

建て替えは地元の棟梁。

チョンナとも呼ぶチョウナ初めの儀式も行われて本格的な工事に入った。

本殿などが完成し、6月には新しくなった本殿に遷ってもらう上遷宮の儀式も終えた。

直前には村氏子が寄贈した石橋を祝う渡り初めもした。



その都度の状況を撮っておいた写真は太鼓台を格納している蔵の壁に貼りだした。

明日の造営祭典に訪れる内氏子や外氏子に見てもらうためだ。



明日の造営奉告祭に出展されるチョウナ(手斧)や墨壺、サシガネなどは本殿建築に際して大工棟梁が初めに手にする道具である。

奈良県内で行われる造営奉告祭、或は上棟祭と呼ぶ村事業の始めに行われる社殿再構築。

当地藺生町においても棟梁の仕事初めのチョウナ(手斧)初めの儀式があったと造営委員長が話していた。

その件を聞いたのはこの日。

拝見できなかった棟梁の儀式は貼りだした写真で確認した。

(H27.10.10 EOS40D撮影)