奈良市高樋町のヨイミヤ神事を終えた新谷宮司は隣村の米谷(まいたに)町へ向かう。
北椿尾町の神社祭祀も務めておられる宮司は五ケ谷村落一帯の旧村神社行事すべてを担っているようだ。
旧都祁村藺生町・葛神社の造営準備を確認して戻ってきた五ケ谷。
気になっていたのが米谷町・白山比咩(はくさんひめ)神社で行われるヨイミヤ行事である。
お渡りがあると聞いていた時間はとうに過ぎていた。
高樋町のフリアゲ神事まではまだ時間がある。
鎮座地も含めて現況を目で確かめたくて立ち寄った。
白山比咩神社は集落下にあるはずだ。
車が通れる集落道に提灯の灯りが見えた。
神社へ向かう標の提灯は高張提灯。
ここよりは神社に向かう参道だ。
しばらく歩けばまたもやローソクを灯した提灯を立てていた石の鳥居を潜る。
石の鳥居を潜って神社に向かう。
またもや火を灯した高張提灯があった。
朱塗りの鳥居も潜って階段を登る。
そこが白山比咩神社の鎮座地だった。
紺色の幕を張っていた社務所。
それとも参籠所であるのか・・・。
行事の真っ最中。
お声を掛けるのも迷惑だろうと思って掛けずじまい。

子供たちが境内を走り回っていた。
拝殿には座中が居られるが、これもまた話しかけることはできなかった。
これより始まるのはエダマメ喰いのようだ。
たわわに稔ったエダマメは神饌所の窓にあった。
参籠所ではたくさんのエダマメがある。
この写真、あれぇ。
左側に立つ女児の姿に注目。
なにかをおぶっているような気がする。
赤ちゃんかどうか確認はしていない。
小社と思われる社に御供があった。

モチにカキ、サトイモ、サンマのヒラキなどである。
パンもあればクリもある。
奉書包みなどの中身。
オヒネリも含めて中身は判らない。
頭を下げて帰りの参道。
杖をついて先を歩いていた婦人に声をかけた。
本来なら参籠所でエダマメをよばれるのだが、所用で早めに家へ戻るという。
婦人の旦那さんは生前に白山比咩神社の祭祀を務める最長老だったそうだ。
長老は一老を筆頭に11人。
そういうことから11人衆と呼ばれている。
11人衆は和装姿に白足袋の下駄履きのようだ。
米谷のトウヤは二人。
アニドウヤ・オトウトドウヤの呼び名があるらしい。
この日はヨイミヤで公民館を出発してお渡りをしたそうだ。
お渡りは翌日のマツリもする。
御供はコイモ。
両日とも御供はあるが、マツリのトウヤは大量のイモ(サトイモか)を供えることからイモドウヤの呼び名がある。
この日はヨイミヤ。
大量のエダマメを御供する関係でマメドウヤと呼んでいる。
供える御供によってトウヤの呼び名が替わる。
そういう話しをしてくれた婦人。

よう参ってくれたと手にしていたエダマメを分けてくれた。
一老を務めた旦那さんを亡くした一人身。
エダマメは一人では多いので、ということで分けてくれた。
(H27.10.10 EOS40D撮影)
北椿尾町の神社祭祀も務めておられる宮司は五ケ谷村落一帯の旧村神社行事すべてを担っているようだ。
旧都祁村藺生町・葛神社の造営準備を確認して戻ってきた五ケ谷。
気になっていたのが米谷町・白山比咩(はくさんひめ)神社で行われるヨイミヤ行事である。
お渡りがあると聞いていた時間はとうに過ぎていた。
高樋町のフリアゲ神事まではまだ時間がある。
鎮座地も含めて現況を目で確かめたくて立ち寄った。
白山比咩神社は集落下にあるはずだ。
車が通れる集落道に提灯の灯りが見えた。
神社へ向かう標の提灯は高張提灯。
ここよりは神社に向かう参道だ。
しばらく歩けばまたもやローソクを灯した提灯を立てていた石の鳥居を潜る。
石の鳥居を潜って神社に向かう。
またもや火を灯した高張提灯があった。
朱塗りの鳥居も潜って階段を登る。
そこが白山比咩神社の鎮座地だった。
紺色の幕を張っていた社務所。
それとも参籠所であるのか・・・。
行事の真っ最中。
お声を掛けるのも迷惑だろうと思って掛けずじまい。

子供たちが境内を走り回っていた。
拝殿には座中が居られるが、これもまた話しかけることはできなかった。
これより始まるのはエダマメ喰いのようだ。
たわわに稔ったエダマメは神饌所の窓にあった。
参籠所ではたくさんのエダマメがある。
この写真、あれぇ。
左側に立つ女児の姿に注目。
なにかをおぶっているような気がする。
赤ちゃんかどうか確認はしていない。
小社と思われる社に御供があった。

モチにカキ、サトイモ、サンマのヒラキなどである。
パンもあればクリもある。
奉書包みなどの中身。
オヒネリも含めて中身は判らない。
頭を下げて帰りの参道。
杖をついて先を歩いていた婦人に声をかけた。
本来なら参籠所でエダマメをよばれるのだが、所用で早めに家へ戻るという。
婦人の旦那さんは生前に白山比咩神社の祭祀を務める最長老だったそうだ。
長老は一老を筆頭に11人。
そういうことから11人衆と呼ばれている。
11人衆は和装姿に白足袋の下駄履きのようだ。
米谷のトウヤは二人。
アニドウヤ・オトウトドウヤの呼び名があるらしい。
この日はヨイミヤで公民館を出発してお渡りをしたそうだ。
お渡りは翌日のマツリもする。
御供はコイモ。
両日とも御供はあるが、マツリのトウヤは大量のイモ(サトイモか)を供えることからイモドウヤの呼び名がある。
この日はヨイミヤ。
大量のエダマメを御供する関係でマメドウヤと呼んでいる。
供える御供によってトウヤの呼び名が替わる。
そういう話しをしてくれた婦人。

よう参ってくれたと手にしていたエダマメを分けてくれた。
一老を務めた旦那さんを亡くした一人身。
エダマメは一人では多いので、ということで分けてくれた。
(H27.10.10 EOS40D撮影)