この年の正月初め。
久しぶりに訪れた磯城郡川西町の下永。
大和川左岸の東城(ひがしんじょ)八幡神社行事の牛玉作りを拝見した際に教えてくださった仏事行事がある。
宮座五人衆の一老のKさんと二老のNさんの二人が寺行事にお世話をする。
実質は行事が行われる旧白米寺(はくまいじ)収蔵庫(昭和38年建築)の鍵当番であるが・・。
今は旧白米寺収蔵庫になっているが、かつては大和川右岸の下永東方(ひがしんぼう)八幡神社の神宮寺に推定される廃旧白米蜜寺(くめみつじ)があった。
収蔵庫前に建てた由緒書きがある。
「白米蜜寺は、もと初瀬川右岸の東方小字高堂・八幡神社付近にあり、遺物は分散、仏像は収蔵庫に収めている。寄木造りに彫りの浅い平安後期様式の木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期/藤原期・国指定重要文化財)、一木造りに円頂、彫眼、彩色(※殆どが剥落)の立像の木造地蔵菩薩像は翻波式衣文があり、平安中期の作風がうかがえる貴重なもの(平安時代中期/弘仁期・国指定重要文化財)。また、木造不動明王立像も寄木造りにした鎌倉前期時代に製作された(県指定文化財)。(※文は若干補完)」。
白米寺は、享保九年(1963)の「御領伽藍」に記載がないことから、そのころすでに廃寺になり、現在の東城(ひがしんじょ)八幡神社横に建つ収蔵庫地(旧阿弥陀堂跡地)に移された。
また、神社参道東側にあった地蔵堂から木造地蔵菩薩像を収蔵庫に移した、とある。
朝早く集まった尼講の人たち。
講員は30人ほどにもなるが実質的に動いているのは20人になると、という。
収蔵庫の扉を開けてもらった尼講の人たち。
早速、清掃作業に入る。
91歳、88歳の講員もおられるが、清掃作業はまだまだ若いとよく言われる同年輩の婦人たちが世話し始めた。
手の届かない座高のある仏像は足元辺りの清掃になる。
乾拭きに水拭き。
場所によって工夫しながら奇麗にしていく。
収蔵庫を開けるのは、7月の地蔵盆に涅槃法会のある本日。
一年に2度の開帳であるが、稀に拝観志納料を納めてまで仏像を拝観したい、と希望を申し出る人にも対応、開帳することもあるようだが・・・。
また、三尊以外の仏像に鎌倉時代作の勢至菩薩立像とか、江戸時代の地蔵菩薩立像、毘沙門天立像、2体の弘法大師像、十一面聖観音菩薩立像などを安置している。
清掃を終えてしばらく待ってから始まった白米寺涅槃法会。
参拝者は清掃をしていた尼講の他、浄土真宗徒(称名寺)、門徒、天理教徒の6人が参列される。
涅槃法会を営まれる僧侶は八幡神社すぐ横にある融通念仏宗派の正念寺。
時間ともなれば、副住職とともに参られる。
ローソクに火を灯して線香をくゆらす。
お念仏ははじめに香偈。
そして木魚を打ち続ける般若心経から、なーむあみだぶつ なんまーだ、なんまんだと唱える。
家内安全、身体堅固になむあみだぶつ、なーんまいだ、なんまいだ。
三界万霊、平等利益・・・なーんまいだ。
願以此功徳・・なーんまいだを唱えられたが、焼香は見られなかった。
旧白米寺(はくまいじ)収蔵庫での涅槃法会を終えたら一旦は解散する。
午後は場所を替えて、ご住職の自寺である融通念仏宗正念寺で行われる涅槃会が始まる。
一旦は、下永を離れて再び来訪した午後の法会が涅槃会。
集まってくる婦人たちは尼講のみなさん。
時間ともなれば13人の講中が正念寺本堂にやってくる。
本堂の上り口回廊に置いて供えていた御供。
仏飯に葉物菜に里芋、人参、椎茸、高野豆腐のお供えは境内にある石仏に向けて供えていた。
本堂に掲げていた縦長の大きな涅槃図。
ローソクを灯して始まった涅槃会。
礼拝される住職。
まずは礼拝香偈である。
右についた副住職が大きなキンを打つ。
その間に廻される焼香。
一人、一人が丁寧に手を合わしていた。
「~ゆずーねんぶつ なむあみだ なーむあみだ だっなーむん・・・」。
そして、拍子木を打って法要する先祖回向。
「なーむまいだぶ なんまーだぶ」。
追善法要に「なーむんまいだ なんまいだ~~」と先祖供養に抑揚をつけて詠みあげる塔婆回向。
その間に途中入堂された参拝者は男性も入れて15人。
午後1時から始まった涅槃会は45分間の営み。
続いて行われた住職法話。
平成元年に紫雲山正念寺の住職に就いた川中恒明さんの法話である。
30年前は髪の毛もあって若かった。
みなさんも若かった。
建て替える前の本堂は暗かった。
腰も痛くなる年齢になってみなさんに近づけたなどと言いながら暮らしてきた。
本日は涅槃会。
動物も来る。
信頼があった、悲しみの動物も来る。
すべて縁の積み重ねできている。
この地に嫁いできたのも縁なら、私が当地に寄せてもらうことになったのも縁。
20年前に本堂を建て替えた。
30年前は庫裏の建て替え。
寺には地獄絵図もある。
氏神さんを祭る八幡神社にある狛犬は幕末の名石工と呼ばれる丹波の佐吉が造った。
正念寺の外の仏さんも佐吉作と伝わる。
ご回在は信貴山にも行く。
宗派を選ばないのが融通念仏宗派の特徴。
縁によって滅する。
縁は大切。
欲のでた縁起。
仏教から修験に・・。
地名の名をつけた○○大仏は日本全国に70~80体もある。
唯一、人名のついた大仏もあるらしい。
300年前に生まれた各地の大仏。
岐阜羽島に250年前に造立された佐吉大仏がある。
願主は永田佐吉という(羽島市竹鼻町(竹ヶ鼻村)出身の綿の仲買商人。
慈悲の心を持ち、正直者で親孝行に励んだことから「美濃の聖(ひじり)」と呼ばれて人々から信頼された。
縁も善にも、悪いもない。
良縁も無縁でもない。
自分勝手に判断したこと。
縁を活かすも活かさないのも人次第。
徳は後からついていく「篤」。
「因縁果」。
運命を生み出すのはすべて自分の行い。
善い結果がでるときも、悪い結果がでるときも、自分が蒔いた種まき行為の結果。
縁は一つ。縁を活かすもの。
本人次第の生き方、考え方が大切であると説かれた。
法話を聴講された尼講のみなさん。
正面に掲げた涅槃図にしばらく見入ったあとに解散された。
(H30. 2.15 EOS40D撮影)
久しぶりに訪れた磯城郡川西町の下永。
大和川左岸の東城(ひがしんじょ)八幡神社行事の牛玉作りを拝見した際に教えてくださった仏事行事がある。
宮座五人衆の一老のKさんと二老のNさんの二人が寺行事にお世話をする。
実質は行事が行われる旧白米寺(はくまいじ)収蔵庫(昭和38年建築)の鍵当番であるが・・。
今は旧白米寺収蔵庫になっているが、かつては大和川右岸の下永東方(ひがしんぼう)八幡神社の神宮寺に推定される廃旧白米蜜寺(くめみつじ)があった。
収蔵庫前に建てた由緒書きがある。
「白米蜜寺は、もと初瀬川右岸の東方小字高堂・八幡神社付近にあり、遺物は分散、仏像は収蔵庫に収めている。寄木造りに彫りの浅い平安後期様式の木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期/藤原期・国指定重要文化財)、一木造りに円頂、彫眼、彩色(※殆どが剥落)の立像の木造地蔵菩薩像は翻波式衣文があり、平安中期の作風がうかがえる貴重なもの(平安時代中期/弘仁期・国指定重要文化財)。また、木造不動明王立像も寄木造りにした鎌倉前期時代に製作された(県指定文化財)。(※文は若干補完)」。
白米寺は、享保九年(1963)の「御領伽藍」に記載がないことから、そのころすでに廃寺になり、現在の東城(ひがしんじょ)八幡神社横に建つ収蔵庫地(旧阿弥陀堂跡地)に移された。
また、神社参道東側にあった地蔵堂から木造地蔵菩薩像を収蔵庫に移した、とある。
朝早く集まった尼講の人たち。
講員は30人ほどにもなるが実質的に動いているのは20人になると、という。
収蔵庫の扉を開けてもらった尼講の人たち。
早速、清掃作業に入る。
91歳、88歳の講員もおられるが、清掃作業はまだまだ若いとよく言われる同年輩の婦人たちが世話し始めた。
手の届かない座高のある仏像は足元辺りの清掃になる。
乾拭きに水拭き。
場所によって工夫しながら奇麗にしていく。
収蔵庫を開けるのは、7月の地蔵盆に涅槃法会のある本日。
一年に2度の開帳であるが、稀に拝観志納料を納めてまで仏像を拝観したい、と希望を申し出る人にも対応、開帳することもあるようだが・・・。
また、三尊以外の仏像に鎌倉時代作の勢至菩薩立像とか、江戸時代の地蔵菩薩立像、毘沙門天立像、2体の弘法大師像、十一面聖観音菩薩立像などを安置している。
清掃を終えてしばらく待ってから始まった白米寺涅槃法会。
参拝者は清掃をしていた尼講の他、浄土真宗徒(称名寺)、門徒、天理教徒の6人が参列される。
涅槃法会を営まれる僧侶は八幡神社すぐ横にある融通念仏宗派の正念寺。
時間ともなれば、副住職とともに参られる。
ローソクに火を灯して線香をくゆらす。
お念仏ははじめに香偈。
そして木魚を打ち続ける般若心経から、なーむあみだぶつ なんまーだ、なんまんだと唱える。
家内安全、身体堅固になむあみだぶつ、なーんまいだ、なんまいだ。
三界万霊、平等利益・・・なーんまいだ。
願以此功徳・・なーんまいだを唱えられたが、焼香は見られなかった。
旧白米寺(はくまいじ)収蔵庫での涅槃法会を終えたら一旦は解散する。
午後は場所を替えて、ご住職の自寺である融通念仏宗正念寺で行われる涅槃会が始まる。
一旦は、下永を離れて再び来訪した午後の法会が涅槃会。
集まってくる婦人たちは尼講のみなさん。
時間ともなれば13人の講中が正念寺本堂にやってくる。
本堂の上り口回廊に置いて供えていた御供。
仏飯に葉物菜に里芋、人参、椎茸、高野豆腐のお供えは境内にある石仏に向けて供えていた。
本堂に掲げていた縦長の大きな涅槃図。
ローソクを灯して始まった涅槃会。
礼拝される住職。
まずは礼拝香偈である。
右についた副住職が大きなキンを打つ。
その間に廻される焼香。
一人、一人が丁寧に手を合わしていた。
「~ゆずーねんぶつ なむあみだ なーむあみだ だっなーむん・・・」。
そして、拍子木を打って法要する先祖回向。
「なーむまいだぶ なんまーだぶ」。
追善法要に「なーむんまいだ なんまいだ~~」と先祖供養に抑揚をつけて詠みあげる塔婆回向。
その間に途中入堂された参拝者は男性も入れて15人。
午後1時から始まった涅槃会は45分間の営み。
続いて行われた住職法話。
平成元年に紫雲山正念寺の住職に就いた川中恒明さんの法話である。
30年前は髪の毛もあって若かった。
みなさんも若かった。
建て替える前の本堂は暗かった。
腰も痛くなる年齢になってみなさんに近づけたなどと言いながら暮らしてきた。
本日は涅槃会。
動物も来る。
信頼があった、悲しみの動物も来る。
すべて縁の積み重ねできている。
この地に嫁いできたのも縁なら、私が当地に寄せてもらうことになったのも縁。
20年前に本堂を建て替えた。
30年前は庫裏の建て替え。
寺には地獄絵図もある。
氏神さんを祭る八幡神社にある狛犬は幕末の名石工と呼ばれる丹波の佐吉が造った。
正念寺の外の仏さんも佐吉作と伝わる。
ご回在は信貴山にも行く。
宗派を選ばないのが融通念仏宗派の特徴。
縁によって滅する。
縁は大切。
欲のでた縁起。
仏教から修験に・・。
地名の名をつけた○○大仏は日本全国に70~80体もある。
唯一、人名のついた大仏もあるらしい。
300年前に生まれた各地の大仏。
岐阜羽島に250年前に造立された佐吉大仏がある。
願主は永田佐吉という(羽島市竹鼻町(竹ヶ鼻村)出身の綿の仲買商人。
慈悲の心を持ち、正直者で親孝行に励んだことから「美濃の聖(ひじり)」と呼ばれて人々から信頼された。
縁も善にも、悪いもない。
良縁も無縁でもない。
自分勝手に判断したこと。
縁を活かすも活かさないのも人次第。
徳は後からついていく「篤」。
「因縁果」。
運命を生み出すのはすべて自分の行い。
善い結果がでるときも、悪い結果がでるときも、自分が蒔いた種まき行為の結果。
縁は一つ。縁を活かすもの。
本人次第の生き方、考え方が大切であると説かれた。
法話を聴講された尼講のみなさん。
正面に掲げた涅槃図にしばらく見入ったあとに解散された。
(H30. 2.15 EOS40D撮影)