突風が吹き荒れる葛城屋敷山公園まつりの日だった。
お日さんは燦々と輝いているのにまるで春の嵐のような強風である。
突然に荒れることもあるからテントもぶっ飛んだと伝えてくれた葛城市職員のNさん。
怪我や事故がなかったのが幸いだったようだが、公民館におられた職員さんは、早く風がおさまってほしいと願っていた。
この日の公園まつりに参加しているとFBで伝えてくれたFさん。
田原本町のたわらもと観光プロモーション大使を務めているFさんとは、未だ直接の出会いはない。
Fさんからメッセージを受け取ったのは平成30年の2月22日だった。
FB機能にあるメッセンジャーからのメッセージである。
尤もFBリクエストに際に送られたメッセージであるが。
この年の2月22日だった。
私が日々アップしているFBにリクエスト要求があった。
ときおりどなたかのFBにコメントを送っておられたFさん。
言葉遣いが非常に丁寧だった。
言葉遣いでわかるその人の品性。
申し分ないと要求に応えて承認した。
返答にあった「民俗をテーマに!好きなので嬉しい・・」とあった。
私からの返答は「私の取材先は“旧村“行事が大半・・・。取材先はメジャーでなくマイナー。特に土着的といえるような習俗取材に・・・」。
その反応に「土着的な行事、古き良き時代を感じます。生まれ育った天理の村もそんな感じでした」。
天理市市内の行事取材は数多い。
平たん部と山間地。北部、南部によっても地域色が違っており、生活文化の学びを感じるが、未だ訪れていない地域もまた多くある。
どれほど多いか、調査、報告、記録を目的に日々書きとめているブログ「マネジャーの休日余暇(ブログ版)」の中から“天理編”を参考までにお伝えした。
当方のブログを見てくださったFさん。
なんと、平成20年9月23日に取材した天理市六条町・三十八神社(みそや)で行われた頭家渡しに出仕されていた方の関係者である、という。
地域は北方(※柳生)である。
生まれ育ったのが北方というので、当時取材した「頭家渡し」について、一つ記念になれば、と思って、平成22年の1年間に亘って産経新聞に連載していた「天理市南六条の頭家渡しと桃尾の滝の」記事をお送りした。
その記事のことは存じていた。
部数は忘れたが代表者に新聞記事そのものを差し上げたことがあるから、それを見られたのだろう。
返答に「実は私の兄が新頭家として写っていたので、実家で額に入れて飾ってあったのです」とあった。
えっ、である。
なんという奇遇なことに正直驚いた。
ただ、お兄さんは頭家務めを受けてから2年後に他界されていたとは・・・。
これもご縁なり、と、云われるが、私の脳裏がその瞬間に取材していたときの情景がフラッシュバックのように蘇った。
奇遇なご縁をいただいたFさんがご自身のFBで伝えていた葛城屋敷山公園の「葛城市公園まつり」である。
Fさんが、お世話になっている方に風蘭を栽培されている親方が居る。
その親方が心を込めて育てた風蘭を当イベントで売り出し、そのお手伝いをする、と書いておられたので、車を西の葛城に向けて走った。
売り子されているならたぶんにお会いできる。
しかも懐かしい風蘭売り。
ずいぶん昔のことだが、山野草店で買ったことのある風蘭。
我が家は不向きな環境であったのか、消滅してしまった。
当時からも育てていたセッコクとは、育て方が違うのだろう。
山野草に限らず、育てる環境が間違ってしまえば、餓死させてしまう。
山取りした野草が一般家庭の庭に馴染まないなんてことは多々ある。
むしろ、どこからか飛んできた種で庭に住み着いた事例が多い。
それはともかく、この年で42回目を迎えた葛城屋敷山公園の「葛城市公園まつり」。
初めて伺うだけにワクワクする。
ただ、葛城屋敷山公園の在地は存じているが、停めたことがないから、駐車場の場所がわかっていない。
うろうろしていると臨時駐車場を誘導してくれた。
駐車場はほぼ満杯状態。と、いうことは会場も満杯。
人気の「葛城市公園まつり」の第一歩は強風吹き荒れる日だった。
天候は快晴であるが、突風には展示会場も泣かされる。
特に危険なのがテント張り。
風に煽られて飛んでしまえば凶器に変質。
飛ばないようにセーフテイ状態に完全確保は必須である。
臨時駐車場からの入場は裏口入場が近い。
距離はそれほどでもないが、なんせ初めての地。
迷路のように思えた。
ぐるりと廻ったそこに売っていた風蘭。
忙しくしていた売り子さんに声をかけたら、あっ、である。
初めてお会いしたFさんが紹介してくださった風蘭の自家栽培家のNさんに教えを乞う。
株分けで増やした風蘭は水をやってはならん、直置きでなく、木に吊るした方が良くなると教えてくださるNさんは度々賞を取る有名人。
風蘭栽培は趣味の世界。
本業は葛城市新庄で営む化粧品店店主。
72歳になられたNさんは、かつて脳血管疾患に陥った。
ところが、2度の脳血管疾患体験を克服したそうだ。
患部は違うが、私は心臓疾患。
500円で分けてもらった”黄金錦”風蘭で元気をもらうことにした。
あれこれ話してくださるNさんが話題提供してくださった地元の民俗行事がある。
1月8日の午後3時に行われる戎講の行事。
現在は少子化で地元子どもも少なくなったが、2、3枚の抽選券を買ってコヨリ籤で当りを貰うそうだ。
昔は大勢の子どもたちがやってきて買っていたという。
祭りの場は、戎神社。
神社近くに地区周辺の7軒が見守る大神宮燈籠があるというからダイジングサン行事もあろうか。
また、新庄中学校の前にある新宮さんと呼ぶ神社がある。
その神社は、葛木御縣(あがた)神社。
4月におんだ祭の行事をしている住吉神社も近くにあるから、行事取材に是非とも来て欲しい、と願われた。
なお、葛木御縣神社行事もまた興味ある。
時間帯はわからないが、7月13日は夏祭り。
おそらく十二振提灯が繰り出されるだろう。
ちなみに本日、購入した”黄金錦”風蘭。
照明のえーとこは、どこと思って置いた場所は障子の前。
風蘭に似合う和風様式に映えたら、と思って撮っていた。
向こう側には藁紐が見える。
これは手前にある祭具の一部である。
祭具の材料はヤブニッキ。
そう、香りの良いヤブニッキの枝木である。
京都・山城町の湧出宮で一年間も奉っていた勧請縄に飾っていたヤブニッキ作りの“矢”は、取材の折りに文化財調査員とともに所在を確認していた行事の祭具。
行事が終われば、その日のとんどで燃やされる。
捨てるモノであれば、いただけないかと与力座の人にもらった。
貴重な祭具は燃えてしまえば何も残らないが、こうしていただいたものは保存、記録。
後世に伝えることがあっても、何であるのかわかるように、“F(エフ)“札に日付け、入手地・行事名・詳細などを記す。
こうしておけば、後年に寄託した博物館学芸員が判断できる、という具合だ。
(H30. 5. 3 SB932SH撮影)
お日さんは燦々と輝いているのにまるで春の嵐のような強風である。
突然に荒れることもあるからテントもぶっ飛んだと伝えてくれた葛城市職員のNさん。
怪我や事故がなかったのが幸いだったようだが、公民館におられた職員さんは、早く風がおさまってほしいと願っていた。
この日の公園まつりに参加しているとFBで伝えてくれたFさん。
田原本町のたわらもと観光プロモーション大使を務めているFさんとは、未だ直接の出会いはない。
Fさんからメッセージを受け取ったのは平成30年の2月22日だった。
FB機能にあるメッセンジャーからのメッセージである。
尤もFBリクエストに際に送られたメッセージであるが。
この年の2月22日だった。
私が日々アップしているFBにリクエスト要求があった。
ときおりどなたかのFBにコメントを送っておられたFさん。
言葉遣いが非常に丁寧だった。
言葉遣いでわかるその人の品性。
申し分ないと要求に応えて承認した。
返答にあった「民俗をテーマに!好きなので嬉しい・・」とあった。
私からの返答は「私の取材先は“旧村“行事が大半・・・。取材先はメジャーでなくマイナー。特に土着的といえるような習俗取材に・・・」。
その反応に「土着的な行事、古き良き時代を感じます。生まれ育った天理の村もそんな感じでした」。
天理市市内の行事取材は数多い。
平たん部と山間地。北部、南部によっても地域色が違っており、生活文化の学びを感じるが、未だ訪れていない地域もまた多くある。
どれほど多いか、調査、報告、記録を目的に日々書きとめているブログ「マネジャーの休日余暇(ブログ版)」の中から“天理編”を参考までにお伝えした。
当方のブログを見てくださったFさん。
なんと、平成20年9月23日に取材した天理市六条町・三十八神社(みそや)で行われた頭家渡しに出仕されていた方の関係者である、という。
地域は北方(※柳生)である。
生まれ育ったのが北方というので、当時取材した「頭家渡し」について、一つ記念になれば、と思って、平成22年の1年間に亘って産経新聞に連載していた「天理市南六条の頭家渡しと桃尾の滝の」記事をお送りした。
その記事のことは存じていた。
部数は忘れたが代表者に新聞記事そのものを差し上げたことがあるから、それを見られたのだろう。
返答に「実は私の兄が新頭家として写っていたので、実家で額に入れて飾ってあったのです」とあった。
えっ、である。
なんという奇遇なことに正直驚いた。
ただ、お兄さんは頭家務めを受けてから2年後に他界されていたとは・・・。
これもご縁なり、と、云われるが、私の脳裏がその瞬間に取材していたときの情景がフラッシュバックのように蘇った。
奇遇なご縁をいただいたFさんがご自身のFBで伝えていた葛城屋敷山公園の「葛城市公園まつり」である。
Fさんが、お世話になっている方に風蘭を栽培されている親方が居る。
その親方が心を込めて育てた風蘭を当イベントで売り出し、そのお手伝いをする、と書いておられたので、車を西の葛城に向けて走った。
売り子されているならたぶんにお会いできる。
しかも懐かしい風蘭売り。
ずいぶん昔のことだが、山野草店で買ったことのある風蘭。
我が家は不向きな環境であったのか、消滅してしまった。
当時からも育てていたセッコクとは、育て方が違うのだろう。
山野草に限らず、育てる環境が間違ってしまえば、餓死させてしまう。
山取りした野草が一般家庭の庭に馴染まないなんてことは多々ある。
むしろ、どこからか飛んできた種で庭に住み着いた事例が多い。
それはともかく、この年で42回目を迎えた葛城屋敷山公園の「葛城市公園まつり」。
初めて伺うだけにワクワクする。
ただ、葛城屋敷山公園の在地は存じているが、停めたことがないから、駐車場の場所がわかっていない。
うろうろしていると臨時駐車場を誘導してくれた。
駐車場はほぼ満杯状態。と、いうことは会場も満杯。
人気の「葛城市公園まつり」の第一歩は強風吹き荒れる日だった。
天候は快晴であるが、突風には展示会場も泣かされる。
特に危険なのがテント張り。
風に煽られて飛んでしまえば凶器に変質。
飛ばないようにセーフテイ状態に完全確保は必須である。
臨時駐車場からの入場は裏口入場が近い。
距離はそれほどでもないが、なんせ初めての地。
迷路のように思えた。
ぐるりと廻ったそこに売っていた風蘭。
忙しくしていた売り子さんに声をかけたら、あっ、である。
初めてお会いしたFさんが紹介してくださった風蘭の自家栽培家のNさんに教えを乞う。
株分けで増やした風蘭は水をやってはならん、直置きでなく、木に吊るした方が良くなると教えてくださるNさんは度々賞を取る有名人。
風蘭栽培は趣味の世界。
本業は葛城市新庄で営む化粧品店店主。
72歳になられたNさんは、かつて脳血管疾患に陥った。
ところが、2度の脳血管疾患体験を克服したそうだ。
患部は違うが、私は心臓疾患。
500円で分けてもらった”黄金錦”風蘭で元気をもらうことにした。
あれこれ話してくださるNさんが話題提供してくださった地元の民俗行事がある。
1月8日の午後3時に行われる戎講の行事。
現在は少子化で地元子どもも少なくなったが、2、3枚の抽選券を買ってコヨリ籤で当りを貰うそうだ。
昔は大勢の子どもたちがやってきて買っていたという。
祭りの場は、戎神社。
神社近くに地区周辺の7軒が見守る大神宮燈籠があるというからダイジングサン行事もあろうか。
また、新庄中学校の前にある新宮さんと呼ぶ神社がある。
その神社は、葛木御縣(あがた)神社。
4月におんだ祭の行事をしている住吉神社も近くにあるから、行事取材に是非とも来て欲しい、と願われた。
なお、葛木御縣神社行事もまた興味ある。
時間帯はわからないが、7月13日は夏祭り。
おそらく十二振提灯が繰り出されるだろう。
ちなみに本日、購入した”黄金錦”風蘭。
照明のえーとこは、どこと思って置いた場所は障子の前。
風蘭に似合う和風様式に映えたら、と思って撮っていた。
向こう側には藁紐が見える。
これは手前にある祭具の一部である。
祭具の材料はヤブニッキ。
そう、香りの良いヤブニッキの枝木である。
京都・山城町の湧出宮で一年間も奉っていた勧請縄に飾っていたヤブニッキ作りの“矢”は、取材の折りに文化財調査員とともに所在を確認していた行事の祭具。
行事が終われば、その日のとんどで燃やされる。
捨てるモノであれば、いただけないかと与力座の人にもらった。
貴重な祭具は燃えてしまえば何も残らないが、こうしていただいたものは保存、記録。
後世に伝えることがあっても、何であるのかわかるように、“F(エフ)“札に日付け、入手地・行事名・詳細などを記す。
こうしておけば、後年に寄託した博物館学芸員が判断できる、という具合だ。
(H30. 5. 3 SB932SH撮影)