マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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中山町の水口まつり②

2019年09月24日 08時42分31秒 | 天理市へ
前日に訪れた天理市中山町に水口まつりをしている苗代田が見つかった。

イロバナは綺麗な色具合。

撮っていた時間帯よりほんの少し前に立てていたと思われるイロバナが落ちる夕日に照らされたら、より一層の輝きを増すと思われる美しさであった。

すぐ近くに水を張った苗床があった。

もう少し足を伸ばしたところにも苗床があった。

その様相は今すぐにでもしそうな苗床だった。

この日にされるのかどうかわからないが、車を走らせたら、また見つかった。



期待していた通りの苗代田にイロバナがあった。



その場は前日に拝見したものと同じような大きさ、文字のある護符があった。

2カ所も見つかればまちがなく村で護符を奉って祈祷する行事があると判断される。

ここもまた護符を竹挟みから勝手に外すことはできない。

うわべだけで読み取ることのできない文字になんとなくわかった「堂」の文字。

お堂でされていると推定される護符に胸が躍る。

「堂」の文字がある護符が判明した。

祈祷する時期はいつであるのか。

そしてお堂はどこにあるのか。

ワクワクする中山町の護符情報の散策。



付近を探して歩いていたら、今まさに苗代作りの真っ最中の場にたどり着いた。

年老いた男性とともに作業をする人はおそらく息子さんだろう。

カンカン照りの苗代作りはたいへんでしょう、と声をかけたら振り向いてくれた。

もしよろしければ撮らせてもらってもいいでしょうかと伝えたら了承してくださった。

男性二人はすぐ近くに住む親子。

親父さんが指示される通りに動く息子さん。

苗箱を並べた列は四つ。



一つ目の列に新聞紙を被せたところに、さらに覆う黒い紗。

一人ではできない作業に息子が手伝う。



1列目に紗を張り終えて次の列へ移る。

まずは予め自宅で作っておいた新聞紙ロールを回転させて広げていく。

ところが急に西風が吹いてきたものだから、大慌て。

手で抑えても膨らみのある部分に風が通るものだから捲れあがる。

必死で抑えるも空しく破れる新聞紙。

ところどころに手で掻いた泥を新聞紙にのせて飛ばされないようにしていた。

新聞紙に黒の紗を被せるのは苗の成長具合が見えること。

風通しが、えーから蒸れることもない。



苗代作業をされている親子は3列目に移っていた。

同じ作業の繰り返しに撮影するほうは待ち時間があるから、つい緊張感も解けてくる。

ふと目を置いたところに見たことのある道具があった。



左官屋さんが使っているような壁塗り道具だが、たいがいはステン製か鉄製の金属板のコテだが、これは木製だ。

木コテも左官屋さんが使う道具だが、この道具を使って苗床を平らにしていた、と話してくれた。

残る1列はあるが、時間帯はお昼。

そこで尋ねた苗代田で見かけた護符である。

うちにもそれがあるから持ってきてあげようという。

すぐ近くだからと云われてしばし待つ。

明日香村の撮影から戻ってきた知人の写真家も合流していたその時間帯に案内する付近の苗代田。

1時間前に撮っていた苗代田である。



10分ほど待っていたら戻ってきた昭和10年生まれのYさんが護符を広げてくださる。

そこにあった文字は「中山観音堂」。



わかり難いがなんとか判読できた護符に朱印を押してある。

崩れかけの朱印は2カ所。

新しく作ったものと思われる印もあるが、朱肉はインクスタンプのようだ。

持ってきたから立ててあげようとススンボ竹に挟んだ護符を立ててくれた。



その横に緑色が残っている松苗も立ててくれた。

ありがたいことであるが、手を合わすこともなく去っていった。

かつてYさんはフライパンで玄米を煎ってポップコーンのように弾けるイリゴメ(※炒る米)を作って半紙の上にパラパラと撒いていた。

また、ウルシ棒に挟んでいたが現在はススンボ竹挟みに移ったようだ。



さて、肝心かなめの護符は何時、どこで、である。

わかったのは小正月の早朝にトンドをする。

トンド焼きをした人はちゃんちゃん祭のお旅所に出かけて、年当番の6人組から版木で刷った護符をもらう、ということだ。

詳しいことは聞けなかったが、いつかは取材してみたい中山町の正月行事である。

(H30. 5. 4 EOS7D撮影)