たぶんこの日にされるだろうと思って出かけた桜井市箸中の中垣内。
えっ、ここに祭りごとが・・。
初めて知った日は平成28年7月10日。
集落辻にあった石塔。建之は江戸時代末期の嘉永元年(1848)。
金平大権現の刻印からわかったコンピラ講であるが、講中がどこの家であるのか、手がかりなく・・・
翌年の平成29年7月10日にも再訪した中垣内のコンピラサン。
運よくお会いできた当時84歳のKさん。
お会いできたのもよかったが、祭りごとは終えて後片付けに来たと話していた。
Kさんが話すコンピラ講。
講中みなが御供、参拝をするわけでなく四垣内に分けた当番制で行っている、ということだ。
毎年に替わる年番に担当する垣内の組のもんが担うそうだ。
行事日程は、7月9日に10日。9日の朝。
当番垣内の組が決めた時間に、葉付きの笹竹を立てる。
石塔脇に2本を立てて水平に竹を置く。
その竹は垣内の提灯を吊る。
砂盛りをして祭壇を組み、花立を置き、お花を飾る。
朝の間にそうしておいて夕方に法要し、翌日いっぱい、飾っておき、夕刻に片づける。
昨年は、突然の雷雨を予想し、片付け時間を早めた。
法要に来ていただく僧侶は、慶雲寺の住職というから、すぐ傍に建つ浄土宗三輪山慶雲寺。
聞いていた時間はもうすぐであるが、来られる気配がない。
まさか、と思って訪ねた慶雲寺。
お寺さんのご婦人がいうには、朝は快晴だったそうだ。
提灯も吊るしていたが、午後の時間帯になったころ、なんと、警報が発令された。
突然に雲行きが怪しくなった。
雨降りに提灯を吊るしておけば水浸し。
夕方にする予定だった法要は、急遽早めた午後4時に繰り上げした、という。
法要を終えた時間帯。予報通りの土砂降り雨。
法要を済ませ、提灯はすぐに降ろして、慶雲寺に保管した、と話してくれた。
(H30. 7. 9 EOS7D撮影)
えっ、ここに祭りごとが・・。
初めて知った日は平成28年7月10日。
集落辻にあった石塔。建之は江戸時代末期の嘉永元年(1848)。
金平大権現の刻印からわかったコンピラ講であるが、講中がどこの家であるのか、手がかりなく・・・
翌年の平成29年7月10日にも再訪した中垣内のコンピラサン。
運よくお会いできた当時84歳のKさん。
お会いできたのもよかったが、祭りごとは終えて後片付けに来たと話していた。
Kさんが話すコンピラ講。
講中みなが御供、参拝をするわけでなく四垣内に分けた当番制で行っている、ということだ。
毎年に替わる年番に担当する垣内の組のもんが担うそうだ。
行事日程は、7月9日に10日。9日の朝。
当番垣内の組が決めた時間に、葉付きの笹竹を立てる。
石塔脇に2本を立てて水平に竹を置く。
その竹は垣内の提灯を吊る。
砂盛りをして祭壇を組み、花立を置き、お花を飾る。
朝の間にそうしておいて夕方に法要し、翌日いっぱい、飾っておき、夕刻に片づける。
昨年は、突然の雷雨を予想し、片付け時間を早めた。
法要に来ていただく僧侶は、慶雲寺の住職というから、すぐ傍に建つ浄土宗三輪山慶雲寺。
聞いていた時間はもうすぐであるが、来られる気配がない。
まさか、と思って訪ねた慶雲寺。
お寺さんのご婦人がいうには、朝は快晴だったそうだ。
提灯も吊るしていたが、午後の時間帯になったころ、なんと、警報が発令された。
突然に雲行きが怪しくなった。
雨降りに提灯を吊るしておけば水浸し。
夕方にする予定だった法要は、急遽早めた午後4時に繰り上げした、という。
法要を終えた時間帯。予報通りの土砂降り雨。
法要を済ませ、提灯はすぐに降ろして、慶雲寺に保管した、と話してくれた。
(H30. 7. 9 EOS7D撮影)