マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大阪・泉北忠岡港に停泊する漁船の笹竿

2021年01月19日 09時49分56秒 | 民俗あれこれ
93歳になったおふくろの誕生祝いに大阪・堺で食事

花見はもう飽いたから港に行きたいというのでドライブがてらに大阪・泉佐野漁港の青空市場まで。

駐車場から海鮮売り場まで歩くのに3度も休憩。口は元気なんだが・・・。

臨海線のドライブ中に見つけたあれは何???。

往路で見たのは停泊中船舶のてっぺん。

走行中に見たそれはなぜか郷愁・・。

尤も海に親族はいない。

もちろんではないが海に友達もいない。

田んぼなら付近におられる農家の方たちを探してでも知りたい生業農家の営みであるが、海、それも漁港に人がおれば・・。

その漁港は泉北地域の忠岡港(地理的には岸和田より北方)。

臨海線からどう抜けて入り込むのかわかなないが、昔取った杵柄ではないが、30歳前後は度々の波止釣りに行っていた。

行先はだいたいが泉大津に岸和田。

波止で寝ころびながら釣り糸を垂らしていたらガシラが釣れた。

サビキ釣りなら鯖に鯵。

釣った魚は持ち帰り。

今でも覚えている一番の大物。

決して大きな魚でなく中型以下。

引きがまったく違ったその魚はアコウ。

つまりはハタの仲間。

むちゃ美味しかった。

波止に入るには防潮堤がある。

大きな鉄の扉は未だ見たことはないが、高さは相当である。



信号から少し廻ったところから入ったそこに停泊していた。

写真を撮ってから釣り人に聞いたが、正体はわからないという。

漁師さんがおられたらいいのだが、家人を車に乗せたまま放置するわけにもいかずに聞き取りは断念した停泊中の漁船に括りつけた、



枯れた笹葉を残した竹竿である。

いずれも船首に立てていた数隻漁船にあった海の民俗は、まったく知らない。

1年後の令和2年3月3日放映の「南海本線の特急停まらない駅もスゴイぞSP」。

録画していたテレビ番組は関西テレビの「ちゃちゃ入れマンデー」。

放映していた漁港の映像に、ここにもあるんだと驚いたものだ。

漁港に佇む漁師船舶の姿が、忠岡漁港で見た笹竿舟とまったく同じ。

漁港は忠岡から南。

隣町の岸和田漁港の映像であった。

撮影日がわからないから何とも言えないが、是非とも伺ってみたい4艘の“笹竿“立ての民俗である。

その後に調べたネット検索に見つかった「岸和田風物百選」の大漁旗とわかった。

元旦の岸和田旧港に見られる大漁旗

今なお受け継がれている乗り初めの習俗である。

海の地方のどこでも見られる大漁旗に岸和田では「武者人形」や「八幡大菩薩」の染め幟旗もあるようだ。

かつての大漁旗は、大漁の印であり、満載の魚を他船に転載してもらうための合図だった、と書いている。

こんにちは、新造船の船おろしに正月の乗り初めくらい。

笹竹は青々した状態で伐採。

予め準備した笹竹を船首に立て、大漁旗や幟旗を立てる。

年の瀬も迫った寒い日、2尾の生鯛を、鰓から藁を通して懸(かけ)の魚(いお)をつくる

その記述に思い出す旧室生の下笠間でカケダイを作って販売していたM商店。

ご主人が作って販売していたカケダイであるが、身体の都合によって、翌年には店をたたまれた。

話題は岸和田漁民の懸魚(かけいお/かけだいとも)に戻そう。

この懸魚は、一年中の期間に家の神棚に供え、航海と大漁の守り神に、また注連縄にすわり鯛も準備する、と書いてあった。

乗り初めの儀式もある。

雑煮をいただく前、父と子どもは雑煮、米、すわり鯛を御膳箱に詰めて停泊舟に運ぶ。

御膳は、中央の帆柱に坐います船霊(ふなたま)さんに供え、舷(※とりかじ/取舵)にお神酒をあげる。

それから父と子どもは、船霊前に座り、手を合わせて新年の航海安全と大漁を祈願する。

まさに海の民の民俗である。

時間帯はわからないが、一度は拝見したい海の民の民俗。

大漁旗も重要であるが、カケダイもまた興味を惹かれる民俗事例。

大阪湾に沿って点在する漁港がある。

堺漁港から泉州春木漁港、忠岡漁港、泉大津漁港、岸和田漁港、泉佐野漁港・・・。

いずれも大阪に住んでいたときに出かけた馴染みある漁港。



いつか機会を設けて民俗の旅行き。

正月の大漁旗を見るなら正月3日の午前中までとインスタグラムにあった記事を参考に出かけてみよう。

地域は堺から離れるが、伊豆大島ではまた異なる乗り初め大漁旗の民俗がある。

(R1. 5. 2 SB805SH撮影)