前日の7月22日に連絡があった。
発信者は、知人のSさん。
民俗取材の私に何かと気にかけてくださり、行事情報を伝えてくれる。
今回のメッセージは、映像付き。
コメントは「地蔵盆法要は、尼ヶ辻のジャパン店の隣にあり。
小生が卒業した(大和)郡山南中。
その当時、教鞭に立っていた元恩師が世話人をされている」地蔵盆である。
映像は、地蔵盆の案内をする掲示物だった。
「地蔵盆御案内 日時 七月二十三日(月)午後六時 地蔵盆法要と数珠繰り」、「受付 お供え、晒奉納の受け付けは、当日午後三時~四時まで。但し、時間外の場合は、西隣の仲西にて受付します 地蔵講維持世話人 仲西胤保」。
奈良市西木辻・八軒町を出て、当地に着いた時間は、午後5時半。
30分もかかった移動距離。
近いようで遠いのは、信号の多さにあるが、その途中にも・・。
地域は、三条大路3丁目辺り。
午後5時ころから始めたと思われる地蔵盆法要も気になるが・・。
到着してすぐに拝見した案内掲示。
その掲示物の横には、ひらがな文字で可愛く書いた地蔵盆の案内がある。
「こどもたち おうちのひとといっしょに みんな来てね~‼」に、誘われてご近所の子供たちがやってくるだろう。
地蔵堂が建つ敷地内に、広げた数珠繰りの場。
広げたシートの上には、お数珠も準備していた。
さて、Sさんが学んだ恩師はどこにおられるのだろうか。
こういう場合は、ご近所両隣の方たちにお声をかけて尋ねるしかない。
そう判断して伺った、お家が仲西家だった。
お家にある駐車場で受付をしていた方にお声をかけ、
Sさんの願いに、ご挨拶ならびに自己紹介、
そして取材主旨を伝えて取材許可を得る。
奈良市指定文化財の尼ケ辻地蔵石仏は、鎌倉時代中期の文永二年(1265)の作。
光背に、文永二年乙丑八月日とあったことから判断された地蔵菩薩立像。
左手に宝珠を持ち、右手には錫杖を持たない古式姿の地蔵菩薩立像。
別名に首切り地蔵の名がある。
昔、尼寺を目指す女性が、俗世間との関係を断ち切るために参り、決意を地蔵菩薩に誓った、とする伝承があるらしい。
かつては現在地でなく、すぐ近くにある「四条大路5」信号の角地にあった。
東西に走る三条大路を走る大宮通り(※国道308号線)の拡幅工事によって、現在地に移ったそうだ。
予定時間より早く着いた僧侶。
どこかでお見かけしたような・・・。
はっきり思い出した僧侶は、大和郡山市稗田町にある融通念仏宗常楽寺のご住職である。
平成19年7月23日に同市高田町・秋篠川堤防にある枳殻(きこく)地蔵の地蔵盆数珠繰りを撮らせてもらったこと、鮮明に覚えておられた。
あれから12年も経つのに、ありがたいことであるが、年いって思うように身体が動かんようになってなぁ、と、ご住職がいう。
実は、30分前のご住職は、すぐ近くにある隣町の尼辻中町の興福院地蔵講で法要をしていた、という。
地蔵菩薩立像の前に座った住職。
それと同時に、蝋燭の火を灯す地蔵講維持世話人の家族さん。
このときの時間帯に吹く西の風。
灯しては火が消え、灯しては消えの繰り返し。
数本の蝋燭に火が点いたから、はじめましょう、とお念仏を唱えだした。
数珠を前に座っていたのは、世話人の家族さんに講中、案内に応えて参加してくださった家族さんは子供たちと。
お母さんに抱っこされた幼児も一緒に並んで始める数珠繰り。
おりんを打つ住職。
甲高い音色が辺り一面に広がるリーン、リーン・・。
住職のお念仏も聞こえないくらいに甲高い。
それと同時に数珠を繰る人は、幼児を入れた8人。
少しでも数珠繰りする形になったのが嬉しい。
その光景を見守る世話人の仲西さん。
83歳の高齢ゆえ、参加は見送られたが、心中は数珠繰りをしているように思えた。
囲いの外には御供をもってきた地区の人たち。
眩しい夕陽にちょうどあたる午後6時の時間帯に手を合わせた数人の参拝者。
一年に一度の数珠繰りを見ていた。
「こんな、えーことしてはるんや。数珠繰りに入ってくれたら・・」、と。
この日に参加してくれた若い家族さん。
近くに住む友人、知人にも紹介したが、参加されることはなかった。
不参加の理由は、夜店がない、という判断だった。
そんな状況に、仲谷世話人の孫さん。
大学生の孫さんは、おじいちゃんのお手伝いに一所懸命に動き回っていた。
優しい心をもつ孫さんたち。
数珠繰り法要を終えたら、すぐに動きだして、参加のお礼にお菓子配り。
ちっちゃな幼児にもありがとう、と言って手渡していた。
およそ15分間の数珠繰り法要。
人数は少なかったが、気分はほっこりさせてもらった。
(H30. 7.23 SB932SH撮影)
(H30. 7.23 EOS7D撮影)
発信者は、知人のSさん。
民俗取材の私に何かと気にかけてくださり、行事情報を伝えてくれる。
今回のメッセージは、映像付き。
コメントは「地蔵盆法要は、尼ヶ辻のジャパン店の隣にあり。
小生が卒業した(大和)郡山南中。
その当時、教鞭に立っていた元恩師が世話人をされている」地蔵盆である。
映像は、地蔵盆の案内をする掲示物だった。
「地蔵盆御案内 日時 七月二十三日(月)午後六時 地蔵盆法要と数珠繰り」、「受付 お供え、晒奉納の受け付けは、当日午後三時~四時まで。但し、時間外の場合は、西隣の仲西にて受付します 地蔵講維持世話人 仲西胤保」。
奈良市西木辻・八軒町を出て、当地に着いた時間は、午後5時半。
30分もかかった移動距離。
近いようで遠いのは、信号の多さにあるが、その途中にも・・。
地域は、三条大路3丁目辺り。
午後5時ころから始めたと思われる地蔵盆法要も気になるが・・。
到着してすぐに拝見した案内掲示。
その掲示物の横には、ひらがな文字で可愛く書いた地蔵盆の案内がある。
「こどもたち おうちのひとといっしょに みんな来てね~‼」に、誘われてご近所の子供たちがやってくるだろう。
地蔵堂が建つ敷地内に、広げた数珠繰りの場。
広げたシートの上には、お数珠も準備していた。
さて、Sさんが学んだ恩師はどこにおられるのだろうか。
こういう場合は、ご近所両隣の方たちにお声をかけて尋ねるしかない。
そう判断して伺った、お家が仲西家だった。
お家にある駐車場で受付をしていた方にお声をかけ、
Sさんの願いに、ご挨拶ならびに自己紹介、
そして取材主旨を伝えて取材許可を得る。
奈良市指定文化財の尼ケ辻地蔵石仏は、鎌倉時代中期の文永二年(1265)の作。
光背に、文永二年乙丑八月日とあったことから判断された地蔵菩薩立像。
左手に宝珠を持ち、右手には錫杖を持たない古式姿の地蔵菩薩立像。
別名に首切り地蔵の名がある。
昔、尼寺を目指す女性が、俗世間との関係を断ち切るために参り、決意を地蔵菩薩に誓った、とする伝承があるらしい。
かつては現在地でなく、すぐ近くにある「四条大路5」信号の角地にあった。
東西に走る三条大路を走る大宮通り(※国道308号線)の拡幅工事によって、現在地に移ったそうだ。
予定時間より早く着いた僧侶。
どこかでお見かけしたような・・・。
はっきり思い出した僧侶は、大和郡山市稗田町にある融通念仏宗常楽寺のご住職である。
平成19年7月23日に同市高田町・秋篠川堤防にある枳殻(きこく)地蔵の地蔵盆数珠繰りを撮らせてもらったこと、鮮明に覚えておられた。
あれから12年も経つのに、ありがたいことであるが、年いって思うように身体が動かんようになってなぁ、と、ご住職がいう。
実は、30分前のご住職は、すぐ近くにある隣町の尼辻中町の興福院地蔵講で法要をしていた、という。
地蔵菩薩立像の前に座った住職。
それと同時に、蝋燭の火を灯す地蔵講維持世話人の家族さん。
このときの時間帯に吹く西の風。
灯しては火が消え、灯しては消えの繰り返し。
数本の蝋燭に火が点いたから、はじめましょう、とお念仏を唱えだした。
数珠を前に座っていたのは、世話人の家族さんに講中、案内に応えて参加してくださった家族さんは子供たちと。
お母さんに抱っこされた幼児も一緒に並んで始める数珠繰り。
おりんを打つ住職。
甲高い音色が辺り一面に広がるリーン、リーン・・。
住職のお念仏も聞こえないくらいに甲高い。
それと同時に数珠を繰る人は、幼児を入れた8人。
少しでも数珠繰りする形になったのが嬉しい。
その光景を見守る世話人の仲西さん。
83歳の高齢ゆえ、参加は見送られたが、心中は数珠繰りをしているように思えた。
囲いの外には御供をもってきた地区の人たち。
眩しい夕陽にちょうどあたる午後6時の時間帯に手を合わせた数人の参拝者。
一年に一度の数珠繰りを見ていた。
「こんな、えーことしてはるんや。数珠繰りに入ってくれたら・・」、と。
この日に参加してくれた若い家族さん。
近くに住む友人、知人にも紹介したが、参加されることはなかった。
不参加の理由は、夜店がない、という判断だった。
そんな状況に、仲谷世話人の孫さん。
大学生の孫さんは、おじいちゃんのお手伝いに一所懸命に動き回っていた。
優しい心をもつ孫さんたち。
数珠繰り法要を終えたら、すぐに動きだして、参加のお礼にお菓子配り。
ちっちゃな幼児にもありがとう、と言って手渡していた。
およそ15分間の数珠繰り法要。
人数は少なかったが、気分はほっこりさせてもらった。
(H30. 7.23 SB932SH撮影)
(H30. 7.23 EOS7D撮影)