ほぼ2年近い。
1年と11カ月ぶりに食事する大阪・南津守店のかっぱ寿司。
この日に大阪・住之江入りしたワケは、おふくろが元々の居住地に独り暮らしができるのかどうか、本人自身に確かめてもらうことである。
令和2年4月1日。
発祥した圧迫骨折に急遽、住之江から軽バン移送した。
T病院に緊急入院して以来、退院後はうちの家で療養していたおふくろは19カ月ぶりに住之江に帰還した。
問題は、階段の上り下りができるのか、また室内を不自由なく、動けるのか。
本人の意思、自覚をもって独り暮らしができるかどうか判断してもらうのが目的。

その結果、時間はかかったが、骨折前当時と同じように手すりを遣いでなんとか上り下りができた。

ただ、室内の動きは到底無理や、と自覚した。

居間から炊事場。
炊事場からトイレ。
衣服の洗濯は機械がするとしてもベランダ行き、物干し、取り込みへの動きは無理がある。
もちろんヘルパーさんに支援してもろたらどうや、と声が聞こえてきそうだが、炊事場を中心とする調理、配膳も無理がある、と自覚したおふくろ。
居住型老人ホームにお世話になります、と意思を固めてくれた。
その条件に、今日のように外出し、例えば回転寿司などに連れてってくれることが約束。
新型コロナウイルス拡散防止対策に居住型老人ホームの一部では、一切を許可しない施設もあれば、うちはよろしい、ですよ、と伝えてくれる施設もある。
この用件を満たす施設への入居申し込みをもって住之江を離れる覚悟をもったおふくろ。
まだまだ着たい衣服を数点持ち帰る他、居住地退去にすべて処分ではなく、使えるものは老人ホームまたはうちの家に、或いは実弟家に要、不要を聞くことにした。
また居住地に設置していた3本の手すりは我が家に移設可能と判断した。
戻ることのない団地住居。
バラック小屋のような木造の市営大和川住宅から、近代的な鉄筋コンクリート製の5階建て団地。
建設工事を終えて移転。
家具、家財は、住民そろってみな団地移動。
新しき住処に整えて暮らしてから何十年にもなる。
建築は、昭和49年(1974)。
鍵渡しを受理し、新大和川団地に入居したのは昭和52年(1977)。
結婚していた若きかーさんと私は、棟は異なるが大和川団地で暮らしていた。
当時の母親のおふくろはまだまだ若かった。
先に亡くなった祖母とも暮らしていた時代があった。
新居だった大和川団地も、今や独り暮らしに、施設に移った多くの住民。
以前もあげたが、おふくろが住まいする階は、たったの3軒。

空き家の多い市営住宅に化していた。
その時代変遷に逞しく生きてきたおふくろ。
ここに、45年間も暮らしていた。
尤も、バラック小屋時代を入れれば大方70年も超える北島暮らし。
思い出もいっぱいあるが・・・数か月後には、退去申請しなくてはならない。
そのときも一応の映像記録を撮っておくが、今日はなんとか階段があがれたので、暮らしていた現状を記録しておく。
日当たり良好の居間に落ちついたおふくろ。

かーさんと思い出話に寛いでいた。
このコーナーは、食事の調理器置き場。

懐かしの炊飯器にパン焼きオーブンに小物置き。
角に据えた壁掛け電話。
常に使うのは、居間に置いた子機。
尤も携帯電話の方が多かったかも・・

ガス給湯器は何代目になるんだろうか。
大きなボタンにスイッチポンで火点け。
すぐにお湯が出てくる。
あれこれある炊事場であるが、ガス供給はすでに停止処置申請をしていたから、今日のお湯は出ない。
右上を見上げれば、新しい換気扇。

たしか、実弟三男が手配してくれた換気扇。
壁もある程度までは綺麗にしてくれた。

エアコンは居間用。
炊事場の境目にあった扉はずいぶん前に撤去したから冷房も暖房も筒抜け。
このエアコンなァ。
正味、新品に近いエアコンは、平成30年の9月3日にリニューアルした。
実弟三男とともに、割りあいに近い北加賀谷にあるジョーシン電気に発注し買い換えた。
それから起った何度目かの圧迫骨折に入院。
退院しても奈良の我が家で介護療養。
結局はほとんど使用していないほぼ新品のようなエアコンも撤去の運命に・・
エアコン下にあるあるごちゃごちゃした飾り物。
真下にあるのは地デジテレビ。
その付近に、思い出の写真がいっぱいある。

おふくろ自身の写真に孫たちに姪っ子たちも。
地デジの左側は鏡台。

化粧におめかし。出かける先は多方面にわたる。
つい数年前までは、ここ住之江からバスに乗って心斎橋大丸や梅田までとことこ歩いて出かけていた。
最後の最後まで働いた保険屋さん。
大きくて、重たい荷物が二つ。
私でさえ重たく感じた保険屋道具一式。
私ら3兄弟を、保険稼業で育ててくれたもんだ。
居間は四畳半。

北になる別室は三畳部屋に、祖母が見守ってくれている。
毎日のように、ご飯、おかずなどを供えてチーン。
祖母に願った元気で暮らせますように、見守ってください・・と。

掃除機は、炊事場の横。
炊事場から南側にベランダ。

ドアにも据えた手すり。
買い取りの手すりは、ここベランダ以外に数本。
撤去する際には、奈良の我が家に移す予定にしている。
ベランダにでたら旧国道26号線を走行する車がよく見える。

そのベランダ越しに見ていた普段のおふくろ。
そっちに行くから、と電話を入れておくと、その時間に近くなればベランダに出て、いつも待って歩いてくる姿を見ていた。
元気なころは、北の三畳の間のガラス窓を開けて見ていた。
人物がわかれば、4階の窓から手を振っていた。
到着がそうなら、見送りも同じように手を振っていた状況が瞼に現れる。
ベランダで思いだす、恐ろしい事件があった。
平成27年の5月11日。
おふくろからの電話はいきなり伝えてきた「火事やー、火が燃えているぅーーーー」。
叫ぶ、「隣が燃えているぅーーーー」に、その状態が想像できたから、大声を出した。
「すぐ、すぐにや、何が何でも、振り返らずに、とにかく階段を下りて、外に逃げろーー❣」。
隣家の火災に見舞われた。

壁掛け電話の右手は洗濯機置き場。

洗濯した水は、右手のお風呂場に排水。
逆に給水は、蛇口から。
ここは脱衣場を兼ねた空間。
なお、左手にトイレがある。
様式便器のトイレ。
入居してから45年間も活動してきた大ベテラン便器がある
洗濯機もまた新しい。
三男が手配してくれたのだろう。

浴室は、要介護になってからは、入浴支援の道具も据えた。
ただ、一人ではリスクを伴う要介護者。
入浴支援スタッフにきてもらっていた。

ラストの映像は、シャープ製の冷蔵庫。
右・左のどちらかでも開閉できるドアがある。
ただ、こうしてみると、結局は右手側しか使うことないよな。
その上に載せていたエンジ系真っ赤な色の電子レンジも、まだまだ使える代物。
撤去の際には、大決断をするような気がする。
1時間も滞在していた見納めの居住地。
会話は尽きないが、そろそろお昼にしましょう、と階段を下りるおふくろ。
域も、帰りも階段の手すりが役立った。

しがみついて上り下り。
踏み外してはもともこうもない。
慎重体制に下りていく。
その姿を撮っていたら、足元にからみつく動物。

じゃれて、じゃれつくたぶんにご近所さんの飼い猫。

おぅおぅ、お前も見送ってくれてんだよな、と。
回転に寝た猫のウィンク。

ようやく下りてきたおふくろも無事に着地した。
(R3.10.28 SB805SH 撮影)
1年と11カ月ぶりに食事する大阪・南津守店のかっぱ寿司。
この日に大阪・住之江入りしたワケは、おふくろが元々の居住地に独り暮らしができるのかどうか、本人自身に確かめてもらうことである。
令和2年4月1日。
発祥した圧迫骨折に急遽、住之江から軽バン移送した。
T病院に緊急入院して以来、退院後はうちの家で療養していたおふくろは19カ月ぶりに住之江に帰還した。
問題は、階段の上り下りができるのか、また室内を不自由なく、動けるのか。
本人の意思、自覚をもって独り暮らしができるかどうか判断してもらうのが目的。

その結果、時間はかかったが、骨折前当時と同じように手すりを遣いでなんとか上り下りができた。

ただ、室内の動きは到底無理や、と自覚した。

居間から炊事場。
炊事場からトイレ。
衣服の洗濯は機械がするとしてもベランダ行き、物干し、取り込みへの動きは無理がある。
もちろんヘルパーさんに支援してもろたらどうや、と声が聞こえてきそうだが、炊事場を中心とする調理、配膳も無理がある、と自覚したおふくろ。
居住型老人ホームにお世話になります、と意思を固めてくれた。
その条件に、今日のように外出し、例えば回転寿司などに連れてってくれることが約束。
新型コロナウイルス拡散防止対策に居住型老人ホームの一部では、一切を許可しない施設もあれば、うちはよろしい、ですよ、と伝えてくれる施設もある。
この用件を満たす施設への入居申し込みをもって住之江を離れる覚悟をもったおふくろ。
まだまだ着たい衣服を数点持ち帰る他、居住地退去にすべて処分ではなく、使えるものは老人ホームまたはうちの家に、或いは実弟家に要、不要を聞くことにした。
また居住地に設置していた3本の手すりは我が家に移設可能と判断した。
戻ることのない団地住居。
バラック小屋のような木造の市営大和川住宅から、近代的な鉄筋コンクリート製の5階建て団地。
建設工事を終えて移転。
家具、家財は、住民そろってみな団地移動。
新しき住処に整えて暮らしてから何十年にもなる。
建築は、昭和49年(1974)。
鍵渡しを受理し、新大和川団地に入居したのは昭和52年(1977)。
結婚していた若きかーさんと私は、棟は異なるが大和川団地で暮らしていた。
当時の母親のおふくろはまだまだ若かった。
先に亡くなった祖母とも暮らしていた時代があった。
新居だった大和川団地も、今や独り暮らしに、施設に移った多くの住民。
以前もあげたが、おふくろが住まいする階は、たったの3軒。

空き家の多い市営住宅に化していた。
その時代変遷に逞しく生きてきたおふくろ。
ここに、45年間も暮らしていた。
尤も、バラック小屋時代を入れれば大方70年も超える北島暮らし。
思い出もいっぱいあるが・・・数か月後には、退去申請しなくてはならない。
そのときも一応の映像記録を撮っておくが、今日はなんとか階段があがれたので、暮らしていた現状を記録しておく。
日当たり良好の居間に落ちついたおふくろ。

かーさんと思い出話に寛いでいた。
このコーナーは、食事の調理器置き場。

懐かしの炊飯器にパン焼きオーブンに小物置き。
角に据えた壁掛け電話。
常に使うのは、居間に置いた子機。
尤も携帯電話の方が多かったかも・・

ガス給湯器は何代目になるんだろうか。
大きなボタンにスイッチポンで火点け。
すぐにお湯が出てくる。
あれこれある炊事場であるが、ガス供給はすでに停止処置申請をしていたから、今日のお湯は出ない。
右上を見上げれば、新しい換気扇。

たしか、実弟三男が手配してくれた換気扇。
壁もある程度までは綺麗にしてくれた。

エアコンは居間用。
炊事場の境目にあった扉はずいぶん前に撤去したから冷房も暖房も筒抜け。
このエアコンなァ。
正味、新品に近いエアコンは、平成30年の9月3日にリニューアルした。
実弟三男とともに、割りあいに近い北加賀谷にあるジョーシン電気に発注し買い換えた。
それから起った何度目かの圧迫骨折に入院。
退院しても奈良の我が家で介護療養。
結局はほとんど使用していないほぼ新品のようなエアコンも撤去の運命に・・
エアコン下にあるあるごちゃごちゃした飾り物。
真下にあるのは地デジテレビ。
その付近に、思い出の写真がいっぱいある。

おふくろ自身の写真に孫たちに姪っ子たちも。
地デジの左側は鏡台。

化粧におめかし。出かける先は多方面にわたる。
つい数年前までは、ここ住之江からバスに乗って心斎橋大丸や梅田までとことこ歩いて出かけていた。
最後の最後まで働いた保険屋さん。
大きくて、重たい荷物が二つ。
私でさえ重たく感じた保険屋道具一式。
私ら3兄弟を、保険稼業で育ててくれたもんだ。
居間は四畳半。

北になる別室は三畳部屋に、祖母が見守ってくれている。
毎日のように、ご飯、おかずなどを供えてチーン。
祖母に願った元気で暮らせますように、見守ってください・・と。

掃除機は、炊事場の横。
炊事場から南側にベランダ。

ドアにも据えた手すり。
買い取りの手すりは、ここベランダ以外に数本。
撤去する際には、奈良の我が家に移す予定にしている。
ベランダにでたら旧国道26号線を走行する車がよく見える。

そのベランダ越しに見ていた普段のおふくろ。
そっちに行くから、と電話を入れておくと、その時間に近くなればベランダに出て、いつも待って歩いてくる姿を見ていた。
元気なころは、北の三畳の間のガラス窓を開けて見ていた。
人物がわかれば、4階の窓から手を振っていた。
到着がそうなら、見送りも同じように手を振っていた状況が瞼に現れる。
ベランダで思いだす、恐ろしい事件があった。
平成27年の5月11日。
おふくろからの電話はいきなり伝えてきた「火事やー、火が燃えているぅーーーー」。
叫ぶ、「隣が燃えているぅーーーー」に、その状態が想像できたから、大声を出した。
「すぐ、すぐにや、何が何でも、振り返らずに、とにかく階段を下りて、外に逃げろーー❣」。
隣家の火災に見舞われた。

壁掛け電話の右手は洗濯機置き場。

洗濯した水は、右手のお風呂場に排水。
逆に給水は、蛇口から。
ここは脱衣場を兼ねた空間。
なお、左手にトイレがある。
様式便器のトイレ。
入居してから45年間も活動してきた大ベテラン便器がある
洗濯機もまた新しい。
三男が手配してくれたのだろう。

浴室は、要介護になってからは、入浴支援の道具も据えた。
ただ、一人ではリスクを伴う要介護者。
入浴支援スタッフにきてもらっていた。

ラストの映像は、シャープ製の冷蔵庫。
右・左のどちらかでも開閉できるドアがある。
ただ、こうしてみると、結局は右手側しか使うことないよな。
その上に載せていたエンジ系真っ赤な色の電子レンジも、まだまだ使える代物。
撤去の際には、大決断をするような気がする。
1時間も滞在していた見納めの居住地。
会話は尽きないが、そろそろお昼にしましょう、と階段を下りるおふくろ。
域も、帰りも階段の手すりが役立った。

しがみついて上り下り。
踏み外してはもともこうもない。
慎重体制に下りていく。
その姿を撮っていたら、足元にからみつく動物。

じゃれて、じゃれつくたぶんにご近所さんの飼い猫。

おぅおぅ、お前も見送ってくれてんだよな、と。
回転に寝た猫のウィンク。

ようやく下りてきたおふくろも無事に着地した。
(R3.10.28 SB805SH 撮影)