この日は、宇陀市室生小原の秋祭り。
コロナ禍中に神輿巡行は中止。
役員たちだけで行われた神事ごと。
一年に一度の当屋渡しもされるが、例年と違って最小限に絞り込まれた作法。
普段と違って酒盃の儀を取りやめ、シャンシャン手打ち締めをもって引き継がれた。
神事に際して参拝された男性が話してくれた隣村の民俗。
男性は、大当屋として、この一年を務めた73歳のOさん。
先ほど、引継ぎを終えてほっとされたOさんが伝えてくれた隣村。
私の耳に聞こえたそれは「たきのおう」。
室生の地域に「たきのお」は聞き始め。
その地に行けば、高さが100mもある不動滝が見られるという。
手前の地には長持石もあるから是非見に行ってください、という。
時間帯は午後4時を過ぎていた。
さて、「たきのおう」の地はどこ・・。
橋から向こうに流れる川(※笠間川)がある。
そこを覗いてみれば、あるから、と云われていたが・・午後4時半の森は暗い。
橋のすぐそばに花を植えたからわかるはずだと、いっていたが、不動滝の所在地は、道路横に指標があるだけで、進入口が見つからない。
川を渡った向こう岸。
そこから歩く、といわれてもこの時間では無理だと判断し、行先を「たきのおう」と呼んでいた「滝ノ尾」にハンドルをきった。
四叉路に架かる橋を渡らず、右手から流れる支流の際を登ったそこにある滝ノ尾集落を目指す。
気になった滝ノ尾の三つの有形民俗文化財。
Oさんが話していた「長者の長持石」に「笠塔婆」と「二十三夜月待塔」に目が点になった。
まさかの、「二十三夜月待塔」が、上笠間滝ノ尾に存在していたとは・・・。
集落に入ったところに住民がおられたので尋ねた所在地。
「二十三夜月待塔」の場は、どこですか。
振りむいたそこにある。
石仏がずらっと並んでいる、そこだ、という。
許可を得て車を停めたそこは滝ノ尾の共同墓地であろう。
迎える六地蔵に右並びに建っていた「二十三夜月待塔」。
時間帯は午後4時40分。
ますます暗くなる時間帯に判読できる刻印文字は「奉」くらいであるが、その上にある円形内部に描かれた三日月が特徴の「二十三夜月待塔」。
かつて有形文化財にも詳しい知人と話していたことがある。
奈良には、十九夜講に関する講並びに本尊とする如意輪観音像はあるが、二十三夜講に二十三夜月待塔は見たことがないな、と話していた。
奈良にはなくとも、三重県名張市・矢川の春日神社境内に見たことがある。
令和3年の3月14日に立ち寄った春日神社に、正平八年(1353)建之の史蹟、南北朝時代の石燈籠がある。
その奥に建っていた石碑にあった刻印は「宝永三戌天(1706) 二世?」。
「奉 供養月待三(※夜)」とある。
おそらく三夜講若しくは二十三夜講であろう。
また、京都・南山城村の高尾に「二十三夜講」・「月待供養塔板碑」があるとネットが伝えていた。
「二十三夜月待塔」に解説板書がある。
「江戸時代初期からこの瀧之尾では、勢至菩薩をまつる二十三夜月待信仰が盛んに行われていた。全国的には、江戸時代中期以降に、声がよくなるといわれて、月待信仰が爆発的に大流行となるが、それよりも百年も前に、この村で月待信仰が熱心に行われていたことを物語っている。この二基の月待塔は、全国でも一、二の古さとされる立派な御遺品なのである。銘文は、元和三(1617)年奉廿三夜月待供養講中□月吉日)と刻名されている。」と、あった。
歴史、文化を伝える解説文、板書は滝ノ尾住民の手によって建てられた、と思うが、相当詳しい専門家による判読、分析が行われたのであろう。
「長者の長持石」の場所はどこになるのか。
探す時間はもうないから、諦めて春日神社境内に建っていた「笠塔婆」を拝見する。
一般的に笠塔婆といえば、大きな笠石があるはずなんだが・・。
どこを、どう探しても見つからない。
わかったのはその横に建ててあった解説文である。
「この笠塔婆は、奈良県内では最も古いとされている鎌倉前期に造られた貴重な石塔である。塔身は、安山岩製で、高さ八十八センチ・奥行き二十二・五センチで、昔は塔身の上に笠があったが、余りの古さと石室のもろさで現在は失われている。鎌倉時代の立派な笠塔婆は、ひょっとして瀧之尾長者の一族に、関係があるかも?」
また、「石柱梵字の下、四面に次の刻印がある」
「梵 為妙□□□是大□□□ 以衆生後生安楽成物道 梵 諸法従本来常自寂滅相 以衆生後生安楽成物道 梵 □□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□ 梵 □□□□□□□□衆生 浄入□□□迎□成仏□」
よくぞ判読されたものだと感服する次第だ。
「二十三夜月待塔」、「笠塔婆」の所在地を教えてくださった住民。
令和5年1月8日に再会した79歳のN氏によれば、この塔婆の並びに△石があり、それが西暦1500年代に上流に住んでいた滝の長者の遺物らしく、お盆のころに参るとも。
つい、さっきに収穫したばかりだ、という落花生干しをしていた。
広げた新聞を敷いた、その上に干していた落花生。
これも撮らせてください、と許可をもらって撮った滝ノ尾の生活民俗。
夕暮れ近い時間帯に、抜いた落花生の枝や葉を燃やす煙が・・
お家の向こうの煙は刈り込んだ雑草を燃やす煙。
再訪したくなる滝ノ尾住民にもっと聞きたくなる民俗がありそうだ。
(R3. 3.14 SB805SH 撮影)
(R3.11. 3 SB805SH 撮影)
コロナ禍中に神輿巡行は中止。
役員たちだけで行われた神事ごと。
一年に一度の当屋渡しもされるが、例年と違って最小限に絞り込まれた作法。
普段と違って酒盃の儀を取りやめ、シャンシャン手打ち締めをもって引き継がれた。
神事に際して参拝された男性が話してくれた隣村の民俗。
男性は、大当屋として、この一年を務めた73歳のOさん。
先ほど、引継ぎを終えてほっとされたOさんが伝えてくれた隣村。
私の耳に聞こえたそれは「たきのおう」。
室生の地域に「たきのお」は聞き始め。
その地に行けば、高さが100mもある不動滝が見られるという。
手前の地には長持石もあるから是非見に行ってください、という。
時間帯は午後4時を過ぎていた。
さて、「たきのおう」の地はどこ・・。
橋から向こうに流れる川(※笠間川)がある。
そこを覗いてみれば、あるから、と云われていたが・・午後4時半の森は暗い。
橋のすぐそばに花を植えたからわかるはずだと、いっていたが、不動滝の所在地は、道路横に指標があるだけで、進入口が見つからない。
川を渡った向こう岸。
そこから歩く、といわれてもこの時間では無理だと判断し、行先を「たきのおう」と呼んでいた「滝ノ尾」にハンドルをきった。
四叉路に架かる橋を渡らず、右手から流れる支流の際を登ったそこにある滝ノ尾集落を目指す。
気になった滝ノ尾の三つの有形民俗文化財。
Oさんが話していた「長者の長持石」に「笠塔婆」と「二十三夜月待塔」に目が点になった。
まさかの、「二十三夜月待塔」が、上笠間滝ノ尾に存在していたとは・・・。
集落に入ったところに住民がおられたので尋ねた所在地。
「二十三夜月待塔」の場は、どこですか。
振りむいたそこにある。
石仏がずらっと並んでいる、そこだ、という。
許可を得て車を停めたそこは滝ノ尾の共同墓地であろう。
迎える六地蔵に右並びに建っていた「二十三夜月待塔」。
時間帯は午後4時40分。
ますます暗くなる時間帯に判読できる刻印文字は「奉」くらいであるが、その上にある円形内部に描かれた三日月が特徴の「二十三夜月待塔」。
かつて有形文化財にも詳しい知人と話していたことがある。
奈良には、十九夜講に関する講並びに本尊とする如意輪観音像はあるが、二十三夜講に二十三夜月待塔は見たことがないな、と話していた。
奈良にはなくとも、三重県名張市・矢川の春日神社境内に見たことがある。
令和3年の3月14日に立ち寄った春日神社に、正平八年(1353)建之の史蹟、南北朝時代の石燈籠がある。
その奥に建っていた石碑にあった刻印は「宝永三戌天(1706) 二世?」。
「奉 供養月待三(※夜)」とある。
おそらく三夜講若しくは二十三夜講であろう。
また、京都・南山城村の高尾に「二十三夜講」・「月待供養塔板碑」があるとネットが伝えていた。
「二十三夜月待塔」に解説板書がある。
「江戸時代初期からこの瀧之尾では、勢至菩薩をまつる二十三夜月待信仰が盛んに行われていた。全国的には、江戸時代中期以降に、声がよくなるといわれて、月待信仰が爆発的に大流行となるが、それよりも百年も前に、この村で月待信仰が熱心に行われていたことを物語っている。この二基の月待塔は、全国でも一、二の古さとされる立派な御遺品なのである。銘文は、元和三(1617)年奉廿三夜月待供養講中□月吉日)と刻名されている。」と、あった。
歴史、文化を伝える解説文、板書は滝ノ尾住民の手によって建てられた、と思うが、相当詳しい専門家による判読、分析が行われたのであろう。
「長者の長持石」の場所はどこになるのか。
探す時間はもうないから、諦めて春日神社境内に建っていた「笠塔婆」を拝見する。
一般的に笠塔婆といえば、大きな笠石があるはずなんだが・・。
どこを、どう探しても見つからない。
わかったのはその横に建ててあった解説文である。
「この笠塔婆は、奈良県内では最も古いとされている鎌倉前期に造られた貴重な石塔である。塔身は、安山岩製で、高さ八十八センチ・奥行き二十二・五センチで、昔は塔身の上に笠があったが、余りの古さと石室のもろさで現在は失われている。鎌倉時代の立派な笠塔婆は、ひょっとして瀧之尾長者の一族に、関係があるかも?」
また、「石柱梵字の下、四面に次の刻印がある」
「梵 為妙□□□是大□□□ 以衆生後生安楽成物道 梵 諸法従本来常自寂滅相 以衆生後生安楽成物道 梵 □□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□ 梵 □□□□□□□□衆生 浄入□□□迎□成仏□」
よくぞ判読されたものだと感服する次第だ。
「二十三夜月待塔」、「笠塔婆」の所在地を教えてくださった住民。
令和5年1月8日に再会した79歳のN氏によれば、この塔婆の並びに△石があり、それが西暦1500年代に上流に住んでいた滝の長者の遺物らしく、お盆のころに参るとも。
つい、さっきに収穫したばかりだ、という落花生干しをしていた。
広げた新聞を敷いた、その上に干していた落花生。
これも撮らせてください、と許可をもらって撮った滝ノ尾の生活民俗。
夕暮れ近い時間帯に、抜いた落花生の枝や葉を燃やす煙が・・
お家の向こうの煙は刈り込んだ雑草を燃やす煙。
再訪したくなる滝ノ尾住民にもっと聞きたくなる民俗がありそうだ。
(R3. 3.14 SB805SH 撮影)
(R3.11. 3 SB805SH 撮影)