マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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室生小原・八幡神社秋の大祭にコロナ禍対策をとった当屋の座渡し

2024年02月23日 08時08分03秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
室生小原八幡神社上笠間在住の松本宮司が兼務する地域は染田、無山・多田・小原・毛原・深野・上笠間・下笠間に青葉。

今朝は、はじめに上笠間。

終わりに小原の7地域に出仕していた。

11月3日のこの日の私は忙し、駆けずり回る一日だった。

朝に自宅を出発し、午前11時半まで滞在していた京都府精華町北稲八間・武内神社のコロナ禍の秋の大祭の取材。

奈良入り前に見た京都・山城町上狛のハザカケ

そして走った奈良県内入り。

奈良市の川上町から須川を経て誓多林町に茗荷町。

峠越えを繰り返す山行きロード。

上杣ノ川町から旧都祁馬場を経て白石町。

東の街道にハンドルをきり、宇陀市の旧室生、多田、染田を経て小原入り。

到着した時間帯は午後2時半。

午後3時から秋の大祭が行われるが、コロナ禍に決断し大祭は、各集落とも行事のすべてが神事のみに・・

小原の大祭は神輿巡行しないため、宮司他総代、当屋たちがともに榊・ヒモロギを手にして集落を巡っていたそうだ。

西日が差し込み、参拝者の影が長くなった午後3時。

はじめに太鼓が打たれる。



社殿下の境内に拡がる参拝者が首を垂れる。

宮司は祓社に移動して祓の詞。



そして氏子たち全員に祓われる。

本殿に移り、祝詞を奏上された神事はおよそ20分。

神事を終え、これよりはじめられる儀式は当屋の座。



この日まで一年間の当屋の任に就いた人たちは、次の一年を受け継ぐあたらしき任に就く受け当屋たち。

本来の儀式を簡略化した当屋の座渡しの儀に移る。

昨年同様、当屋の座渡しの儀は手締め。

「祝ぉうてシャンシャン 打ーちましょ シャン」に手拍子が1回。

「もひとつ シャン シャン」の手拍子が2回。



「祝ぉうて シャン シャン シャン」に手拍子は3回。

一本締めでなく、三々七拍子でもない“大阪手締め”の作法である。

コロナ禍の当屋渡しに、酒盃の儀はできない。

2カ月前の9月に決めた当屋の座渡しの儀であった。

平成19年の11月3日に拝見していた座渡しの儀は、酒を飲み廻す儀式をされていたが、コロナ禍では認めがたい。

詳しくは、当時取材していたブログ記事を参照
していただきたい。

こうして秋の大祭は、短時間で終え、氏子たちは解散された。

この日の参集に、当時お世話になった大工棟梁と出会えた。

83歳になられたTさんは、今も現役の棟梁。

小原の八幡神社の宮大工。

60年前は社務所。

40年前は拝殿を。

20年前が、初の仕事の塗りを担ってきた。

ベンガラ塗りは難しい。

塗る部分のすべての汚れを落として綺麗にしないと、せっかくの色調合も台無しになるだけに、相当な気を遣って完成した。



是非とも、正面から見る塗りを見て欲しい、と云われて祭礼中に撮っておいた。

大当屋を務めた最後の日、当屋渡しを終えてほっとされた昭和17年生まれのOさんが、話してくれた。

今週末の亥の子座に、かつては青豆を曳いてくるみを作っていたそうだ。

そのくるみは、棟梁のTさんも、同じ証言。

ともに体験していた亥の子座のくるみ。

現在は、猪が荒らすから、大豆の栽培はしなくなった。

そんなことで、この亥の子のくるみ餅は、今では白餅。

当時の亥の子座。

月に「亥」が2回ある場合は、初めの「亥」の日に。

3回の場合は、中の2番目が亥の子座行事の日だった、と話してくれた。

また、今年の極楽寺の拾夜は、14日に予定されていた。

その日の午後2時からは、八幡神社のゾーク(※造営事業)のリハーサルがある。

そして、21日の午前9時に行う、と聞いていた令和3年度事業のゾーク(※造営式典)」は。私の都合で拝見できなかった。

20年に一度、行われる八幡神社のゾーク(※造営事業)。

次回は、20年後。取材するには、年齢的に間にあわないだろうな。

(R3.11. 3 SB805SH/EOS7D 撮影)