晩秋を彩った紅葉も風に舞って山添村天神社の舞殿に落ちてくる。
23日に春日大社の新嘗祭に参拝した村神主四人と総代は25日が北野の氏神さんの新嘗祭。
御酒(みき)トーヤ(当家であろうか)と世話方の年預(ねんにょ)と呼ばれる月替わり当番の五人、氏子長老らが参籠所に集まってくる。
隣村になる奈良市丹生町・丹生神社の神職を迎えて始まった収穫に感謝する新嘗祭。
社務所の祓戸大神に向かって並び祓えの儀が営まれる。
それを終えると手水で浄めて舞殿に登る。
お神酒、塩、米、二段重ね餅や季節の野菜、果物などの神饌を献じる。
祭壇の傍らには10月に収穫した新穀で醸造した県神社庁委託のにごり酒(御所の葛城酒造・以前は香芝だった)が供えられる。
県内の新嘗感謝祭における特徴的な供え物だ。
祝詞奏上、玉串奉奠など神事が行われる間、雲がきれて一筋の光りが落ち行く紅葉を彩った。
祭典を終えると氏子長老が待つ参籠所で直会。
区長や村神主の祭典御礼が奉じられたあとは御供下がりのにごり酒(どぶろく火入れ酒)で団らんの場。
肴はカマボコにジャコやお菓子など。
冷えた酒は酔いが後から回ってくるんだといいながら、お酒が二杯、三杯と増えて身体が温まっていく。
祭典後の30日はイノコの日だった。
早稲栽培に転換した戦後は収穫時期が9月末。
イノコの日と合わんようになって途絶えたという。
(H20.11.25 Kiss Digtal N撮影)
23日に春日大社の新嘗祭に参拝した村神主四人と総代は25日が北野の氏神さんの新嘗祭。
御酒(みき)トーヤ(当家であろうか)と世話方の年預(ねんにょ)と呼ばれる月替わり当番の五人、氏子長老らが参籠所に集まってくる。
隣村になる奈良市丹生町・丹生神社の神職を迎えて始まった収穫に感謝する新嘗祭。
社務所の祓戸大神に向かって並び祓えの儀が営まれる。
それを終えると手水で浄めて舞殿に登る。
お神酒、塩、米、二段重ね餅や季節の野菜、果物などの神饌を献じる。
祭壇の傍らには10月に収穫した新穀で醸造した県神社庁委託のにごり酒(御所の葛城酒造・以前は香芝だった)が供えられる。
県内の新嘗感謝祭における特徴的な供え物だ。
祝詞奏上、玉串奉奠など神事が行われる間、雲がきれて一筋の光りが落ち行く紅葉を彩った。
祭典を終えると氏子長老が待つ参籠所で直会。
区長や村神主の祭典御礼が奉じられたあとは御供下がりのにごり酒(どぶろく火入れ酒)で団らんの場。
肴はカマボコにジャコやお菓子など。
冷えた酒は酔いが後から回ってくるんだといいながら、お酒が二杯、三杯と増えて身体が温まっていく。
祭典後の30日はイノコの日だった。
早稲栽培に転換した戦後は収穫時期が9月末。
イノコの日と合わんようになって途絶えたという。
(H20.11.25 Kiss Digtal N撮影)
春は田植え済んで「寝付け休み 方休み」といってオハギを食べる。
収穫した秋はイノコの日で農作業の休み。
イノコモチをよばれた。
イノコモチは石臼で豆を挽いたもんをモチにまぶして食べたクルミモチやったと井戸野行者講のOさんが懐かしそうに話された。
平野の大念仏がきた日がイノコの日で今年は11月16日。
山回りの年だったので例年より十日遅い。
若槻、美濃庄、稗田、大江、上・下三橋と如来さんのご回在。
昔、井戸野のお寺が大念仏だったころの念仏衆、宗派が替わっても残ったという6、7軒に如来さんがやってくるそうだ。
(H20.11.23 記)
収穫した秋はイノコの日で農作業の休み。
イノコモチをよばれた。
イノコモチは石臼で豆を挽いたもんをモチにまぶして食べたクルミモチやったと井戸野行者講のOさんが懐かしそうに話された。
平野の大念仏がきた日がイノコの日で今年は11月16日。
山回りの年だったので例年より十日遅い。
若槻、美濃庄、稗田、大江、上・下三橋と如来さんのご回在。
昔、井戸野のお寺が大念仏だったころの念仏衆、宗派が替わっても残ったという6、7軒に如来さんがやってくるそうだ。
(H20.11.23 記)
井戸野の集落は環濠集落。
神社を中心に大きな「の」の字を書くようになっていたという。
南のほうは暗渠にして道にした。西の一部もそうしている。
北側は今でも風情を残す幅広い環濠が見られる。
行者講のOさんが指さした方向を見れば白壁に彫刻がある家があった。
角地なので目立つのだが木々で遮られていて今の今まで気がつかなかった。
「牡丹に唐獅子」やでという壁は漆喰仕上げ。
左官屋さんの腕の見せどころだったそうだ。
(H20.11.23 Kiss Digtal N撮影)
神社を中心に大きな「の」の字を書くようになっていたという。
南のほうは暗渠にして道にした。西の一部もそうしている。
北側は今でも風情を残す幅広い環濠が見られる。
行者講のOさんが指さした方向を見れば白壁に彫刻がある家があった。
角地なので目立つのだが木々で遮られていて今の今まで気がつかなかった。
「牡丹に唐獅子」やでという壁は漆喰仕上げ。
左官屋さんの腕の見せどころだったそうだ。
(H20.11.23 Kiss Digtal N撮影)
行者講のOさんに案内されて井戸野の集落を巡ると懐かしいものが目に入る。
家の門口にあった輪っか。牛の鼻輪の引き綱をここに結んだ名残りだ。
トラクターが導入された昭和三十年代まで使っていたのだろうか。
(H20.11.23 Kiss Digtal N撮影)
家の門口にあった輪っか。牛の鼻輪の引き綱をここに結んだ名残りだ。
トラクターが導入された昭和三十年代まで使っていたのだろうか。
(H20.11.23 Kiss Digtal N撮影)
大和郡山市井戸野の金丸講は大峰さんの八代講のひとつ。
金丸講の鉢巻格好で山に登れば羨ましがられるといい、先達などの役員が大峰さんに登る「山講」と、地区60軒の講の家が毎月(実際は講家の都合で飛んだりして年に8回ほどで1月はしない)営む「回り講」のふたつの講がある。
お勤めは夜間に講家で行われる。
今日は神社の祭礼などで流れていた回り講の日。
早朝に集まった子どもたちは、講家で管理されている法螺貝と「リン」と呼ばれる鉦を受け取る。
門口を飛び出した男児三人は口にあてて「プォ―、ブォ―」ト吹き鳴らす。
一人はリンを手に持って歩く。
その振動でリン、リンと鳴り響く。
リンは熊などの獣除けの道具。
山中を駆ける行者講を守る道具だ。
今夜は講のお勤めがあるのだとふれて回る貝吹きだ。
地区を半周すると講家に戻る。
お駄賃よと講家から受け取った子どもたちは飛び出していった。
早朝は講家の方角垣内。
昼過ぎは八幡神社を境にして逆の方角垣内を周回する。
その神社では早朝から氏子らが集まって祭礼が営まれていた。
おそらく新嘗祭だと思われるが尋ねる時間がなかった。
2回目は昼、3回目は夜間のお勤めが始まる前で地区全てを廻って貝を吹く。
後継者の育成を兼ねているというふれまい貝吹き。
小さいころから吹いているので上手いものだ。
体験させることで講の仲間として認める儀式の意味合いがあるのでしょう。
講の家に戻ったらご褒美として駄賃をもらう。
ジュース代といって120円は昼も同額で夜は営のふれまいなので500円にあがる。
(H20.11.23 Kiss Digtal N撮影)
金丸講の鉢巻格好で山に登れば羨ましがられるといい、先達などの役員が大峰さんに登る「山講」と、地区60軒の講の家が毎月(実際は講家の都合で飛んだりして年に8回ほどで1月はしない)営む「回り講」のふたつの講がある。
お勤めは夜間に講家で行われる。
今日は神社の祭礼などで流れていた回り講の日。
早朝に集まった子どもたちは、講家で管理されている法螺貝と「リン」と呼ばれる鉦を受け取る。
門口を飛び出した男児三人は口にあてて「プォ―、ブォ―」ト吹き鳴らす。
一人はリンを手に持って歩く。
その振動でリン、リンと鳴り響く。
リンは熊などの獣除けの道具。
山中を駆ける行者講を守る道具だ。
今夜は講のお勤めがあるのだとふれて回る貝吹きだ。
地区を半周すると講家に戻る。
お駄賃よと講家から受け取った子どもたちは飛び出していった。
早朝は講家の方角垣内。
昼過ぎは八幡神社を境にして逆の方角垣内を周回する。
その神社では早朝から氏子らが集まって祭礼が営まれていた。
おそらく新嘗祭だと思われるが尋ねる時間がなかった。
2回目は昼、3回目は夜間のお勤めが始まる前で地区全てを廻って貝を吹く。
後継者の育成を兼ねているというふれまい貝吹き。
小さいころから吹いているので上手いものだ。
体験させることで講の仲間として認める儀式の意味合いがあるのでしょう。
講の家に戻ったらご褒美として駄賃をもらう。
ジュース代といって120円は昼も同額で夜は営のふれまいなので500円にあがる。
(H20.11.23 Kiss Digtal N撮影)