マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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ファミリーバイク保険

2010年04月11日 07時40分16秒 | いどう
次男が2回目のバイクを手に入れた。

平成19年にはタクトに乗っていた。

いつしか心は車に変わっていって8月にワークスになった。

そしてタクトは廃車になった。

それからほぼ3年、ワークスも廃車になって再びバイクに転じた。

ころころ変わるもんだと感心する。

夜、大阪まで行ってスクラムに積み込んで帰ってきた。

バイクはスズキハイアップR。

彩色も稲妻のようで軽快な顔つきだ。

翌朝にはスクラム自動車保険に付加できる特約のファミリーバイク保険に加入した。

同居、別居問わず親族であれば加入できる。

借りてきたバイクであっても可能である。

バイク単独保険よりもファミリーバイク保険のほうが、格段に保険料が安くすむ。

日割り計算の結果は2600円ほど。

一年間でも5,600円ぐらいになるという。

対人対物補償はスクラム自動車保険とほぼ同額だそうだ。

電話一本で本日からスタートした。

タクト時代は自賠責保険だけだった。

そこへ事故を起こしてしまった。

自賠責の最高額はたかがしれている。

入院、通院や慰謝料の支払いに底をついて自腹を切ったことを思い出す。

そんなわけでその後に任意保険のファミリーバイク保険に加入していたのだ。

トラブルの際にも迅速に対応してくれる保険屋さん。

2回目の保険加入、事故は起こしてはほしくないがこれで一安心だ。

(H22. 3.15 EOS40D撮影)

池ノ内八幡神社祈年祭

2010年04月10日 08時47分28秒 | 大和郡山市へ
池ノ内町の八幡神社では毎年3月13日に春の豊作を祈願する祈年祭が行われている。

13日は春日大社で申祭りが行われている。

その日に合わせて祭行されてきたのではないかと宮司は仰るが定かではない。

集まってきた自治会役員や地区の人は拝殿に登って、修祓、祝詞奏上、玉串奉奠などの神事が行われた。



オンダの所作もなく奉る苗もみられないが五穀豊穣を祈る気持ちには変わりない。

今年はやけに参拝者が少ないとこぼされる役員さん。

神事のあとは拝殿で直会が行われた。

神饌のお下がりを配膳するのは宮守長と補佐をする副の宮守さん。

副を担うのは一年目。

二年目に長になるので二年間に亘り宮守を勤められる。

池ノ内の主栽培はイチジクだ。

稲作で生計をたてるのは難しいと話される。

参拝者のなかには還暦を迎えられた人もいる。

神事を終えて神社のお守りを授かった。

(H22. 3.13 EOS40D撮影)

予定稿が飛んだ

2010年04月09日 08時28分52秒 | 民俗の掲載・著作
新聞社から電話があった。

誠に申し訳ないが本社の特集が入ったので一週ずれるという。

大ニュースが発生すれば飛ぶということは聞いていたが特集とは。

この時期は二月堂のお水取り。

その特集が三日続くという。

ずれこむとなると予定稿がすべてにわたって一週間遅れ。

予定稿は当事者の方々に検証してもらっている。

そうなればえらいことになる。

十か所もお詫びに回らなければならない。

仕方なく予定稿を見てもらっていた代表者にお詫び申しあげた。

事情を説明し丁重にお詫びした。

その行事は雨で散々だったと話される。

予定稿が飛んでしまってさらなる追いうち。

今年はそういう年だったのだと仰る。

ほんまに辛いです。

(H22. 3. 9 記)

法連会所阿弥陀講三月慰霊祭

2010年04月08日 06時28分50秒 | 奈良市へ
毎月19日に法蓮町の常陸(ひたち)神社で例祭を勤めている「法蓮会所方」の阿弥陀講の皆さんは、本来の営みの場が法連会所である。

その「法蓮会所方」の人たちのうち65歳以上の男女で構成されているのが「阿弥陀講」。

老人会とも呼ばれている講中はおよそ40人。

堺県から奈良県に遷った明治時代に字法蓮ができ、そのときに組織されたのが「法蓮会所方」。

120年の歴史をもっている。

今日は一年に一度の慰霊祭の日。

本尊の阿弥陀さんをご開帳し、観音さまの掛け軸を掲げて法要が営まれる。

お勤めに来られたのは普光院(ふこういん)の住職さん。

崇徳寺(すううとくじ)と称名寺(しょうみょうじ)の三ヵ寺が交替で勤められており3年に一回の担当法要になる。

祭壇には大きな鏡餅が供えられた。

これは陶器の模造品。

壊れない鏡餅は綺麗にされている。

お寿司やお菓子などを供えて始まった法要。

およそ30分、会所にお経が流れる。

途中には焼香が行われる。



慰霊祭は先祖供養であって、物故者の名を詠みあげていく。

祖先の礼を慰む法要を終えると住職は帰っていった。

そのあとの会所は毎月営まれている阿弥陀講のお勤めになる。

最初に百万遍数珠繰りが行われる。

座敷いっぱいに円座のように広がった講衆の前には長い数珠が置かれた。

中央の席には導師が座る。

導師は決まった人でなく、ベテランであれば導師を勤めているのだという。

声がでなくなったら自ら導師は引退するそうだ。

鉦を叩いて香偈(こうけ)、三唱禮(さんしょうらい)、略懺悔(りゃくざんげ)を唱える。



そして、「なむあみだぶつー、なむあみだぶつ」と唱えながら数珠を繰っていく。

大きな白い房がきたら頭を下げるが、繰るスピードは速くて追いつかない人もみられる。

数を数える数取りは木箱に収められている四角い木。



一番から拾番まである。

回るたびに一つ一つ横に移動して数える数取り。

阿弥陀講の数珠繰りは10回繰って終わった。

途端に数珠を輪の中に放り投げた。

そして始まった阿弥陀講の御詠歌。

「信州は信濃の国、川中島善光寺如来さま ご本尊は三ぞの阿弥陀如来さまのご詠歌」と言って善光寺一番、二番、三番、八番、十五番、阿弥陀如来、法蓮観音菩薩一番、二番、法蓮会所方地蔵尊三番、開経偈、南無阿弥陀佛とお念仏を唱える。

そして総回向文、四弘誓願(しくせいがん)、三唱禮、送佛偈に「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と十返唱えて十念で終えた。

村の安全を祈った南無阿弥陀佛であった。

数取りは明治二十八年(1895)に寄進されたもの。

阿弥陀講の数珠繰りお勤めはお通夜のときにも行われるが、数取りはシキビの葉に替わる。

その葉は20枚で「なむあみだぶつ」と書いているという。

納棺の際にこの葉を納めていたが、最近の葬儀は集会所に代わったので数珠繰りもしなくなったという。

阿弥陀講の御詠歌を終えたら丁度昼時。

机を並べて席につく。



頼んでおいた助六寿司を豆腐すまし汁とともによばれる。

今回の阿弥陀講には男性一人、女性二人が入会された。

挨拶を済ませて缶ビールやお茶でお寿司をいただく食事会は地区の歓談の場でもある。

一段落すれば常陸神社の催しごとに移った。

次回の大祭は4月19日。

予め頼まれた人の数だけヨモギモチ券をたばっていく。

(H22. 3. 9 EOS40D撮影)

藺生町葛神社初午祭

2010年04月07日 07時19分18秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
奈良市藺生町の葛神社の祭礼には禰宜と呼ばれる村神主さん、3人の総代と3人の一年神主になる社守、さらに上、中、並松(なんまつ)の3垣内の組頭と区長によって営まれている。

今日の祭礼は初午祭と呼ばれるが、その一年神主の社守の交代式でもあり、引き渡しを兼ねて前年の社守も参列する。

昨年の11月、新社守はそれぞれの垣内で選ばれた人。

フリアゲやコヨリの籤で採択された。

都祁水分神社の宮司を迎えて始まった儀式は村神主とともに新社守へ神事の作法を教えることから始まる。

白衣を着た新社守は神妙な表情で作法を聞いている。

宮司が作法に間違いがないかどうか旧社守に尋ねて頷けば引き渡しが終了した合図なのであろう。

拝殿には3人の楽人がスタンバイしている。

そして一同は手水で手を清めて拝殿に登壇していった。

村の楽人が楽奏する笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、大太鼓の音色とともに参列した。神事は宮司一拝、修祓、開扉、献饌など楽人が奏でるなか厳かに進められる。

大きな御幣も奉られる献幣のあと、斎主は新社守が一年間を無事に勤めあげられるよう祝詞を奏上する。



そのあとは玉串奉奠。

村神主から渡された玉串を受け取って捧げる3人の新社守。

旧社守もあとに続く玉串奉奠は総代らも同じように三つの地区の3人が揃って拝礼される。

撤饌、撤幣、閉扉と一連の神事を終えた一同は胸をなで下ろすような表情で社務所に戻った。

今日から一年間、神社の祭礼を担っていく新社守。

旧社守は「これでようやく役目を終えた。

祭礼に慣れて覚えたころが終わりかと思うと、もう少しはしてみたい気持ちも残っていて妙なものだと」と仰る。

直会のおつまみは神饌のお下がりのカマボコと海苔にジャコだ。

お神酒とともによばれるが甘酒も振る舞われ当屋はそれを配る。

甘酒は初午祭と宵宮だけにさしだされる。

大鍋の蓋を開けると部屋中に甘い香りが漂った。

まったりとした味は今までに味わったことがない美味しさである。

(H22. 3. 7 EOS40D撮影)

小林町新福寺オコナイ

2010年04月06日 08時47分28秒 | 大和郡山市へ
正月初めに豊作を祈願する修正会は各地の大寺で営まれている。

修正会の名から判るようにそれは一月の行事である。

修二会は2月の行事でお水取りの名で呼ばれている東大寺二月堂の行事もこれにあたる。

修正会や修二会はオコナイの呼び名となって各地の村の行事として広まった。

大和郡山市小林町の新福寺では毎年3月3日にオコナイが行われている。

年に一度はお寺の行事、これを杵築神社の当屋座衆が世話役となって勤めている。

座衆は左座が3人、右座も3人でそれぞれ一老、二老、三老で構成されている。

座衆に加入できるのは15歳になった男子と決まっているが、集落は旧村で23軒。

当家の廻りが早くて今年は3回目になったと左座の二老のM氏が仰った。

右座の一老である76歳のS氏も2回目だと仰る。

終身制の座衆は元気でおられる限り勤められる。

普段は閉めきった本堂、当家の家族は登壇された座衆にお茶を配膳される。

オコナイに用意されたのはヤナギの木とフジの木。

お札は寺住職が墨書された。

右に牛頭天王、左は新福寺で中央に寶印と書かれ朱印の宝印が押されている。



朱印は不動明王の姿。

魔除けのお札だ。

オコナイは子どもが主役で行われている行事なので学校が終わってから始められる。

昔は学校に行く前に白米ごはんをよばれて行った。

村の行事だからと半ドンで帰ってきた。

戻ってきた子どもが半鐘を叩いて鳴らしていた。

呼び出しの合図だった。

昭和15、16年ころだったろうか、戦争でなにもかもモノが不足してこれらを取りやめた。

その半鐘は今でもお寺に残されている。

新福寺は真言宗だが集まった集落の人は融通念仏衆。

宗派とは関係なく営まれることも驚きだが、神社の座衆が世話されるのも懐が広い。

神仏混合の行事はやってきた子どもたちが内陣の縁を囲むように座って始まった。

始めにフジの木が手前に並べられる。

住職の読経とともに隙間から差し込む光は暗い本堂を一条の明かり。

厳かな営みの情景を醸し出す。

長いお経の途中で住職は子どもたちに「ここで叩くのだよ」と優しく声を掛けられたらフジの木を激しく叩く。



叩くことで悪病などを追い払う。

数回繰り返されていく縁叩き。

お経はさらに神名帳へと移る。

頃合いを見計らって「ランジョウ」と発せられたらここでも力一杯激しく叩く。

かっては男子だけだったが少子化によって女子も参加できるようにした。

一般的なランジョウは二、三回であるが、子どもたちのためにと十数回も繰り返される。

悪魔が追い払われて終わったオコナイは村の五穀豊穣を祈る行事。



今度は本尊の観音さまの牛玉宝印を参列者の頭に押していく。

「オンソワカ」、手を合わせて身体堅固などありがたく受ける。

祈祷を済ませたらお札は二つに割いたヤナギの木に差し込む。

それは長い枝なので三つほどに折って短くする。

フジの木は樹皮を剥いでいく。



柔らかいから子どもでも剥ぎやすい。

樹皮は紐となった。

それを折ったヤナギを束ねる紐だ。



お札は5月のGW中に出来上がった苗代にお花を飾って挿す。

今年も豊作になりますようにと祈る。

いわゆる水口祭である。

少なくなったが15軒の農家で挿しているという。

オコナイが行われたのは真言宗の新福寺だが参拝に来られた小林町は融通念仏衆だ。

11月4日は如来さんご回在の日。

朝は6時に大阪平野から一行がやってくる。

一回りしたあとは西や東の椎木町から今国府へ向かう。

一統から三統まではご本尊の掛け図だ。

四統から五統は立廻向である。

特一統は聞かないという。

(H22. 3. 3 EOS40D撮影)

すき家の牛丼

2010年04月05日 07時17分44秒 | 食事が主な周辺をお散歩
久しぶりに昼食をお店で食べた。

取材活動日のほとんどはコンビニでおにぎりやラーメンを食している。

たまにはお店に入りたい。

で、選んだのはすき家の並牛丼。

お昼どきタイムは満席状態だけど、うん秒ぐらいでテーブルに出された。

味はどっちかといえば吉野屋より薄目でしょうか。

吉野屋の濃い目は肉汁油が多いからでしょうか。

すき家はあっさり系。

つゆだくがあるのかどうか知らないけれど、ガッツリよばれた。

(H22. 3. 3 SB912SH撮影)

天理藤井の正月行事

2010年04月04日 07時19分16秒 | 天理市へ
天理市藤井のカンジョウナワは12月と1月の8日に掛けられる。

トーヤヤドの家で作られた房飾りは、12月はシキミで1月は杉の葉になる。

それは川を跨ぐように掛けられている。

悪病が下流から村に入り込まないようにと掛けられるいわゆる川切りである。

藤井の正月行事は12月のカンジョウナワ掛けから始まっていく。

1月5日は東福寺のオコナイ。

11日は三十八(さんじゅうはち)神社のオコナイ。

それぞれ牛玉宝印があるが、お寺と神社の二種類である。

オコナイは「ランジョウ」の作法があるという。

藤井の正月行事のメインは鬼打ちである。

(H22. 3. 3 EOS40D撮影)

画像通信

2010年04月03日 07時28分43秒 | つうしん
次男の携帯が壊れた。

ポイントが少ないので機種切り替えはしない。

とはいっても必要な携帯電話。

かーさんは買ってから2年経過したのでそれを買い替えて次男にあげる。

こんなことができるのもUSIMのおかげだ。

便利な世の中になったもんだ。

そういことで買い替えに付き添った。

その際、今ならフォトビジョンが無料だってさ。

こりゃいいねー。

前から欲しかったフォトビジョンが手に入る。

これどんな器械なのっていうかーさん。

映像を見せてもらったら気にいってもらえた。

フツーのフォトビジョンではSDカードのデータだけだがこいつは携帯電話からの画像を受けることができる。

昨年にモンゴルへ行った次男。

これなら旅先から画像を家に送ることができる。

心配性のかーさんもこれなら安心できるというわけで貰って帰った。

このことを次男に話すと、「なんで買ったん。通信料はかかるし、基本使用料もかかるやん」と返ってきた。

数日後、フォトビジョンからモンゴルの映像が流れていることに気が付いた。

なんのこっちゃない、使ってるやん。

モンゴルだけじゃ寂しいので桜の花を納めたSDカードを差し込んだ。

次から次へと現れる奈良の桜は私が撮りためたもの。

いいねー、と自画自賛。

携帯電話で送った画像にモンゴルや桜の花景色。

我が家にとってこいつは優れものですな。

(H22. 3. 2 SB912SH撮影)

タイトルは町家のおひなさま

2010年04月02日 08時45分44秒 | 民俗の掲載・著作
つながりの記事を読んでいたかーさんが言った。

私らが歌っていたのは「お内裏さーまに、おひなさま」やで、記事には「おひめさま」になってるよと言った。

とんでもない間違いをしてしまった。

おひなさまの唄は確かに「おひなさま」や。

取材していた私は「おひめさま」に聞こえたような気がする。

もっとも宮中や貴族の雛遊び(ひいなあそび)が発展したもので「雛」は小さく可愛いことを意味する。

内裏は宮廷の皇室ご夫妻。

お内裏さまは天皇であられ横に皇后がおられる形態を模したのが雛人形。

唄に出てくる「おひなさま」は雛人形そのものであって、お内裏さまに対して皇后は「お姫さま」である。

だから「おひめさま」でいいのだとかーさんに返事した。

(H22. 3. 1 SB912SH撮影)