毎月19日に法蓮町の常陸(ひたち)神社で例祭を勤めている「法蓮会所方」の阿弥陀講の皆さんは、本来の営みの場が法連会所である。
その「法蓮会所方」の人たちのうち65歳以上の男女で構成されているのが「阿弥陀講」。
老人会とも呼ばれている講中はおよそ40人。
堺県から奈良県に遷った明治時代に字法蓮ができ、そのときに組織されたのが「法蓮会所方」。
120年の歴史をもっている。
今日は一年に一度の慰霊祭の日。
本尊の阿弥陀さんをご開帳し、観音さまの掛け軸を掲げて法要が営まれる。
お勤めに来られたのは普光院(ふこういん)の住職さん。
崇徳寺(すううとくじ)と称名寺(しょうみょうじ)の三ヵ寺が交替で勤められており3年に一回の担当法要になる。
祭壇には大きな鏡餅が供えられた。
これは陶器の模造品。
壊れない鏡餅は綺麗にされている。
お寿司やお菓子などを供えて始まった法要。
およそ30分、会所にお経が流れる。
途中には焼香が行われる。
慰霊祭は先祖供養であって、物故者の名を詠みあげていく。
祖先の礼を慰む法要を終えると住職は帰っていった。
そのあとの会所は毎月営まれている阿弥陀講のお勤めになる。
最初に百万遍数珠繰りが行われる。
座敷いっぱいに円座のように広がった講衆の前には長い数珠が置かれた。
中央の席には導師が座る。
導師は決まった人でなく、ベテランであれば導師を勤めているのだという。
声がでなくなったら自ら導師は引退するそうだ。
鉦を叩いて香偈(こうけ)、三唱禮(さんしょうらい)、略懺悔(りゃくざんげ)を唱える。
そして、「なむあみだぶつー、なむあみだぶつ」と唱えながら数珠を繰っていく。
大きな白い房がきたら頭を下げるが、繰るスピードは速くて追いつかない人もみられる。
数を数える数取りは木箱に収められている四角い木。
一番から拾番まである。
回るたびに一つ一つ横に移動して数える数取り。
阿弥陀講の数珠繰りは10回繰って終わった。
途端に数珠を輪の中に放り投げた。
そして始まった阿弥陀講の御詠歌。
「信州は信濃の国、川中島善光寺如来さま ご本尊は三ぞの阿弥陀如来さまのご詠歌」と言って善光寺一番、二番、三番、八番、十五番、阿弥陀如来、法蓮観音菩薩一番、二番、法蓮会所方地蔵尊三番、開経偈、南無阿弥陀佛とお念仏を唱える。
そして総回向文、四弘誓願(しくせいがん)、三唱禮、送佛偈に「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と十返唱えて十念で終えた。
村の安全を祈った南無阿弥陀佛であった。
数取りは明治二十八年(1895)に寄進されたもの。
阿弥陀講の数珠繰りお勤めはお通夜のときにも行われるが、数取りはシキビの葉に替わる。
その葉は20枚で「なむあみだぶつ」と書いているという。
納棺の際にこの葉を納めていたが、最近の葬儀は集会所に代わったので数珠繰りもしなくなったという。
阿弥陀講の御詠歌を終えたら丁度昼時。
机を並べて席につく。
頼んでおいた助六寿司を豆腐すまし汁とともによばれる。
今回の阿弥陀講には男性一人、女性二人が入会された。
挨拶を済ませて缶ビールやお茶でお寿司をいただく食事会は地区の歓談の場でもある。
一段落すれば常陸神社の催しごとに移った。
次回の大祭は4月19日。
予め頼まれた人の数だけヨモギモチ券をたばっていく。
(H22. 3. 9 EOS40D撮影)
その「法蓮会所方」の人たちのうち65歳以上の男女で構成されているのが「阿弥陀講」。
老人会とも呼ばれている講中はおよそ40人。
堺県から奈良県に遷った明治時代に字法蓮ができ、そのときに組織されたのが「法蓮会所方」。
120年の歴史をもっている。
今日は一年に一度の慰霊祭の日。
本尊の阿弥陀さんをご開帳し、観音さまの掛け軸を掲げて法要が営まれる。
お勤めに来られたのは普光院(ふこういん)の住職さん。
崇徳寺(すううとくじ)と称名寺(しょうみょうじ)の三ヵ寺が交替で勤められており3年に一回の担当法要になる。
祭壇には大きな鏡餅が供えられた。
これは陶器の模造品。
壊れない鏡餅は綺麗にされている。
お寿司やお菓子などを供えて始まった法要。
およそ30分、会所にお経が流れる。
途中には焼香が行われる。
慰霊祭は先祖供養であって、物故者の名を詠みあげていく。
祖先の礼を慰む法要を終えると住職は帰っていった。
そのあとの会所は毎月営まれている阿弥陀講のお勤めになる。
最初に百万遍数珠繰りが行われる。
座敷いっぱいに円座のように広がった講衆の前には長い数珠が置かれた。
中央の席には導師が座る。
導師は決まった人でなく、ベテランであれば導師を勤めているのだという。
声がでなくなったら自ら導師は引退するそうだ。
鉦を叩いて香偈(こうけ)、三唱禮(さんしょうらい)、略懺悔(りゃくざんげ)を唱える。
そして、「なむあみだぶつー、なむあみだぶつ」と唱えながら数珠を繰っていく。
大きな白い房がきたら頭を下げるが、繰るスピードは速くて追いつかない人もみられる。
数を数える数取りは木箱に収められている四角い木。
一番から拾番まである。
回るたびに一つ一つ横に移動して数える数取り。
阿弥陀講の数珠繰りは10回繰って終わった。
途端に数珠を輪の中に放り投げた。
そして始まった阿弥陀講の御詠歌。
「信州は信濃の国、川中島善光寺如来さま ご本尊は三ぞの阿弥陀如来さまのご詠歌」と言って善光寺一番、二番、三番、八番、十五番、阿弥陀如来、法蓮観音菩薩一番、二番、法蓮会所方地蔵尊三番、開経偈、南無阿弥陀佛とお念仏を唱える。
そして総回向文、四弘誓願(しくせいがん)、三唱禮、送佛偈に「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と十返唱えて十念で終えた。
村の安全を祈った南無阿弥陀佛であった。
数取りは明治二十八年(1895)に寄進されたもの。
阿弥陀講の数珠繰りお勤めはお通夜のときにも行われるが、数取りはシキビの葉に替わる。
その葉は20枚で「なむあみだぶつ」と書いているという。
納棺の際にこの葉を納めていたが、最近の葬儀は集会所に代わったので数珠繰りもしなくなったという。
阿弥陀講の御詠歌を終えたら丁度昼時。
机を並べて席につく。
頼んでおいた助六寿司を豆腐すまし汁とともによばれる。
今回の阿弥陀講には男性一人、女性二人が入会された。
挨拶を済ませて缶ビールやお茶でお寿司をいただく食事会は地区の歓談の場でもある。
一段落すれば常陸神社の催しごとに移った。
次回の大祭は4月19日。
予め頼まれた人の数だけヨモギモチ券をたばっていく。
(H22. 3. 9 EOS40D撮影)