昨年の11月9日だった。突然の紀行文依頼が舞い込んだ。
奈良県のHPや関連書籍に対して「歩く奈良の魅力」を執筆してほしいということだ。
実際に歩いた感想、道をテーマにして、奈良を巡る観光客に向け体験紀行文を発信する企画だという。
その前週あたり、依頼者は大和郡山市内を訪れ施設に立ち寄られた。
そのときに話した下ツ道などの内容に興味をもたれ依頼したという。
発刊した「奈良大和路の年中行事」も拝読され、この人なら奈良の魅力を語れるであろうと思っての執筆依頼。
テーマは「古代の幹道・下ツ道を歩く」。
原稿主旨は幹道の概要、敷設の意味に関連路の太子道、上ツ道、横大路などにもふれて、奈良を訪れたことのない観光客に向けて、歩く魅力を発信するというわけだ。
民俗行事を知っているので、独自の視点で奈良の楽しみ方を是非ともということだが、私のような浅学しか持ち合わせのない者でいいのだろうか。
行事のことはある程度語ることができるが、歴史文化となると専門的知識の持ち合わせがないので自信がない。
とは言っても歩く道や景観などは体験しているので私なりの魅力は語れる、と思う。
数ヶ月前、ノガミ行事と地域分布について整理したことがある。
藤原京から平城京の間にある河川とノガミ行事地域の地理的関係。
都ができる前からあったとされる条理に人工的に作られたと思われる直線的な川の存在は前から気になっていた。
川とノガミの関係を書き出すと調べなくちゃならんことが多々でてくる。
歴史的背景を含め、それらは専門領域の先生方にお任せするとして執筆を受諾した。
伏線、エピローグなど構成はどうするか。
1300年の歴史を現代の風景にあわしてどう語るか。
古代の幹道が発掘されたのは1970年代。
その後の学術調査は進んでいないので書き辛い。
当て推量で執筆するわけにはいかない。
依頼者と「思い」をメールでやりとりしているうちに構成が定まった。
そうなればペンならず、キーボードタッチの速力が増した。
考証ごとはけっこう時間がかかったことを思い出す。
それがようやく発刊になった。
山と渓谷社から出版された「奈良さわやかさんぽ」だ。
ページをめくったらどこにも名前がない。
不採用だったんだ。こ
ういうことはあると想定していたので特段落ち込まない。
その夜、依頼者からメールが届いた。
県のHPに掲載される予定で最終稿の確認だった。
誌面は特に問題はないが、肩書きが作家になっていた。
それを見たかーさんが椅子から落ちそうになった。
たしかに写真の提供を求められたわけでなく紀行文だけの依頼だった。
間違えられても不思議ではないが「作家」は堪忍してほしい。
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/
(H22. 3.18 記す)
奈良県のHPや関連書籍に対して「歩く奈良の魅力」を執筆してほしいということだ。
実際に歩いた感想、道をテーマにして、奈良を巡る観光客に向け体験紀行文を発信する企画だという。
その前週あたり、依頼者は大和郡山市内を訪れ施設に立ち寄られた。
そのときに話した下ツ道などの内容に興味をもたれ依頼したという。
発刊した「奈良大和路の年中行事」も拝読され、この人なら奈良の魅力を語れるであろうと思っての執筆依頼。
テーマは「古代の幹道・下ツ道を歩く」。
原稿主旨は幹道の概要、敷設の意味に関連路の太子道、上ツ道、横大路などにもふれて、奈良を訪れたことのない観光客に向けて、歩く魅力を発信するというわけだ。
民俗行事を知っているので、独自の視点で奈良の楽しみ方を是非ともということだが、私のような浅学しか持ち合わせのない者でいいのだろうか。
行事のことはある程度語ることができるが、歴史文化となると専門的知識の持ち合わせがないので自信がない。
とは言っても歩く道や景観などは体験しているので私なりの魅力は語れる、と思う。
数ヶ月前、ノガミ行事と地域分布について整理したことがある。
藤原京から平城京の間にある河川とノガミ行事地域の地理的関係。
都ができる前からあったとされる条理に人工的に作られたと思われる直線的な川の存在は前から気になっていた。
川とノガミの関係を書き出すと調べなくちゃならんことが多々でてくる。
歴史的背景を含め、それらは専門領域の先生方にお任せするとして執筆を受諾した。
伏線、エピローグなど構成はどうするか。
1300年の歴史を現代の風景にあわしてどう語るか。
古代の幹道が発掘されたのは1970年代。
その後の学術調査は進んでいないので書き辛い。
当て推量で執筆するわけにはいかない。
依頼者と「思い」をメールでやりとりしているうちに構成が定まった。
そうなればペンならず、キーボードタッチの速力が増した。
考証ごとはけっこう時間がかかったことを思い出す。
それがようやく発刊になった。
山と渓谷社から出版された「奈良さわやかさんぽ」だ。
ページをめくったらどこにも名前がない。
不採用だったんだ。こ
ういうことはあると想定していたので特段落ち込まない。
その夜、依頼者からメールが届いた。
県のHPに掲載される予定で最終稿の確認だった。
誌面は特に問題はないが、肩書きが作家になっていた。
それを見たかーさんが椅子から落ちそうになった。
たしかに写真の提供を求められたわけでなく紀行文だけの依頼だった。
間違えられても不思議ではないが「作家」は堪忍してほしい。
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/
(H22. 3.18 記す)