正月初めに豊作を祈願する修正会は各地の大寺で営まれている。
修正会の名から判るようにそれは一月の行事である。
修二会は2月の行事でお水取りの名で呼ばれている東大寺二月堂の行事もこれにあたる。
修正会や修二会はオコナイの呼び名となって各地の村の行事として広まった。
大和郡山市小林町の新福寺では毎年3月3日にオコナイが行われている。
年に一度はお寺の行事、これを杵築神社の当屋座衆が世話役となって勤めている。
座衆は左座が3人、右座も3人でそれぞれ一老、二老、三老で構成されている。
座衆に加入できるのは15歳になった男子と決まっているが、集落は旧村で23軒。
当家の廻りが早くて今年は3回目になったと左座の二老のM氏が仰った。
右座の一老である76歳のS氏も2回目だと仰る。
終身制の座衆は元気でおられる限り勤められる。
普段は閉めきった本堂、当家の家族は登壇された座衆にお茶を配膳される。
オコナイに用意されたのはヤナギの木とフジの木。
お札は寺住職が墨書された。
右に牛頭天王、左は新福寺で中央に寶印と書かれ朱印の宝印が押されている。
朱印は不動明王の姿。
魔除けのお札だ。
オコナイは子どもが主役で行われている行事なので学校が終わってから始められる。
昔は学校に行く前に白米ごはんをよばれて行った。
村の行事だからと半ドンで帰ってきた。
戻ってきた子どもが半鐘を叩いて鳴らしていた。
呼び出しの合図だった。
昭和15、16年ころだったろうか、戦争でなにもかもモノが不足してこれらを取りやめた。
その半鐘は今でもお寺に残されている。
新福寺は真言宗だが集まった集落の人は融通念仏衆。
宗派とは関係なく営まれることも驚きだが、神社の座衆が世話されるのも懐が広い。
神仏混合の行事はやってきた子どもたちが内陣の縁を囲むように座って始まった。
始めにフジの木が手前に並べられる。
住職の読経とともに隙間から差し込む光は暗い本堂を一条の明かり。
厳かな営みの情景を醸し出す。
長いお経の途中で住職は子どもたちに「ここで叩くのだよ」と優しく声を掛けられたらフジの木を激しく叩く。
叩くことで悪病などを追い払う。
数回繰り返されていく縁叩き。
お経はさらに神名帳へと移る。
頃合いを見計らって「ランジョウ」と発せられたらここでも力一杯激しく叩く。
かっては男子だけだったが少子化によって女子も参加できるようにした。
一般的なランジョウは二、三回であるが、子どもたちのためにと十数回も繰り返される。
悪魔が追い払われて終わったオコナイは村の五穀豊穣を祈る行事。
今度は本尊の観音さまの牛玉宝印を参列者の頭に押していく。
「オンソワカ」、手を合わせて身体堅固などありがたく受ける。
祈祷を済ませたらお札は二つに割いたヤナギの木に差し込む。
それは長い枝なので三つほどに折って短くする。
フジの木は樹皮を剥いでいく。
柔らかいから子どもでも剥ぎやすい。
樹皮は紐となった。
それを折ったヤナギを束ねる紐だ。
お札は5月のGW中に出来上がった苗代にお花を飾って挿す。
今年も豊作になりますようにと祈る。
いわゆる水口祭である。
少なくなったが15軒の農家で挿しているという。
オコナイが行われたのは真言宗の新福寺だが参拝に来られた小林町は融通念仏衆だ。
11月4日は如来さんご回在の日。
朝は6時に大阪平野から一行がやってくる。
一回りしたあとは西や東の椎木町から今国府へ向かう。
一統から三統まではご本尊の掛け図だ。
四統から五統は立廻向である。
特一統は聞かないという。
(H22. 3. 3 EOS40D撮影)
修正会の名から判るようにそれは一月の行事である。
修二会は2月の行事でお水取りの名で呼ばれている東大寺二月堂の行事もこれにあたる。
修正会や修二会はオコナイの呼び名となって各地の村の行事として広まった。
大和郡山市小林町の新福寺では毎年3月3日にオコナイが行われている。
年に一度はお寺の行事、これを杵築神社の当屋座衆が世話役となって勤めている。
座衆は左座が3人、右座も3人でそれぞれ一老、二老、三老で構成されている。
座衆に加入できるのは15歳になった男子と決まっているが、集落は旧村で23軒。
当家の廻りが早くて今年は3回目になったと左座の二老のM氏が仰った。
右座の一老である76歳のS氏も2回目だと仰る。
終身制の座衆は元気でおられる限り勤められる。
普段は閉めきった本堂、当家の家族は登壇された座衆にお茶を配膳される。
オコナイに用意されたのはヤナギの木とフジの木。
お札は寺住職が墨書された。
右に牛頭天王、左は新福寺で中央に寶印と書かれ朱印の宝印が押されている。
朱印は不動明王の姿。
魔除けのお札だ。
オコナイは子どもが主役で行われている行事なので学校が終わってから始められる。
昔は学校に行く前に白米ごはんをよばれて行った。
村の行事だからと半ドンで帰ってきた。
戻ってきた子どもが半鐘を叩いて鳴らしていた。
呼び出しの合図だった。
昭和15、16年ころだったろうか、戦争でなにもかもモノが不足してこれらを取りやめた。
その半鐘は今でもお寺に残されている。
新福寺は真言宗だが集まった集落の人は融通念仏衆。
宗派とは関係なく営まれることも驚きだが、神社の座衆が世話されるのも懐が広い。
神仏混合の行事はやってきた子どもたちが内陣の縁を囲むように座って始まった。
始めにフジの木が手前に並べられる。
住職の読経とともに隙間から差し込む光は暗い本堂を一条の明かり。
厳かな営みの情景を醸し出す。
長いお経の途中で住職は子どもたちに「ここで叩くのだよ」と優しく声を掛けられたらフジの木を激しく叩く。
叩くことで悪病などを追い払う。
数回繰り返されていく縁叩き。
お経はさらに神名帳へと移る。
頃合いを見計らって「ランジョウ」と発せられたらここでも力一杯激しく叩く。
かっては男子だけだったが少子化によって女子も参加できるようにした。
一般的なランジョウは二、三回であるが、子どもたちのためにと十数回も繰り返される。
悪魔が追い払われて終わったオコナイは村の五穀豊穣を祈る行事。
今度は本尊の観音さまの牛玉宝印を参列者の頭に押していく。
「オンソワカ」、手を合わせて身体堅固などありがたく受ける。
祈祷を済ませたらお札は二つに割いたヤナギの木に差し込む。
それは長い枝なので三つほどに折って短くする。
フジの木は樹皮を剥いでいく。
柔らかいから子どもでも剥ぎやすい。
樹皮は紐となった。
それを折ったヤナギを束ねる紐だ。
お札は5月のGW中に出来上がった苗代にお花を飾って挿す。
今年も豊作になりますようにと祈る。
いわゆる水口祭である。
少なくなったが15軒の農家で挿しているという。
オコナイが行われたのは真言宗の新福寺だが参拝に来られた小林町は融通念仏衆だ。
11月4日は如来さんご回在の日。
朝は6時に大阪平野から一行がやってくる。
一回りしたあとは西や東の椎木町から今国府へ向かう。
一統から三統まではご本尊の掛け図だ。
四統から五統は立廻向である。
特一統は聞かないという。
(H22. 3. 3 EOS40D撮影)