マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

信貴南畑素盞嗚尊神社を探して

2013年10月21日 07時43分48秒 | 楽しみにしておこうっと
ハゲッショの日には御湯神事が行われると知って地域を探す。

始めて訪問する地はどこであるのか、事前に下見をしておかなければならない。

平群町西宮からはそれほど遠くない信貴南畑は信貴山麓下にある。

集落を東西に抜ける街道は旧道。

その上にある道は信貴生駒スカイライン。

近畿日本鉄道所有の有料道路である。

大阪高安山~信貴山門駅間は戦前にあった信貴山急行電鉄の廃線跡地を道路に転用した。

昭和33年に阪奈道路登山口-生駒山山上駐車場が開通し、その後の昭和39年に同駐車場から信貴山駐車場が開通した。

街道を歩いて探す素盞嗚尊神社。

それらしき表示が見当たらないが、「南畑歌舞伎一座」の説明板書が目に入った。

平成11年3月に三郷町教育委員会が立てた板書である。

その板書によれば、「明治20年の頃の信貴南畑には「日出座」と呼ばれる歌舞伎一座があった。地元の人たちは南畑歌舞伎と呼んで親しまれていた一座の座長は慶應生まれの鶴沢三枝。地元青年に歌舞伎を教えて一座を結成した。法隆寺、田原本に生駒山を越えた大阪においても公演していた」とある。

「道頓堀では「日出座」の幟がなびいた」そうだ。

その場には鶴沢三枝が63歳になった祝いに門弟たちが明治34年10月に建之した碑がある。

戦後の昭和23年には南畑青年団が芝居を復活して「修善寺物語」をしたと伝わる。

村歌舞伎があった信貴南畑の民俗を知るのである。

その前の民家にあった石造仏は弘法大師であろう。

垣根辺りに安置された弘法大師は家屋敷の外にある。



昨年3月に訪れた生駒市高山町大北地区のお大師さんを思い起こすソトマツリのお大師さんである。

その辺りから西に向かえば表示があった禅入寺。

もしかとすればその近くにあると思われた盞嗚尊神社を目指して急な道を登っていく。小字でいえば竹ノ坂である。

禅入寺からさらに奥へ登ればあったのだが、付近には村人の姿は見られない。

(H25. 7. 1 SB932SH撮影)

西宮平群神社を訪ねて

2013年10月20日 08時54分23秒 | 楽しみにしておこうっと
天理市櫟本の膳史(かし)に住むN婦人の出里は平群町西宮。

ハゲッショの田植え休みがあったと聞いて出かけた。

高台に鎮座する平群神社の祭神は大山祇神である。

総本社は愛媛県今治市の大三島に鎮座する。

武内宿禰が神功皇后とともに朝鮮出兵前に戦勝祈願として大山祇神をこの地に祀ったと伝わる西宮の平群神社である。

一年に一度は同級生である龍田大社の権宮司とともに参拝するという氏子のNさんら男性が集まってお寺に登る階段を整備されていた。

大字城山にあるお寺は城峰山来迎寺。

文明九年(1477)、西宮城の畠山義就が急襲以来、再三の戦火に襲われた。

近郷の念仏講、有志が戦死者を祀るに坊を創建した念仏道場は元禄三年、伝わる和尚代大通労尊が中興の祖となり享保十七年・寛政元年にかけて再建した。



境内は奇麗に整備されて、樹木は美しく佇まいをみせる。

Nさんらは神社役員を勤めるとともに寺檀家役員でもある。

神社の秋祭りは4レーンもあるソーメン流しをしている。

子供会が中心となった行事である。

旧村になる西宮も越してきた新町が増えて45軒から150軒にもなったと云う。

かつて西宮には宮座があった。

正月座、マツリ座と呼ばれる座中であった。

行事の進行は長帳に記載されている通りに沿ってトーヤがまかないをする。

旧村の西宮は農業を営む家が多かった。

時代を経て農家が徐々に減少した西宮。原則的に宮座入りを認めなかった。

宮さんの田んぼもあったが、農業員が少なくなって維持管理ができなくなった。

高齢化とともに寄付の負担も大きくなり、宮座を解散した。

14、5年も前のことである。

神社の祭りは実行委員会が宮さんの田んぼを運営することになった。

いつしか水利組合に移った。

その頃に、寺は檀家に、宮さんは崇敬者に替えて村の行事とした。

その際に建て直したのが社務所である。

秋祭りは10月15日に近い日曜日に行っている。

朝は8時に集まってソーメン流しを設える。

大勢で賑やかな祭りは丸一日関わる。

前日の宵宮は前述した龍田大社から上田宮司が来られる。

そのときに行われるのが献燈祭。

燈す祭りと思えばそうではなかったケントウ祭は献湯祭だ。

鳥居下で行われる献湯祭は釜に湯を沸かして神事する御湯である。

巫女さんがされるというからおそらく三郷の巫女さんであろう。

ちなみにハゲッショと植え付け休みは兼ねているそうだ。

何故に西宮と呼ばれるのか聞いてみた。

法隆寺の南の端に藪の傍に神社があった。

聖徳太子と関係があったとされる寺である。

線路を空けて寺があった地は法隆寺からは西の地。

そういうことだから西宮になったと云う。

(H25. 7. 1 SB932SH撮影)

トライアルのおろしチキン竜田弁当

2013年10月19日 08時37分24秒 | あれこれテイクアウト
ニコマルで250円。

どれもこれもほとんどが250円で販売されている作り立ての弁当はトライアルスーパー

先日は今まで度々行っていた宝来店に出かけた。

小泉店と違いがあるはずだと思って出かけたのである。

小泉店では売っていない冷凍チジミ。

一枚が100円だ。

チジミのタレは付いていないから、イオンで買った。

タコやニラの触感がたまらないのだ。

魚屋さんで売っているのもどことなく違う。

ときおり特別販売されている干物類。

味噌漬けタレの魚もある。

一枚が100円の食の楽しみは小泉店では売っていない。

鶏肉のタレ漬けも小泉店では見られない。

何故に違いがあるのか判らないが、弁当類はほぼ同じだ。

揚げもの売り場にどっさりある小泉店。

宝来店もあるが凌駕するほどの量である。

香ってきたカラアゲ。この日は安売りだ。

パックで200円を超える値段で売っている。

グラムでいくらするのだろうか。

そのカラアゲがメインの弁当がある。

ニコマル弁当の250円。

漬けもの、ポテサラ、懐かしいソーセージ、に玉子焼きが付いて魅力値段の250円に手がいくのは言うまでもない。

よくよく見ればカラアゲ弁当に混じっておろしチキン竜田弁当もあった。

今日はこれにしよう。

カラカラ梅干しがど真ん中に盛ったご飯が美味しいのだ。

漬けものだけで箸は進む。

おろしダイコンをぶっかけた鶏肉のカラアゲ。

スパイシーな味に醤油味と思えるおろしダイコンがマッチする。

揚げたてのカラアゲは実にジューシー。

6個も入っている。

美味しくてご飯が足らない。

トライアルでお買いものをすればポイントがつく。

ポイントカードを失念することが度々ある。

この日は弁当買いだけだった。

こういう場合はレシートに店員さんの押印が必要だ。

それでなければポイントカードには付与されない。

だいたい買った日から一週間後までにポイントカードをサービスカウンターに渡せば対応してくださる。

そのポイントカードは小泉店であろうが宝来店であっても買い物ポイントが付加される。

ところがだ。カードを失念したときのレシート付加は買った店でないとできないという。

いたく残念なことであるが、そのサービスも9月末をもって終了した。

(H25. 7. 1 SB932SH撮影)

村屋坐弥冨都比売神社の夏越し大祓い

2013年10月18日 07時38分49秒 | 田原本町へ
「諸人 牛馬 道中 安全 祈攸」の刻印がある立石の道標。

「幣」を象った文様も刻んでいた立石には左右に「道祖神」、「保食神(であろうか)」の文字もあった。

その地は田原本町の蔵堂。

村屋坐弥冨都比売神社の鳥居を潜った半ばのすぐ傍にある。

他にも刻印があったが判読はできない。

時代年だけでも判ればいいのだがまったく読めない。

その字のごとく、村人たちが農耕で使っていた時代の牛に馬。

実際に馬が農耕していたかどうかは判らない。

人が乗る馬であったかも知れない諸人が行ききする街道は主に南北であったろう。

隣村の伊与戸と大西を繋ぐ旧道である。

伊与戸の集落を抜ける道はかつての伊勢街道。

南へ行く道は飛鳥から吉野へ、である。

諸人の道中に安全を祈る幣は祓い清めの意味があったのではと思った。

この日は小字村屋に坐ます村屋坐弥冨都比売神社の夏越し大祓い。

半年間に身についた穢れを払うとともに翌月から年末までを健康で過ごせるように願う祭式である。

本殿前の前庭に設えた結界は忌竹を四方に立てた場である。

中央に直径1.8mぐらいの茅の輪がある。

50数本の茅を束ねた茅の輪である。



宮司を先頭に禰宜、氏子総代に続いて村人たちが潜り抜ける。

高さはそれほどでもないから背をかがめて通る茅の輪。



神事の場の結界に入った。

参拝者はいつになく多いと云う。

同神社の夏越しの大祓いに伺ったのは、実に10年ぶりだ。

当時は氏子総代の他、参拝者は数人であった。

穢れを払いたいと願う人が大幅に増えていることに驚くのである。

始めに宮司は本殿で修伐を執り行う。

前庭に下りて行われる神事は、神さんの祭りではなく村人、参拝者の祭りであると話す宮司。



それゆえ祝詞は本社殿に向かってではなく、参拝者に向かって捧げたのである。

手渡された白紙で作った「ヒトガタ(人形)」に息を三度吹きかける参拝者。



半年間の罪穢れをヒトガタに移して大祓いの祝詞を奏上される。

次に1.5cm角に切った紙で代用するキリヌサ(切麻)、幣を巻きつけた茅は参拝者自身が作法して祓い清める。

二つとも左肩、右肩、左肩へ当てる作法である。

これもまた祓い清めの作法である。

終われば祓ったキリヌサは茅とも三方に戻す。



こうして大祓いを終えれば、結界の綱を切る。

切る方角は南南東。恵方の方角である。



潜った茅の輪を取り外せば子どもたちを呼んだ。

大祓いの始末は子どもたちの行いだ。



神社の東側を流れる初瀬川(大和川)まで運ぶ子どもたちは茅の輪、忌竹を抱えていく。

人形、切麻、茅は禰宜が持つ。

橋の中央辺りに並んだ。

欄干から落とす茅の輪。



すぐさま祓った茅や人形、切麻も川に流す。

穢れを払った祭具は大川の流れに下っていった。



昭和14年8月に発刊された雑誌『磯城』の第2巻・第4號』によれば、さらし布に息を吹きかけて引き割いていたようだ。

三度吹きかけた人形とともに総代に渡したとあるさらし布の大きさは一辺が一尺二寸程度であった。

受け取った総代は次々にさらし布を割いたようだ。

春日大社の大祓えでは神職がそのような作法をしていると聞いたことがあるが、現在の村屋坐弥冨都比売神社ではそれが見られない。

この日に集まる参拝者は、神社からいただいていた人形とともに家で切ってきた手足の爪を紙に包んで持参していた。

それらを神社の祓え所に置いて帰った。

結界の場で作法するのは宮司と氏子総代だけであったようだ。

神事を終えて参拝者がいなくなってから川へ流していた。

同史料には多坐弥志理都比古神社(田原本町多)では神社の場ではなく、川の畔であったとある。

(H25. 6.30 EOS40D撮影)

桧垣町三十八神社

2013年10月17日 07時23分55秒 | 天理市へ
桜井市の脇本、箸中から田原本町の蔵堂を目指していたときだ。

道路を走って目に入った神社の鳥居。

その付近に人がいた。

手水辺りにおられた婦人。

もしやと思って車を停めた。

鳥居を潜れば男性が二人。

お尋ねしたところ一年間に亘って神社を守っているという。

この日は境内などの清掃。

毎月2回は奇麗にしているという三十八(みそやの名もあるが、さんじゅうはち)神社の宮守さんである。

ここはどこになるのかと聞けば天理市の桧垣(ひがい)町。

市の最南端にあたる桧垣町は130戸の集落。

旧村集落は大きくわけて北と南の垣内だそうだ。

檜垣村は遠田村、海知村、武蔵村とともに川東村に属していたが、昭和33年に天理市へ行政変更区割りされた。

大淀町に旧村大字の桧垣本村があるが天理市の桧垣町と関係があるのだろうか・・・。

桧垣町はかつて式下郡。

西大寺領地荘園の桧垣庄(旧春日大社十市領かも)であった。

三十八神社は桜井市の穴師に鎮座する穴師坐兵主(あなしにますひょうず)神社の末社。

春と秋が大祭で同神社を務める宮司が祭典をされるそうだ。

穴師坐兵主神社の春の大祭には参拝する桧垣町の宮守さん。

賑やかに集うと話す。

たしか4月8日だったと思うのだが・・・。

山開きを兼ねた山の神降り。

田の神さんの豊作を願う祈年祭だったように思えて訪れたのであるが、ひとっこ一人も居なかったのだ。

穴師坐兵主神社の摂社に野見宿彌命を祀る相撲神社がある。

日本書紀に登場する野見宿彌は力士の祖。

7月7日に地元市民団体の「うるわしの桜井をつくる会」が記念碑を建之されると話す宮守さんはその会の一人。

多くの人が訪れてほしいという。

なお、三十八神社の道路際に立つ常夜燈には文化五年辰(1808)四月の刻印が見られた。

いつかは行事取材で再訪してみたいと思った。

なお、桧垣町には三十八神社から北方1.5km先に笠神社もある。

三角地に鎮座する社である。

通りがかったときに不思議な光景だと思った地である。

(H25. 6.30 SB932SH撮影)

世界遺産登録の眺望

2013年10月16日 09時30分45秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
starsuite異常事象の対応を終えた直後に携帯電話の着信音が鳴った。

榛原額井の住民であるFさんからだ。

先週世界遺産に登録された富士山が見えるという情報である。

なんでもゴミキャンペーンで登った登山者たちの声が「富士山が見えた」と云うのだ。

その一報は奈良新聞などで伝えられたという額井の山は「大和富士」。

本名が額井岳の大和富士の標高は813m。

30人も40人もやってくる団体登山者はバスで来る。

「写真も撮れたからあんたにあげる」と云われたが、どこのだれかも知らない人だったと伝えるFさん。

山頂から見えたという場はどこなのか。

ネットで調べてみれば5月24日の関西テレビの夕方ニュースのスーパーニュースアンカーで紹介された大和富士から捉えた富士山越しに日の出を撮った映像らしい。

5月2日の朝に捉えた天理市在住の人の作品らしい。

その件はFMラジオで紹介されていたが、大峯山の方だと思っていた。

当人だと思われるブログを拝見したが神々しい姿の富士山には見えない。

ちょこんとつき出ている山頂がそれなんだろうか。

それはともかく、直線距離で267kmも先の富士山の方角はどこだ。

地図と方位磁石は必須だろう。

ある人がブログで書いてはる額井岳はどっちかと云えば宇陀市榛原(はいばら)だ。

山頂は行政区分で云えば奈良市の都祁(つげ)吐山(はやま)町と重なる境界線。

都祁吐山は平成の行政市町村大合併で奈良市に編入したが、平成17年4月以前までは都祁村である。

私自身は未だに奈良市と思っていない。

知らない人は奈良市内の市街地だと思ってしまわないだろうか。

奈良市から見えたと報道するのもどうかと思えるのである。

それはともかく捉えた画像の鑑定の結果は・・・。

シミュレーションソフトと同じであった富士山の姿であった。

鑑定された田代博先生にお墨付きをもらったようである。

報道やクチコミで広がる「大和富士」から眺望する世界遺産の「富士山」。

知った登山者は今後増えるに違いない。

大騒動の額井からの便りにワクワクしたこの日。

おらが村の山頂展望台に方位盤の設置をしたり、登山道には案内板も設えることを考えなくてはならないようになってきたと電話口からの声が届いた。

(H25. 6.25 記)

我が家のゴーヤ

2013年10月15日 08時35分49秒 | 我が家の花
今年もゴーヤを栽培する。

とは云っても苗屋さんで買ってきたゴーヤ苗をプランターに植えるだけだ。

腐葉土を入れてふかふかした土に肥えも。

植え時期はGW明けの日。

昨年と同様にゴーヤの蔓が巻きついていけるように支柱を立てて網状のネットを張る。

どちらかと云えばこの作業が手間取る。

強い風が吹いても倒れないようにするには屋根下に括っておかねばならない。

脚立に立って手を伸ばしても届かない。

無理やりにトユへ縛りつける。

汗が噴き出してぐっしょりの日だった。

すくすくと育って伸びていくゴーヤの蔓。

しっかりと巻きついている。

下の方には黄色い花も咲いていた。

いつしか伸びた中段辺りに小さな実をつけた我が家のゴーヤ。

まだまだの一か月。

その後も順調に大きく育ったゴーヤの実。

食べごろになった一本。



下の方にはくるりと曲がったゴーヤもある。

それ以外はまだ大きくならない。

翌日の夜食に登場したゴーヤのソーメンチャンプル。

我が家の食卓に盛られた。



これが美味いのである。

ゴーヤチャンプルよりも、だ。

くるりと曲がったゴーヤの次は何故か黄色から赤色に変化した。

真っ赤になって弾けた。

食べられないゴーヤはときおり出現することは前年同様。

気にはなっていた。

その後の二週間。

ゴーヤの実成りが悪い。

小さなままで大きくは育たない。

ゴーヤの葉っぱは大きくなるはず。

陽除けにもなるゴーヤの葉っぱ。

今年のゴーヤはどこかおかしい。

日射の関係だろうか。

追肥もしていないから育たないのだろうか。

いやいや、前年はそれをしなくとも実成りの数は多かった。

(H25. 6.30 SB932SH撮影)
(H25. 7. 1 SB932SH撮影)

starsuiteの異常事象対応

2013年10月14日 07時52分44秒 | つうしん
一昨日の晩に発生したstarsuite表計算シート。

その直前にあったsunのアップデート。

たんまに出力されるメッセージはいつもの通りにアクションした。

インストールしている最中もシートを使っていた。

それを終了せねばあかんと思って終わらせた。

インストールも問題なく終わったと思っていた。

その晩の記憶は曖昧だ。

翌日も気にせず使ったシートは日常状況のメモ。絶えず更新をしている。

数値を入力して更新をする。

保存のバーは難なく動作する。

そのシートを閉じようとしたときだ。

いつも通りに「ドキュメント“○○”は変更されています。変更を保存しますか」に対して「保存」をクリックする。

このときの保存のバーも難なく動作する。

ところがだ。エラーの画面が出てくるのだ。

「予期しないエラーが発生しました。

変更したファイルはすべて保存されているので次のプログラム起動で復元されるはずです」とくる。

「OK」をクリックすれば「ファイル○○を復元しますか」のメッセージ。

それには「OK」せざるを得ない。

「はい」と応えれば、たしかに復元はする。

元に戻ったわけだ。だからどうしたのか・・・、である。

再びそのままで終了すれば保存のバーが動作して「予期しないエラーが発生しました。変更したファイルはすべて保存されているので次のプログラム起動で復元されるはずです」が出力する。

堂々巡りのループ状態。終わりにならないのである。

「いいえ」をクリックすれば終わり。

ところがファイルは更新の前の状態。

これは何らかの事象が発生しているに違いない。

「sun」はサン・マイクロシステムズ社。

そこが開発したstarsuite表計算シートはたくさんある。

サン・マイクロシステムズ社は2010年に日本オラクル社の子会社である日本オラクルインフォメーションシステムズ社に吸収合併された。

エクセルシートに変換したいが、それはできない。

エクセルからstarsuite表計算シートへ変換は可能だが、逆はできないのだ。

シートごとコピーすれば良いと思うがコピーされるのは数値データだけだ。

文字はどれをとっても「????」に変換される。

これでは意味がないのだ。

数値と文字があってこそ表計算シート。にっちもさっちも、どうにもならん。

更新できなきゃ閲覧専用のただのシート。過去の膨大な事歴が観るだけでもいいが・・・。

starsuite6.0多機能オフイスツールは一旦アン・インスートルして再度セットアップインストールするしかない。

と思ったがよくよく調べてみればstarsuiteはGoogleパックから無料ダウンロードができる。

対象OSはWindows XPという具合だからなおさらである。

と思って開けたGoogleパックにはstarsuiteが見当たらない。

ドキュメントがそれかと思ってスプレッドシートをクリックしたがどうやら違うようだ。

長い年月の期間で変化があったのだろう。

いろいろ調べてみたが結局はよく判らない。

仕方なくstarsuiteをアン・インストールしようと思ってインストールソフトを開けた。

そうすれば「元のstarsuite6.0の状態に戻す「修復」がある。

「修復」に●をして「次へ」をクリックした。

「修復する」を選んで続行する。

結果はどうか。

異常な事象は変わりない。

修復では回復できなかったstarsuite6.0。

こうなりゃほんまにアン・インストールしかない。

とりあえず実行してみた。

パソコンの電源オフ/オンしてあらためてインストールを実行する。

2002年12月末に買ったソフトはソースネクスト社。

当時はこの会社から売っていたのだ。

パソコンを立ちあげてインストールCDをセットする。

さぁ、実行だ。

ときおり内在していたファイルがどうしますかと尋ねるインストール。

すべてを上書きして続行して100%。

そのときに出力したメッセージが「Adabasが次のディレクトリにインストールされています。

c./program files Adabas そのため今回starsuiteが提供するバージョンがインストールされません。Adabas統一についての詳細情報はstarsuiteヘルプを参照してください」とある。

「OK」をクリックすれば終了してしまった。

不安がよぎるstarsuiteのインストールだ。

再インストール前に開けたシートはソフトがないから開かなかった。

とりあえずヘルプを参照する。

Adabasとはなんじゃらほい。

どうやらデータベースのようだ。

それとのアクセスをコントロールするものらしいが、私はそれを利用したことがない。

不要なものだと判断した。

で、再、再、再トライしたいつものシートファイル。

数値を入力して更新した。

ファイルを閉じた。

何事も発生せずに無事に閉じた。

イライラがつのっていた数日間。ほっとする瞬間だ。

(H25. 6.25 記)

新種のカボチャの表情

2013年10月13日 07時06分18秒 | 大和郡山市へ
遅くなった昼食を食べていたときに着信した携帯電話。

いつもお世話になっている小林町の住民だ。

栽培していたカボチャとナスビの形が面白いから見においでというお誘いである。

先週の火曜日にも電話が鳴った。

田植えも終わってほっとした。

ようやく出かけることができたから民俗博物館でご一緒しないかというコールだ。

その日は地域研究会が発行する地域誌の『俚志(さとびごころ)』の寄稿文の打ち合わせだった。

編集者から依頼を受けていた行事の寄稿文である。

一つは蛇穴の蛇ひき祭。

もう一つは下平田のイノコである。

原稿は予備稿も用意しておいた。

先の2編のどちらかが欠稿した場合を考えて旧広島町の地蔵盆も書いていた。

地域を繋げる伝統行事を紹介してほしいというお願いに応えて原稿を書いた。

概ねは感食がいいと云う編集者だが、行間では読み取れない箇所がところどころあるという。

行ったこともなく、見たこともなければ判り難い伝統行事.。

2編とも長編になった行事のキーワードは、伝統行事を支える地域の子供とした。

長時間に亘った打合せ。

小林町の住民は終わったら「勘太郎」に来てほしいと云われていたがとてもじゃないが間に合わない。

この日も出稿しなくてはならない原稿もあった。

前日に書き終えたばかりだが、精査しなくてはいけない部分もある。

若干の心の余裕があったこの日は喜んで出かけた小林町。

いつもの作業場で待っていた。

待っていたのは住民だけでなくカボチャとナスビである。

たしかに面白い形をしている。

おかっぱ頭のように見えるカボチャは食材ではなく観賞用。

公民館で貰った種を植えたら「こんなんができたんや」と笑顔で話す。

もう一つはツノを出したナスビである。

これは男だと話す住民。

なるほどそういう見方もあるんだとおもった。

それには手をつけずに、「何に見える」と問われたカボチャを手にする。

どうみても顔に見えるカボチャである。

じっくり見ているうちに、飛鳥の亀石を思い出した。

大きな岩は甲羅を背にした亀の顔。

それとそっくりだと思った。



ペンで書いてと頼まれて書いた顔は亀にはならんかった。

描いたのは眼だけである。

眉毛や鼻、口は書かないのかと尋ねられるが、それは書かない。

眼だけで表情を醸し出す。そう思って描いたのである。

(H25. 6.24 SB932SH撮影)

明星はやい!1分うまい!超速チョッパヤネギ盛りバリカタ麺黒マー油とんこつ

2013年10月12日 08時54分46秒 | あれこれインスタント
長いタイトルのらーめんだ。

スーパーで売っていたらーめんに書いてあった「1分」。

一般的にインスタントラーメンは3分間待つのだぞ、だ。

場合によったら4分間もある。

うどんであれば大体が4分、5分間だ。

熱い湯を注いでできあがるインスタントラーメンは、なぜか基準が3分間。か、どうかは存知しないが、買ったらーめんは1分間。

驚く早さは蓋に書いてある。

この日は送迎の仕事をこなして自宅で昼食。

送迎はそれで終わったわけではない。

かーさんの送迎だ。

そんなあれやこれやで昼時間はとうに過ぎて13時15分。

減り過ぎたお腹がぐぅーぐぅー云いだした。

3分も待てないから買い置きしたカップ麺から選んだのが「明星はやい!1分うまい!チョッパヤネギ盛りバリカタ麺黒マー油とんこつ」だ。



写真を撮っている間に出来あがってしまったカップ麺。

蓋を開ければ誘惑にかられるらーめんの香りが昇る。

どっさりと入ったネギ、ネギ、ネギ。大きなネギのたっぷり盛り。

中身の写真を撮る間もなく箸が勝手に動き出す。

細いストレート麺はこってりこく味のスープに絡んであがってきた。

ツルツルーーーの麺は喉越しも良い。

美味いの一言につきるカップ麺の具材はどれもこれも大き目。

玉子焼のように感じる具材もある。

これも大きいのだ。

チャーシューのようなものもあるが、小さく感じる。ストレート麺はどちっかと云えば堅めのソーメン、或いは縦長の袋入りラーメン、棒ラーメンのような感触である。

一般的な麺の太さであってもこの味が出るののだろうか、と思った。

カップサイズはBIGだが、内容量の麺は60g。

いずこのラーメンと同じ分量である。

食べてみれば多めのように感じた。

飲みほしたスープはコクだらけ。

フライドガーリックに黒マー油が利いているのだろう。

ちなみにラーメンタイトルの「チョッパヤ」は「超早い」の略意であろう。

覚えやすいカップ麺の名だ。

スーパーの売り場で再度見かけたら、もっぺん買ってしまうであろう。

(H25. 6.24 SB932SH撮影)